逃げられるものならお好きにどうぞ。
「それじゃあ百合子さんも待ってるし、俺は帰るから」
目的を達成した椿は、早々にこの場から離脱しようとする。
けれど何かを思い出したかのように「あ」と声を漏らし、慎二に向き合った。
「そうだ、思い出した。皇さんに言っておかなきゃと思ってたんだよね」
「あ? 何だよ」
「……いくら皇さんでも、百合子さんはダメだよ」
ニコリと口角を持ち上げた椿だったが、その目は一ミリたりとも笑っていない。感じるのは、色濃い牽制。
――手を出したら、ただじゃ置かない。
やんわりとした声音だったが、その鋭い瞳が、そう物語っている。
しかし皇組の若頭の座に居るだけあり、それ如きで怯むような男ではない。慎二は煙草を吹かしながら、ゆるく頷き返す。
「ったく、んな怖ぇ面で凄まなくても分かってるよ。嬢ちゃんに、手は出さねーさ」
「うん。それじゃあ、俺は帰るから」
慎二の返事をあっさりと受け入れた椿は、今度こそ背を向けてこの場を去った。
遠ざかっていく背中を見つめながら、慎二は感情の読めない声で呟く。
「オマエが過ちを繰り返さない限りは、な」
しかし含みを持ったその言葉は、椿の耳には届かなかった。