君との思い出~私の愛した人たちへ~
が、私が6年になる年の3月。
博史先生は異動になった。
正直ショックだった。
離任式の日、博史先生は自分が音楽が嫌いだった話をしてくれた。
音楽は嫌いだったが小学生の時に笛の授業で先生が褒めてくれた事でちょっと音楽が好きになった事、
それがきっかけで音楽に興味を持って音楽の道にすすみ、音楽教師になったと。
自分の経験を通していろんな可能性があるんだという事を先生はいいたかったのだろう。
離任式の最後は全校生徒が異動になる先生を見送る。
博史先生は私のところにきてくれた。
私は最後まで憎まれ口をきいた。
さよならをいうでもなく
『合奏団どうすんのよ』
と。
当時の私の精一杯の強がりだった。
すると博史先生は
『○○先生って先生がくるから。頑張れよ』と一言いった。
あの時の景色は今でもよく覚えている。
博史先生の肩の向こうに菜の花が咲いていた暖かい春の日だった。
離任式の後、うちの父と博史先生が話した時に博史先生は
『娘に怒られちゃったよ』といってたらしい。
博史先生は異動になった。
正直ショックだった。
離任式の日、博史先生は自分が音楽が嫌いだった話をしてくれた。
音楽は嫌いだったが小学生の時に笛の授業で先生が褒めてくれた事でちょっと音楽が好きになった事、
それがきっかけで音楽に興味を持って音楽の道にすすみ、音楽教師になったと。
自分の経験を通していろんな可能性があるんだという事を先生はいいたかったのだろう。
離任式の最後は全校生徒が異動になる先生を見送る。
博史先生は私のところにきてくれた。
私は最後まで憎まれ口をきいた。
さよならをいうでもなく
『合奏団どうすんのよ』
と。
当時の私の精一杯の強がりだった。
すると博史先生は
『○○先生って先生がくるから。頑張れよ』と一言いった。
あの時の景色は今でもよく覚えている。
博史先生の肩の向こうに菜の花が咲いていた暖かい春の日だった。
離任式の後、うちの父と博史先生が話した時に博史先生は
『娘に怒られちゃったよ』といってたらしい。