Fahrenheit -華氏- Ⅲ

俺は書類を眺めながら、しかし書かれている文字を少しも理解できずただぼんやりと滲む白黒の世界で


「ふーん……“あの時”って?」とさりげなく聞いた。


佐々木は訝しむかと思ったが、


「外にランチ行ったとき、お店の外で柏木さんに声掛けてきた若い男の人がいたんですよ。柏木さんも顔見知りみたいな感じで…


彼氏ですか?って聞いたら否定してましたけど」


否定…


ほっ


としてる場合じゃないんじゃないの、俺!


名前も…顔だってはっきり見たわけじゃないし、その男にいつ瑠華をとられるか。


「変なこと考えてないで、お前も早く仕事終わらせろ」と半ば八つ当たりで手を振ると佐々木は唇を尖らせながらも、仕事を再開させた。


その後、30分程で佐々木は仕事を終わらせ


「じゃぁ僕もお先に失礼します」と言って帰って行った。


時計は18時半を少し過ぎている。


会食、そしてクラブ遊びが終わるのは日を跨ぐ直前だろう。まだまだ時間はある。


重役たちの集まりが解散してから、俺は神来社支社長が都内で宿泊しているホテルに訪ねることになっている。明日には彼は横浜に帰るらしいから、今日しか接触できない。


時間はたっぷりあった。今の俺からすると有り余る程と言ってもいい。


それまで仕事をしていてもいいが、ふと気を緩めると集中力が途切れ、そこから集中力を取り戻すのに時間がかかる。


とりあえず、タバコでも…と思い胸ポケットを触りながら廊下に出ようとすると、ほぼ同時


誰かに激しくぶつかられた。


「ってー……」な!どこ見てやがる!


といつも以上にピリピリしてっから思わず怒鳴り出しそうになったが、ここは会社だ。一呼吸置いてぶつかってきた相手を見ようとすると、それよりも早く相手が


「すみません!急いでるんで」と二村が片手だけで謝る仕草で、よほど慌てているのだろう、トレンチコートを腕に通しながら廊下を走っていった。


二村―――…


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