気付けば、隣にいた - 無愛想な同居人は、不器用に優しい。 -
「よーし!」
希遥さんが鍋の蓋を開ける。
「完成!」
ふわっと湯気が立ち上り、部屋いっぱいにだしのいい香りが広がる。
「うまそ」
「希遥さんきゅ」
「いただきます!」
みんなで手を合わせる。
温かい鍋を囲んでいるだけなのに、自然と会話も弾んでいく。
「今日、大学寒かったな」
柊弥さんが白菜を取り分けながら言う。
「風強かったですよね」
「俺、朝自転車で死ぬかと思った」
「柊弥さん運動不足じゃないですか?」
「失礼だな」
「図星?」
「……否定はしない」
「認めるんだ!」
希遥さんが声を上げて笑う。
私もつられて笑う。
いつもの夜。
いつもの食卓。
本当なら、何も変わらないはずなのに。
ふと気を抜くと、昼間の光景が頭に浮かぶ。
黒いコート。
柱の陰。
まっすぐこちらを見ていた視線。
どうして、あそこにいたんだろう。
偶然だった。
そう思おうとしても、胸の奥のざわつきは消えてくれない。
「茉桜」
突然名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。
「ん?」
目の前には、小皿へ取り分けられた肉と野菜。
それを置いた想くんは、何事もなかったように自分の皿へ視線を戻していた。
「全然食ってない」
「あ……」
言われて初めて気付く。
取り皿には、ほとんど手を付けていなかった。
「ごめ──」
言いかけて、口を閉じる。
『謝るな』
風邪をひいた夜、想くんに言われた言葉が頭をよぎった。
「……ありがと」
言い直すと、想くんは少しだけこちらを見た。
「ん」
それだけ返して、また鍋へ箸を伸ばす。
ほんの一言。
それだけなのに、不思議と少しだけ心が軽くなった。
だけど。
私の中に残るあの違和感だけは、まだ静かに胸の奥で広がり続けていた。