安倍家の養子になりまして
それは、晴明の助手になることが決まって三日ほど経った頃。

なんとなく京の町を歩きたくなって、市に出ていた。

母上から授かった薬草の知識を活かして薬師をしている身としては、やはり一番に目が向くのは、怪しげな干物や見たこともない乾いた植物が並ぶ薬種屋(やくしゅや)だ。

さすが都というべきか。

京の町は発展していて、食事処に呉服屋、雑貨屋から宿屋まで、あらゆるお店が賑わいを見せている。

子供達が元気に走り回る姿もあった。

薬屋も何軒かあり、どこも老舗という雰囲気をかもし出している。

「おい、なんだあれ。喧嘩か?」

「誰か因縁をつけられてるらしい」

町の人の声に気を取られて視線を向けると、ガラの悪そうな男が五人ほどで誰かを囲んでいた。

「お前は、―――だろ」

「―――からの指示でよ」

遠くからじゃ何て言っているのか聞き取れないけど、穏やかではなさそうだ。

「良いから大人しくこっちに―――」

突然、男は大きな荷物のようにその場に倒れ込んだ。

地面に投げ出された五人は、四肢を放り投げてピクリとも動かない。

「すみません、私は薬師です!通して下さい!」

ざわつく人達の間を掻き分けて駆け寄ると、笠越しに視線を感じた。

笠を被った男性が数歩下がって私に場所を譲る。

(この人のことも気になるけど、今はそれどころじゃないな)

倒れた男性の脈を取り、呼吸を確認する。

「大丈夫ですか?私の声、聞こえますか!?」

脈はあるけど気絶している。

いっぺんに倒れたってことは病とかじゃないよね。眠り薬とか、毒針とか?

だとするとこの中で一番怪しいのは……

「一体、何があったんですか?」

謎の男性を振り返り、尋ねてみる。

「さぁ?彼らに金子(きんす)を奪われそうになって困っていたら急に倒れて驚いたよ」

​悪びれもせず、どこか他人事のように語るその声。

(あれ……?)

ふと、数日前にどこかで聞いたことがあるような既聴感が頭をよぎり、違和感を覚える。けれど、今は目の前の負傷者の処置が先決だ。そんなことを深く考えている場合ではない。

「急に、ですか?」

「君はどう思う?親切で健気な薬師さん?」

今度ははっきりと笠の下でくすりと笑う声が聞こえた。

「天罰って本当にあるのかな?そして、人に害をなそうとした彼らにそれが当たったのだとしたら、果たして君が助けてあげる必要はあるのかな?」

笑みを含んだ上品な口調に、動揺や敵意は感じられない。
私は立ち上がり、服についた土を軽く払いながら、笠の男性の視線を正面から受け止めるように言った。

「薬師としては、善人と悪人を区別して治療することができません。だから天罰だったら困ります。原因が分からないので」

​「ふうん……」

​笠の奥の瞳が、面白そうに細められたような気がした。

男は顎に手を当て、私の言葉を吟味するように少しの間を置く。

「素敵な答えだね。どうやら君の優しさは平等に振り注ぐらしい。取り敢えず何処かに運ぼうか。往来に置きっ放しにしておくと、他の人の迷惑になってしまうからね」

「そ、そうですね」

彼は辺りを見渡し、近くの呉服屋の商人を捕まえた。

「ねぇ、彼らに部屋を一部屋貸してもらえるかな?」

✳✳✳

男達が呉服屋の奥に運ばれたあと、帰ろうとする男性の袖を引っ張り、引き止めた。

​その瞬間、不意に引っ張られた勢いで、彼の頭を覆っていた日除けの笠がパサリと地面へ落ちた。

​露わになったその顔を見た瞬間、私は息を呑み、言葉を失った。

整った切れ長の眉に、悪戯っぽく揺れる涼やかな瞳、そしてすべてを見透かすような上品な微笑み。

「どうしたの?」

「……泰仁さん?」

「正解」

​泰仁さんは地面の笠を拾い上げると、困ったように、けれどどこか嬉しそうにふわりと微笑んだ。

「あの、もしよろしければ貴方も診察させてもらえませんか?」

「理由を聞いても?」

警戒して尋ねているというよりも、面白がっているような口調で泰仁さんは首を傾げる。

「倒れた原因が分からない以上、毒を持つ虫や蛇の仕業だとしたら、近くにいた貴方の身体も調べた方が良いかと」

情報を聞き出したくて引き止めたけど、これも紛れもなく本心だ。

「なるほどね。ありがとう、君の温厚に甘えさせてもらうよ」

慣れない駆け引きのやり取りに心臓がバクバクと音を立てるのを隠しながら、私は深く頭を下げた。

「ご協力ありがとうございます」

「はい、煮るなり焼くなり好きにしていいよ」

「煮ても焼いても食べられないですよ……なんとなくですけど」

「意外に言うね。好きだよ、そういうのは」

着物の裾から出された足首を確認しながら会話を続ける。

「泰仁さんは旅を続けていて、良いなぁって思った場所はありますか?」

「旅の思い出の場所?」

せっかくなので、旅人の話も聞いてみたい。

「はい!実は私の母上と父上、夫婦旅に行っていまして、定期的にお土産を送ってくれるんです!」

「それは良かったね。桃花さんはどういうお土産がお気に入り?」

「えー、そうですねー。やっぱりお茶菓子が嬉しいです!」

「良いね、お茶菓子。俺もお茶菓子は好きだよ。唐菓子や削り氷、桃や栗も好きだね」

「私も果物大好きです!削り氷?っていうのは初めて聞きましたけど……」

「食べてみる?」

​そう言って、泰仁さんはまるで見守るような優しい笑みを深めた。

「はい!果物も乗せたいな〜……」

いつの間にか自分の好きなものの話にすり替えられていたことに気づき、私は「あ」と小さく声を漏らしてしまう。

​(聞き出したいことがたくさんあったのに、すっかり主導権を握られてる……!)

​この人は本当に、対話の主導権を握り、人の心を自分の歩調に巻き込むのが恐ろしいほど上手い。さすがは晴明を手のひらで転がすだけのことはあると、妙なところで感心してしまった。

手足を確認しても、何かに噛まれたような痕は見えない。

「大丈夫そうですね、毒虫に刺された痕もありませんし、至って健康そのものです」

​私がそう言って手を離すと、泰仁さんは「それは良かった」と、自身の着物の裾を整え直した。

​楽しそうに肩を揺らす泰仁さん。これだけ近くにいて、五人を一瞬で気絶させた『何か』の影響を全く受けていない。それが彼の持つ幸運なのか、あるいはそれ以上のものなのかは私には分からなかったけれど、ひとまずはホッと胸をなでおろす。

「本当は俺の持ち物を知りたいんじゃないかな?」

「……!」

(バレてる!?)

「まぁ彼らの近くにいた俺を疑うのは当然だよね」

​核心を突かれ、私の心臓がどきりと大きな音を立てた。

泰仁さんはそんな私の動揺を見透かすように、悪戯っぽく微笑んでいる。怒っている様子はなく、むしろこちらの出方を試して楽しんでいるかのようだ。

(言い訳はできないな)

「不躾(ふしつけ)に感じられたら申し訳ありません」

「いいよ、謝らなくて」

泰仁さんは懐から手拭いやお金を取り出して床の上に置いた。

「ああ、衣服も脱いだ方が良いかい?」

「い、いえ……さすがにそこまでして頂く訳には……。念のため着物の上から軽く触れても構いませんか?」

「どうぞ」

ふわりと微笑んで両手を広げた泰仁さんに近づくと、ふんわりとした柑橘(かんきつ)の香(こう)の匂いが鼻先をくすぐる。

「失礼します……」

​私は緊張で指先が少し震えるのを悟られないよう、そっと泰仁さんの着物の上から肩や背中、腕のあたりに触れていった。

もし何か硬いものや、怪しい呪具、あるいは毒を仕込んだ暗器のようなものを隠し持っているなら、服越しでも違和感があるはずだ。

「自分で触れるならともかく、一方的にふれられるのは少し緊張するね」

「……やましい気持ちはありませんから!」

「そういう気持ちを抱いてもらえるように君を誘惑するべきかな?」

「からかってますか?緊張するなんて嘘ですよね」

「うん」

​泰仁さんは悪びれもせずにくすくすと笑い、広げていた両手を下ろした。そのあまりにも自然で堂々とした態度に、私の緊張もどこかへ拍子抜けしてしまう。

「泰仁さんって実は意地悪な人ですか?」

「疑われていることへの、ささやかな意趣返しだとしたら?」

「うっ……」

「……君が抱えているらしい罪悪感にもう少しつけ込んでも良さそうだ」

「ダメです!」

​私が慌てて両手を前に出してバツ印を作ると、泰仁さんは「あはは」と、今日一番の楽しそうな声を上げて笑った。

✳✳✳

「ねぇ晴明」

「なーにー?」

家に帰るとゴロゴロしていた晴明に今日あったことを話した。

「――というわけ。本当に不思議な人だったなぁ、泰仁さんって。男達が一瞬で倒れたのも、結局原因は分からずじまいだし……」

​私が一通り話し終えると、それまで畳の上で芋虫のように転がっていた晴明の動きが、完全にピタリと止まった。

​「……晴明?」

​声をかけても、返事がない。

ただ、彼の背中から、今まで感じたこともないような、おぞましくも冷や冷やとした冷気がじわじわと這い出てくるのが分かった。

「桃花」

「どうしたの?」

「明日、陰陽寮と内裏に案内するよ」

「急だね!?」

​突然の宣言に、私は思わず目を丸くした。

「予言しようか」

「?」

「明日、とても驚くことが起きるよ」
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