詐欺
週末、金曜日の夜。高木 祐二は仕事の帰り掛けに必ず駅前のスーパーに立ち寄り、食料品などを買い込んでから独り暮らしのマンションへと帰る。
マンションとは言っても築二十年を経過しており、オートロックさえ完備していない。しかも駅から徒歩十五分弱を要する。独り暮らしを考えている今どきの若者なら敬遠するような物件だ。
でも、祐二にとっては至極お気に入りの住まいだった。
小さいが必要最低限な物が揃っているキッチンで料理を作り、それを食べながらのんびりとした自分だけの週末と時間を過ごす。
それは騒がしい場所が苦手の祐二が大学時代から続けている習慣だった。
高校時代から憧れていた東京の大学へ進学したものの、賑やかな街を遊び歩いているような生活を送る人たちに馴染めず、やはり生まれ育った地元のような環境がイチバンなのだと、就職してからの住まいは緑豊かで、静かな立地の物件を選んだ。
就職してからは学生の頃より金銭的に余裕がある分、食材の値段を気にせず選ぶことが出来る。
これが結構楽しいもので、独身貴族とはよくいったものだと思いながら祐二はよく冷えているビールや果物、野菜に魚、肉などをカゴに放り込んでいた。
「あれ……、もしかして高木さんですか?」
名前を呼ばれ振り向くと、今年の新卒で入社した久保 愛美がそこにいた。
一流大学を卒業し、総務部秘書課に配属された彼女はテキパキとした仕事ぶりと絵に描いたような堅物ぶりで、男性社員からは将来のお局候補ナンバーワンと評されている。
同じフロアで仕事をしているのだが、話したことは両手で数えられるくらいだった。
「あ、やっぱり高木さんだ。偶然ですね、こんなところで逢うなんて」
彼女は今まで見たことのない人懐こそうな笑みを浮かべ、祐二の持っているカゴをチラリと見遣った。
「わぁ、すごい量。お魚にお肉にお野菜。ビールに果物、それにお漬物まで。高木さん、お料理なんて出来るんですか? ちょっとビックリ。意外だなぁ」
こんなに気さくな話し方をする娘だったかなと、祐二も意外だった。
「ま、一応ね。下手の横好きって言うだろ? じゃ!」
祐二がそう応え、会釈を返してレジへ向かおうとすると、愛美がためらいがちに距離を空けて後をついて来た。
レジで会計を済ませ、サッカー台にカゴを持って行くと、愛美の顔が祐二の前にひょっこりと出てきた。
「久保さん、さっきからどうしたの。何か僕に用事でも?」
挙動不審としか思えない行動に、祐二は怪訝な面持ちで尋ねていた。
「あの……。えっと、高木さんの家がこの近くなら、私がお料理作ります。実を言うと私、今月は財政破綻しそうなくらいピンチに陥っています。一緒に食べさせて貰えると一食分浮いて大助かりなんですけど」
愛美は顔の前で両手を合わせ、祐二を拝むようにペコリと頭を下げた。
「あ……、はい。僕の部屋でよければ」
もともと頼まれると嫌と言えない、お人好しの性格が災いしたのか、祐二は躊躇うことなくそう返事をしたのだった。
部屋に着くと愛美は掛けていたボストン眼鏡を外し、祐二のエプロンを身に付け、ひとつに束ねていたセミロングの黒髪を解き放った。
会社で見る姿とは全く違う、その姿に祐二は目を疑った。
いつも掛けている黒縁の眼鏡は伊達で、家に帰るとすぐに外していると言う。
だって、眼鏡を掛けていると堅物っぽくて、如何にも仕事出来ますっていう、秘書課の女性だなって思えるでしょ? と、悪戯っぽく笑った。
メガネを外すと瞳が大きく、笑顔がよく似合う。結構な美人に見えるし、仕草のひとつひとつがとても可愛らしく映る。
彼女のプロ意識を否定するわけではないが、眼鏡を掛けないほうがいいのにと、祐二は内心思っていた。
愛美はブラウスの袖を捲くると、慣れた手付きで野菜や肉を切り、手際良く料理を作っていく。段取りも見事なものだ。
「へぇ、上手だなぁ」
カウンターからそれを見ていた祐二が感嘆の声を上げた。
「大学時代、ずっと定食屋の厨房でアルバイトをしていたんです。何だって作れますよ」
愛美は得意気な笑みを浮かべる。
「さ、もうすぐ出来上がりますよ。食卓の準備をお願いします」
祐二は頷くと、テーブルの上を片付けるため、そそくさとカウンターを離れた。
出来上がった料理を小さなダイニングテーブルに並べ、二人は冷えたビールでぎこちない乾杯をしたあと、会社での出来事などを話しながら箸を進めた。
「うん、ホントに美味しかった。久保さんがこんなに料理上手とは思わなかったよ。しかも、ほぼ余り物の材料でここまで作るなんて。今夜の買い物分が明日以降に使えるし、僕の食費も大助かりだ」
先に食事を終えた祐二は、お礼の意味も込めて愛美に話し掛けた。
「そう言ってくれると嬉しいです。私で良ければいつでも作りますよ。あ、来週も財政ピンチの時は押しかけちゃおうかな?」
愛美は茶碗を片手に冗談っぽく言葉を返し、はにかんだ笑みを見せた。
会話も弾み、愛美はよく食べ、よく笑った。
屈託のない洗いたてのような笑顔は、まず会社では見ることの出来ないものだった。
フルーツのデザートまで用意してもらい、のんびりとした時間が過ぎたころ、そろそろ帰りますと愛美が名残惜しそうに腰を上げた。
「あ、駅までなら送るよ。こんな時間だから」
祐二は玄関でパンプスを履いている愛美にそう声を掛けながら、アウターを羽織っていた。
ところが、彼女は大きく首を横に振った。そして振り返ると、頬を赤らめながら真剣な面持ちで祐二を見つめた。
「ね、高木さん。私のお料理、また食べたいって思います?」
思い掛けない愛美の台詞に戸惑った祐二だったが、不思議と素直な言葉が自然と口から出ていた。
それは愛美の、猫の目のようにくるくると回る楽しげな笑顔のせいだったのかも知れない。
「勿論だよ。あんなに美味しい料理なら毎晩でもお願いしたいくらいだ」
途端、愛美の顔がパッと綻び、輝いた。
「良かった。好きな人に喜んで貰えて。私の実家、ここからすぐなんです。だから……明日も作りに来ちゃいます」
愛美は悪戯が見つかった子どものような照れ笑いを浮かべると、ペコリと頭を下げて玄関を足早に出て行く。
何だか上手い詐欺にでもあったような気がした。
祐二が一人暮らしだということ。週末には必ずスーパーで買い物をしていること。
それを愛美が知っていたのか、それともほんとうに偶然だったのか、それは分からない。
祐二は呆気に取られたまま、マンションの廊下を歩いていく愛美の後姿を見つめていた。
会社での堅物姿と祐二の前で見せた、柔らかな女性らしい愛美の姿。どちらがほんとうの彼女なのだろう。
だが、そんなことはどうでもいいことだと祐二は感じていた。
どちらもきっと同じ愛美で、公私の分別が出来る大人の女性なのだろう。
「ま、俺だけがあの笑顔を知っていればいいってことなんだよね……」
祐二は玄関ドアに身を預け、そっと呟いた。
秋が深まる静寂と冷たく感じる空気の中、弾むように階段を降りていく彼女の靴音が次第に遠ざかる。
その音は祐二の胸に不思議と心地良く響いていた。
了


