Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「別にいいけど」
葵さんはあたしに並んで歩き始める。
「でもいつも冷静な瑠華ちゃんがどうしたのさー」
「どうしたもこうしたも…」
一瞬本当のことを言いそうになったけれど、あたしはそれを何とか留めた。
葵さんは、あたしの元カレが啓であることを知らない。
二村さんから聞かされたらそのときだけれど、こちらから敢えて不必要な情報を渡すわけにはいかない。
つまりあたしは100%葵さんを信じているわけではないのだ。
でも
「それって、昨日のミミちゃんの行動に何か関係してるの?」
葵さんは―――鋭い。
葵さんはあたしが思った以上にバカではなかった。
「それに関してはノーコメントです」と言い、またも歩き出すと
「ある程度の情報の共有はしておかないと。また空汰から突っ込まれたとき、今日のようにはいかないかもしれないよ?」
葵さんが慌ててあたしの後をついてくる。
「そのときが来たら全てお話します。しかし今はまだ“その時”ではないので」
葵さんはまた小さくため息をついた。
「分かったよ…ホント…瑠華ちゃんて謎めいてるね…
何考えてるかさっぱりだよ」
「良く言われます。褒め言葉だと受け取っておきます」
「いや、褒めてないし」葵さんは顎を指の先でちょっと掻いて苦笑い。僅かに俯くと
「瑠華ちゃん疲れてるみたいだし…今日は送ってくよ」
葵さんがバイクのメットをあたしの方へ向け
「いいえ、結構です」あたしはその手を払った。
あたしは―――歩みを止めなかった。
葵さんは今度こそ諦めたようで、その場で立ち止まった。
「瑠華ちゃん」
葵さんの声が後ろから追いかけてくる。
「瑠華ちゃんはどこへ行こうとしてるの?」
どこへ―――……?
どこなのだろう。
あたしが向かうところは―――
今日、はじめて自分の目指す場所がどこか分からなくなった。