Fahrenheit -華氏- Ⅲ
あたしは葵さんの言葉に何も答えることなく再びコーヒーを口にすると、葵さんもそれ以上何かを言うのを諦めたのか小さく吐息をつき
「ね、腹減ってない?」とメニュー表を手にしている。
「私は結構です。葵さんはどうぞ。お支払は私がします」
あたしの言葉に葵さんはちょっとの間悩んでいたようだが、やがて何かを注文することなく、メニュー表を仕舞った。
「どうしたんですか?お腹がすいているのでは?」
「んー……食欲無くなったって言うか…」
「そうですか」
あたしは葵さんの言葉を特に気にすることなくカルティエの”タンク・アメリカン”に視線を落とした。
時刻は22:00を少し過ぎた所だった。
「そろそろ時間です。お付き合いいただいてありがとうございました」
きっちりと頭を下げ席と立ち上がり、伝票を取ろうとすると、あたしの手に葵さんの手が重なった。
「どこへ行くの?」
葵さんから何度もされた質問だ。
前は―――ただがむしゃらに前を突っ走ることしか考えていなかった。
けれど今回は、しっかりと目的がある。
「あなたは知る必要がありません」
そっけなく言って葵さんの手の下からあたしの手を引き抜こうとすると、葵さんの手がぎゅっとあたしの手を握ってきた。
「離してください」そっけなく言うと
「イヤだ、って言ったら?」
葵さんの真剣な目があたしを見上げている。
あたしは眉をひそめた。
「二度言わさせないでください」
睨むように目を細めていると、やがて葵さんが根負けしたように小さくため息を吐きながらあたしの手からそっと手を離す。
それ以降、葵さんは何も言わないし何もしてこなかった。
ただ俯いてパーカーのポケットに手を突っ込み、カフェオレのカップを睨んでいる……ように見えた。
「では、また連絡いたします」
あたしはそれだけを言ってお会計に向かった。