Fahrenheit -華氏- Ⅲ
いやいや、あたしは二村さんを倒す為に―――こんな卑怯なことをしてまで
啓ともう一度―――ちゃんと向き合いたい。
抱きしめて欲しい。
あの香りであたしをいっぱいに満たして―――
「次は会うのいつにする?」
葵さんは人懐っこく聞いてきて、はっと我に返った。
まぁあたしが二村さんの企みを阻止できたのなら、葵さんに二十万入るわけだし急ぐ理由も分かる。
「また連絡します」そっけなく答えると
「うん、分かった♪」と葵さんは素直に頷く。
この男には―――欲がないのか、あるのか。バカなのか策士なのか。
今のあたしには計りかねた。
ただ、人懐っこく。
けれど、風向き次第でどちらにもなびく―――
それだけは分かった。
そんなことを考えているときだった。
「危ない」
突如葵さんに手を引かれて肩を抱かれる。
ふわり
啓と違った―――香水……と言うより柔軟剤かしら。が香ってきた。
びっくりして彼を見上げると、すぐ傍を酔っぱらいとおぼしき男性二人が危うい足取りで通り過ぎていった。
「ああゆうのに絡まれるといけないからさ、早く帰りなよ」そうは言ったものの、葵さんはあたしの肩を抱いたままで離れて行こうとしない。
何―――……
眉間に皺を寄せ訝しんでいると、
「向こう側の歩道に、空汰を見た気がした」
二村さん―――……
思わず振り返ろうとすると、「見ちゃだめ」と葵さんがあたしの両頬を包みながら正面を向かせる。「警戒してるってバレるよ」
確かに……
あたしと葵さんが『手を組んだ』ことを知られてはならない。
けれどこのまま、この態勢とは……
「あの…」言いかけた言葉に、葵さんの唇があたしの額をかすめた。
びっくりして、「何するんですか」今度こそ胸を押し戻すと
「あ、空汰行ったみたい」と葵さんはしれっと言う。
「だ、騙したって言うんですか」思わず目を吊り上げると
「騙してないって、ほらっ、あそこ」と葵さんは、遠ざかっていく
二村さん―――
の背を指さし。
見間違える筈がない。あのトレンチコート。
ブランド物ではないが、ベルトの裏地が赤と黒のチェック柄と言う変わったデザイン。
後ろでまとめたそのベルトの裾の裏地を目にして
あたしは思わず唇を噛んだ。
二村さん―――どこまでも用心深く、周到な。