ファーストスター

Episode.1

「あり得ないよ……。こんなこと」

 姫は読んでいた脚本をテーブルの上に投げ出すとソファにごろりと寝転がった。

「監督さんはイメージを大切にしたいって言ってたけど……。大体、この東京のど真ん中に、こんな排気ガスとスモッグだらけの汚い街に降るような星空なんて見えるわけないじゃない。脚本自体が間違っているとしか思えない。街を美化し過ぎなんだよね」


 クランクインまであと三週間。台詞は全て覚えたものの、どうしても役作りが上手くいかない。ヒロインのイメージが掴めないのだ。
 姫は天井を見つめながら星空を頭の中で描こうとした。けれど脚本に書いてある、降るような星空が浮かんでこない。
 沸いてくるイメージは、ネオンサインや街灯の先に浮かぶ狭く切り取られた灰色の夜空だけ。星なんてひとつも見えてこない。

「こりゃダメだ……」

 溜息を吐いて起き上がった姫は七階にあるワンルームマンションの窓から外を見遣った。眩しいほどの陽光が街を照らしてはいるが、ほんの数百メートル先は霞んで見えた。

「あぁ、もうどうしよう。東京生まれ、東京育ちの私が夜空の美しさなんて知るわけないじゃない」

 栗色の柔らかなウェービーヘアを掻きむしりながら姫は窓辺で悪態をついた。


 子どもの頃からの夢だった女優デビューを果たして三年。脇役からのこつこつとした努力を重ね、オーディションでやっと掴んだ主演女優の役。
 業界内では実力派という評価が付いてきてはいるが、浮き沈みの激しいこの世界。このチャンスを絶対にモノにするぞと意気込んではいたけれど、今は不安のほうが大きかった。

「監督さんたちには上手く演じて見せますって大見得切っちゃったしなぁ……」

 がくりと肩を落とし、姫はまたソファに寝転がろうとした。そのとき、マガジンラックにある情報誌がふと目に入った。
『プラネタリウムに行こう』

 表紙には何処かのプラネタリウムの前で腕を組んでいる男女の姿。
 姫は「これよ! これ‼」と叫びながらその本をラックから引き抜き、パラパラとページを捲りはじめた。




 淡い黄色のオーバーサイズTシャツにストレートのジーンズ。そして長い髪をひとつに束ねて三つ編みにし、BOW付きのシェードストローハットを目深に被るという極力目立たない出で立ちをした姫は、都心を少しだけ離れた宇宙科学館の前に来ていた。
 平日の午後だけあって辺りは閑散としていて人影もまばらだ。

「都心を避けて正解だったな。人混みはうんざりだもの」

 自分の判断に気分を良くしていた姫は鼻歌を口ずさみながら、券売機で入場券とセットになっているプラネタリウムのチケットを買った。

 受付窓口で渡されたパンフレットに目を通すと、次の投影時間まであと三十分ほどあった。蒸し暑い外よりは冷房の効いた館内で時間を潰そうと思った姫は、プラネタリウムに隣接している宇宙展示室へと向かった。

 広い展示室には誰もいなかった。モニターだけが見るものもいない通路に向かって説明を繰り返している。

「夏休みなのに誰もいない……。プラネタリウムって人気ないのかな?」

 独り言を呟きながら姫はガランとした展示室を見て廻った。
 機械仕掛けの模型やさまざまな星や銀河を映し出すパネルは見ているとなかなか面白い。

 今まで星にあまり興味はなかった姫だったが、こうして展示されているものを見ていると、どの星とどの星が星座を形作っているのだろうとか、この星に名前はあるのかな、という興味が沸いてきた。
 役作りの参考になるだろうと思って来たのだがいつのまにか心惹かれている。大きく引き伸ばされた銀河や星座の写真を眺めていると、こんな星空を実際に自分の目で見てみたいと思うようになっていた。
 そうこうしているうちに館内に投影開始五分前のアナウンスが流れ、姫は急ぎ足で館内の一番奥にあるプラネタリウムの入口へと向かった。


 非常口を示す緑色の明かりだけが灯るドームの中は薄暗く、姫の他に観客は誰一人見受けられなかった。
 中央に大きな機械が備え付けられているだけのガランとした場内のどこに座ればいいのか分からずに立ち尽くしていると、投影時間がきたのか入口の扉が静かに閉じられた。
 姫が慌てて目の前の椅子に腰掛けると、暗闇の中から涼しげな男性の声が響いた。

「星を見るならどうぞこちらへ。私がいる解説者席の前が一番よく見える場所なんですよ」

 目を凝らし辺りを見廻すと、雛壇の一番高いその場所から声の主がおいでおいでをしているのが見えた。
 姫はすぐさま立ち上がると、躓かないよう注意深くその場所へと向かった。解説者席の近くまで来ると、声の主が「あ、そこら辺りがベストポジションですよ」と、雛壇を昇る姫を制した。

「ありがとうございます」

 姫がそう言ってペコリと頭を下げると、声の主は気さくに話しかけてきた。

「今回の投影にいらした方はあなたお一人だけです。星空を独り占めなんて、そうそうあるものではございません。固いことは抜きにして説明をしていきますから、分からないことがありましたらあとで何なりとご質問下さい。さ、どうぞお座り下さい」

 薄暗さに慣れてきていた姫の目に爽やかな笑みを浮かべた男の姿が映った。彼は軽く会釈しながら姫に腰掛けるよう促している。
 姫は彼に微笑を返すと帽子を取り、座席に腰掛けた。ボタン式のリクライニングを使って椅子を倒すと、男の声がスピーカーから零れはじめた。

「本日はようこそ。ただいまから投影を開始いたします。その前に非常口を……」

 涼やかだがよく通るハリのある声。

 姫は最初に聞いたときから、すごくいい声だなと思っていた。その彼の声が一通りの注意事項を説明すると非常口の明かりが一斉に消え、ドームの中は闇に包まれた。
 しかしそれは一瞬のことで、すぐにぼんやりとした明るさに戻り、地平線に沈もうとする太陽が映し出された。ヒーリングサウンドとともに地平線に消えていく太陽。そして夕焼けの色とともに辺りは徐々に暗さを増していく。すると西の空にひときわ明るい星が瞬き始めた。

「あ、いちばん星だ」

 姫は思わず呟いていた。そう、子どもの頃は夕方になるといちばん星を捜していた。あの頃は空をよく見上げていたのに。いつから空を見上げなくなったのだろう……と、思っている間に辺りは真っ暗になり、ドームの空には無数の星が輝きはじめていた。

「わぁ……すご……い」

 星の煌きに圧倒されて息を呑んだ。どんな魔法を掛けられたのか、何時の間にか姫の目からは涙が溢れ出ていた。

「すごい……よ。こんなに星がたくさんあるなんて」

 涙を拭うことも忘れ、姫はただじっと天空を見上げていた。

「今、映し出されているのが今晩の星空です。驚きましたか? 大気の澄んだ場所に行きさえすれば、こんなにも星は輝いているんです」

 語り掛けるような言葉が耳に触れた。途端、姫は思わず解説者席に振り返っていた。

「ほんとうですか? ホントに……ほんとうにこんな星空が見える場所があるんですか?」

 姫のいきなりの質問に、解説をしていた男は呆気にとられていた。が、すぐに星空の向こうから優しく返事が返ってきた。

「ありますよ。ほんとうに星が降るように見えるところは……」
「行ってみたい。この目で見たい……こんな星空を」

 涙声で呟いていた。束の間の静寂のあと、男はマイクのスイッチを切ると嬉しそうな口調で言った。

「では、このお話しは後程ということで……。さぁ、今夜の星の星座解説をしていきますよ。星空を見上げて下さい」

 姫はその声に小さく頷きながら涙を拭い、ドームの夜空を見上げた。

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