Fahrenheit -華氏- Ⅲ


紫利さんは昇ってきたエレベーターの箱に乗ろうとした。俺の横を通り過ぎる間際、彼女の愛用しているAddictが香ってきた。


俺は紫利さんの手を握った。紫利さんが怪訝そうに顔を上げる。


「紫利さん、携帯の番号教えて。こないだ紫利さんと別れてから削除しちまってさ」


紫利さんは呆れたように


「あんたがそこまでバカだとは知らなかった。遊び相手なら他を探してちょうだい」と冷たい一言。


「違う」俺は言い切った。


独りじゃ抱えきれない。だったら―――




「力に―――なって欲しいんだ」




協力してくれる人の力を頼るしかない。




紫利さんは目を開いて


「いいわよ、ただし私はあくまで力を貸すまでよ。あとは二人で乗り越えなさいな」


紫利さんは俺たちが付き合っていたときと同じように、妖艶な微笑みを浮かべてウィンク。


「これ、番号変わってないわ」


と人差し指と中指で挟み、差し出されたのは一枚の


名刺―――


『クラブ マダムバタフライ  月香』


と書かれていて、裏面に11桁のナンバーが手書きで書いてあった。


「クラブ?戻ったの?」俺が目をまばたきさせると


「期間限定でね。一か月か二か月程だけ。萌羽が休暇中でヘルプで入るだけよ」


モエハ―――ああ…あの紫利さんの妹のような……
(※Addict -中毒-参照)


俺は名刺を表裏眺め


「サンキュ」と言って名刺に小さくキス。


紫利さんは意地悪そうに微笑み




「相変わらずワルい男。


でも同じだけイイ男ね、啓人は。



好きになっちゃたらどうしましょ」




「好きにならねぇよ、貴女は。宿り木は必要としてないんだろ?


貴女が戻る場所はたった一つの花」


俺が笑うと


「あーあ、勿体ないことしたわね、私も。こんなイイ男に育っちゃって、ちょっと悔しいわ」


紫利さんも笑い、彼女はエレベーターの中へ足を踏み入れた。


「あ、そうそう。車で来たのなら代行頼みなさいよ」


「は~い」


俺はひらひらと手を振った。


俺は紫利さんと同じエレベーターに乗ることはしなかった。


急速に降りていく数字を見やり、名刺と見比べ



「紫利さん、最高にイイ女だったな」



俺は笑いかけた。

< 76 / 608 >

この作品をシェア

pagetop