Fahrenheit -華氏- Ⅲ
紫利さんは昇ってきたエレベーターの箱に乗ろうとした。俺の横を通り過ぎる間際、彼女の愛用しているAddictが香ってきた。
俺は紫利さんの手を握った。紫利さんが怪訝そうに顔を上げる。
「紫利さん、携帯の番号教えて。こないだ紫利さんと別れてから削除しちまってさ」
紫利さんは呆れたように
「あんたがそこまでバカだとは知らなかった。遊び相手なら他を探してちょうだい」と冷たい一言。
「違う」俺は言い切った。
独りじゃ抱えきれない。だったら―――
「力に―――なって欲しいんだ」
協力してくれる人の力を頼るしかない。
紫利さんは目を開いて
「いいわよ、ただし私はあくまで力を貸すまでよ。あとは二人で乗り越えなさいな」
紫利さんは俺たちが付き合っていたときと同じように、妖艶な微笑みを浮かべてウィンク。
「これ、番号変わってないわ」
と人差し指と中指で挟み、差し出されたのは一枚の
名刺―――
『クラブ マダムバタフライ 月香』
と書かれていて、裏面に11桁のナンバーが手書きで書いてあった。
「クラブ?戻ったの?」俺が目をまばたきさせると
「期間限定でね。一か月か二か月程だけ。萌羽が休暇中でヘルプで入るだけよ」
モエハ―――ああ…あの紫利さんの妹のような……
(※Addict -中毒-参照)
俺は名刺を表裏眺め
「サンキュ」と言って名刺に小さくキス。
紫利さんは意地悪そうに微笑み
「相変わらずワルい男。
でも同じだけイイ男ね、啓人は。
好きになっちゃたらどうしましょ」
「好きにならねぇよ、貴女は。宿り木は必要としてないんだろ?
貴女が戻る場所はたった一つの花」
俺が笑うと
「あーあ、勿体ないことしたわね、私も。こんなイイ男に育っちゃって、ちょっと悔しいわ」
紫利さんも笑い、彼女はエレベーターの中へ足を踏み入れた。
「あ、そうそう。車で来たのなら代行頼みなさいよ」
「は~い」
俺はひらひらと手を振った。
俺は紫利さんと同じエレベーターに乗ることはしなかった。
急速に降りていく数字を見やり、名刺と見比べ
「紫利さん、最高にイイ女だったな」
俺は笑いかけた。