Fahrenheit -華氏- Ⅲ
だからって、俺も貰っても要らないものだけど。とは言えなかった。
俺は初めて、瑠華以上に怖い女を目の前にしているわけだから。
「返事は急ぎません。まだ三日あるので。当日でもいいですよ?柏木補佐と復縁したいのならあたしと手を組みましょう。
ぶちょー」
瑞野さんは手を差し伸べてきたが、それに握手する気にはなれなかった。
ふぅ
瑞野さんは小さく可憐に吐息を吐き
「ちょっと脅し過ぎちゃったかな。でもこれがあたしの”素”ですよ」
瑞野さんはちょっと悲しそうに笑った。
「ここに―――」
瑞野さんは俺の胸元にそっと手を這わした。首元から降りて行った手はやがて瑠華と御揃いのペアリングが下がっている場所で―――
「大切なもの、絶対取り返してください。
柏木補佐には―――
幸せになってもらいたい」
瑠華―――?俺ではなく瑠華を指定した意味は―――
「君は―――今、精一杯演技をしてるんじゃないか?ワルい女を演じてるんじゃないか?」
瑞野さんが目を開いた。
俺が右手をゆっくりと上げ、それを振りかざす真似をすると、瑞野さんは顔を庇うように顔を背けた。
俺の手は―――勿論、瑞野さんをぶつつもりなんて1ミリもない。そもそも女に暴力を振るったことなんて一度もない。だが、俺のこの動作で瑞野さんはさっきの狂気をすっかり仕舞いこみ、全身をガタガタと小刻みに震わせている。
やはりな―――以前、俺はエレベーターの中で瑞野さんと瑠華まで巻き込んで言い合いになったことがある。(FahrenheitⅡ参照)あのとき二村は意図していたわけじゃないが瑠華の腕を打った。あの時のあの表情―――
瑞野さんの過去に何があったのか知らないが、瑞野さんは男からの暴力に過剰な反応を見せる。相手が俺でなかったらもしかして手が出てたかもしれない。でも俺は手を上げない、と瑞野さんは賭けたんじゃないかな。
俺は瑞野さんの頭をぽんぽんと撫でると、瑞野さんがゆっくりと顔をこちらに向け
「やられっぱなしじゃなんだから威嚇しただけ」と強引に笑うと、瑞野さんは震えながらも口元をきゅっと結び
「笑えない冗談ですね」と小さく言い、震えているのを誤魔化そうとして何とか立ち上がった。
「ではあたしもこれで失礼します。いい返事、待ってますね」と強引に笑いながらバッグを掴み、今度こそ会場から出て行った。