あなたはどこで笑っていますか?
夜の空気はまだ少し湿っていた。
松永季穂は病院の裏口を出てゆっくりと歩き出した。
1日の終わりなのに、頭の中ではまだ仕事が続いている。

あの処置はあれでよかったのか。
あの声かけはもっと違う言い方があったのではないか。
何度も繰り返しても、正解にはたどり着かない

「向いてないのかもしれない」

そんな言葉が喉の奥で形になりかけては消える。
その時だった。
視界の端に小さな光が落ちているのが見えた。

スマートフォン。

誰かが落としたまま夜の歩道に取り残されている。
拾い上げると画面はまだ点灯していた。
通知もない。ロック画面もない。

ただそこに"開かれている状態"だけがあった。
触れていないのに画面が切り替わる。

メモアプリ。

白い画面の中央でカーソルだけが静かに点滅している。
次の瞬間文字が1行だけ増えた。

「誰かがこの画面を見ているなら」

松永の指が止まる。
風の音だけが役にと感じた。
スマートフォンは誰の手にも触れられていないのに続きの文字を表示する。
まるで今この瞬間に誰かが書いているように

「私はもうこの世界にいないかもしれません」

息が浅くなる。
画面を閉じようとしてできない。
指が動かないのではない。
見てはいけないものを見ているような感覚だけが体の奥に残っている。

そして次の1行が静かに現れた。

「これは私の話です」

夜の音が一瞬だけ消えた気がした。
< 1 / 2 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop