君と終わった街で
呼び出し音。

一回。

二回。

三回目で、電話が繋がる。

『……もしもし』

少しだけ掠れた文姫の声が、耳に落ちた。

その瞬間。

洸太は、十年前の夜へ一気に引き戻された気がした。


高校の頃も、文姫は眠くなると声が少し低くなった。

それが妙に好きだったことを、今でも覚えている。

洸太はソファにもたれたまま、小さく息を吐く。

「……もしもし」

返した声が、自分でも少し硬かった。

電話越しに、文姫が小さく笑う。

『なんか変な感じ』

「なにが」

『昨日会ったばっかりなのに、もう電話してるの』

たしかに、と思う。

十年会っていなかった相手と、今こうして深夜に電話している。

普通に考えたら、かなり不思議な状況だった。

でも、不思議なくらい自然でもあった。

沈黙が落ちる。

その静けさすら、嫌じゃない。

電話の向こうから、微かにテレビの音が聞こえた。

「何してた?」

『ソファでだらだらしてた』

「俺も」

『絶対してると思った』

文姫が笑う。

その笑い声が、イヤホン越しにやけに近かった。

洸太は目を閉じる。

声だけになると、昔の記憶がより鮮明に蘇る。

夜中。

布団に潜りながらしていた電話。

明日学校なのに、なかなか切れなくて。

気づけば二時とかになっていたこと。

あの頃の自分は、電話が終わるたび少し寂しかった。

でも今は、不思議と落ち着いていた。

「……なんか」

洸太が小さく呟く。

『ん?』

「ほんとに、十年ぶりって感じしないな」

電話の向こうが少し静かになる。

それから。

『ね』

文姫が、柔らかい声で返す。

その一言だけで、胸の奥がじんわり熱くなる。

窓の外では、風が吹いていた。

カーテンが少し揺れる。

東京の夜は静かじゃない。

どこかで車の音がして。

誰かの生活音が遠くで響いている。

それなのに今だけ、この部屋だけ切り離されたみたいだった。

『洸太さ』

「ん?」

『昔、私のことめちゃくちゃ好きだったよね』

あまりにも突然で。

洸太は思わず息を止めた。

部屋の空気が、一瞬だけ静かになる。

電話の向こうでは、文姫も何も言わない。

冗談っぽく笑っている感じでもなかった。

ただ、ぽつりと確認するみたいな言い方だった。

洸太はソファにもたれたまま、天井を見上げる。

今さら、隠すことでもない。

高校時代の自分なんて、たぶん誰が見ても分かりやすかった。

「……まあ」

小さく笑う。

「めちゃくちゃ好きだったと思う」

電話の向こうで、文姫が少し吹き出す。


『毎日ずっと一緒いたもんね』

その言葉に、洸太は目を閉じる。

放課後。

コンビニ。

帰り道。

教室でくだらない話をしていた時間。

あの頃は、ずっと続く気がしていた。

『なんかさ』

文姫が小さく言う。

『あの時の洸太って、今思うとすごかったよね』

「なにが」

『あんな真っ直ぐ人好きになれるの』

洸太は少し黙る。

昔の自分を思い返す。

たしかに、真っ直ぐだった。

文姫しか見えていなかった。

恥ずかしくなるくらいに。

「……若かったから」

照れ隠しみたいに返す。

でも文姫は、

『私はちょっと怖かった』

と、静かに言った。

洸太の呼吸が止まる。

その声は、責めているわけじゃなかった。

ただ、本音みたいだった。

『洸太は、すごい真っ直ぐだったじゃん』

『でも私は、そこまで返せなかったから』

夜の静けさが、二人の間に落ちる。

洸太は何も言えなかった。

高校の頃、何度も聞いた言葉だった。

“好きになれない”

“恋愛って感じじゃない”

でも今、こうして大人になった文姫の口から聞くと、少し違って聞こえる。

あの頃の文姫も、ちゃんと悩んでいたんだと分かる。
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