Fahrenheit -華氏- Ⅲ
「部長!?」
二村さんが目を開いて慌ててあたしから離れる。
啓は眉を吊り上げて、あたしが知る啓の……それは一言で言うと怒っている、と言う表情を浮かべて二村さんの手を掴み上げる。
「痛っ!痛い、痛いですよ!!」二村さんが小さく悲鳴を上げた。
啓はここが会社だからか、それ以上のことはすることなく二村さんからぱっと手を離した。
「何なんですかー、ちょっとからかっただけなのにぃ」と二村さんはあくまで空とぼけるつもりだ。
「度を越してる。柏木さんは明らかに迷惑がっていた」と啓が腕を組む。
「これが俺のスキンシップですよ~、柏木さんだけじゃなく、ほらっ他の女性社員にもこんなですから俺。でも一度も訴えられたことないんですよ~」
「悪意を持ってなきゃ、の話だ」啓は眉間に皺を寄せ二村さんを睨んでいる。
「これ以上、”うちの”大事な柏木さんに迷惑かけてみろ?ただじゃ済まさないからな」
啓の言葉に胸の奥がドキリと鳴った。
女としては必要とされてないかもしれない、けれどあたしをあなたの部下だと―――まだ大事に思ってくれている。
「やだなぁ、お二人とも大げさに」
二村さんは苦笑いを浮かべて一歩下がった。
そんな二村さんに隙を与えることなく啓が
「ほれっ」と言って何かを頬り投げた。二村さんが小さなそれを危うげな手つきで何とかキャッチ。
手の中で受け取ったものを認めると、二村さんは大きく目を広げた。
「お前が欲しかったものはそれだろ?手に入らなかったからって柏木さんに八つ当たりするのは間違ってる。俺に直接言ってこればいいだろ」
啓が低く言って片眉を吊り上げる。
言うまでもなく、”それ”が何だかあたしにはすぐわかった。
「これ―――」
二村さんは手の中にあるSDカードを見下ろししきりにまばたきしている。そのSDカードにはあたしが”不正に”オークションを行った証拠が撮り収められている。
「………だって”これ”は部長が俺の目の前で壊した筈…」
「”あれ”は見せしめだ。お前が良からぬことを企んでるって思ったからけん制だ。それこそ本物だ」
二村さんはちらりとあたしの方を見てきて、あたしは何も知らないふりを装い軽く頭を傾けた。
「……何で…一度持ち去ったのに、わざわざ?はっ…もしかして中身を捏造したとか…?」
ははっ、二村さんが乾いた笑みを漏らした。
「んな小細工しねーよ。そしたらお前のことだから今度は器物破損だとの窃盗だの俺に罪をなすりつけるだろ?」
二村さんは啓の発言を気にして、再びあたしをちらちらと見てきたがあたしはあくまで知らないフリ。二人のやり取りの意味が分からないと言った風に二人の間で視線を彷徨わせた。
「窃盗に器物破損かぁ。そこまでは考えに及びませんでしたが」
二村さんはあたしからSDカードの存在を隠したい様子で手の中にそれを握ると今度は彼が慌ててその場を立ち去ろうと歩き出した。
その後ろ姿を見送りながら啓が
「いいか二村。一昨日俺のとこに乗り込んできたのは見逃してやる。それこそ覚えのない汚名だ。俺があの場で偽のSDカードを壊したのは俺のささやかな反撃だ。
お前が何を考えてるのか分からねぇが、今後何があってもお前の好きにはさせないからな」
立ち去る二村さんの後ろ姿が一瞬こちらを振り向き
「か、考えすぎですよ」と弱弱しく言い、逃げ去るようにフロアに入っていった。
残されたあたしたちは顔を見合わせほんの少し笑いあった。
思えば―――こうやって啓と笑い合えたのは別れてから初めてかも。
「これでカードは二枚揃った」
Now two pairs.(これでツーペア)
「見てろよ二村」
Just watch me.(みてなさい二村さん)
「必ず化けの皮を剥いでやる」
I will surely remove unmask.(必ず化けの皮を剥いでやるわ)
We will win.
(勝つのはあたしたちよ)