身代わり結婚のはずが、冷徹眼鏡公爵様に溺愛される〜元新婦に身体を押し売りされて、幽霊として憑かれているのですが!?〜
3 目覚めたら人妻でした
チュンチュンと、スズメの鳴く声が聞こえてくる。薄く目を開けると、朝日が眩しい。
『あら、目が覚めた? おはよう、スミレ』
「ふぁ……、はい、おはようございます……。検温の時間ですか?」
私は欠伸をして、目を擦る。
『なにを寝ぼけていますの? 仕方ない子ですわね。昨夜のこと、もうお忘れ?』
「――っ!?」
こちらを覗き込んでいる美女の幽霊を見て、昨夜の出来事を全て思い出した。
昨夜は色々なことがあり過ぎたせいか、疲れ果てて泥のように眠ってしまった。何と言ってもこのキングサイズのふかふかのベッドは、寝心地が良すぎる。
『もうすぐ朝の支度のためにメイドが来ると思いますわ。その前に、あなたには色々と教えておこうと思いますの、いいですわね?』
「は、はい。お願いします」
『ここはヴァレンシュタイン公爵邸。昨夜会った男は公爵家の当主、アルフレッドですわ。年齢は25歳』
(そっか、25歳。私より二つ上なのね……)
私は昨夜出会った黒髪眼鏡の男性の顔を、ぼんやりと思い出す。
ここは夫婦の部屋のようだけど、黒髪眼鏡さんが来たような気配は見られない。ベアちゃんの旦那様のはずだが、あまり仲が良くなさそうだった。
「ベアちゃんはいくつなの?」
彼女のことも何も知らないと思って、こちらから尋ねてみた。
『私は20歳ですわ』
「え! 20歳!?」
私が驚いて声を上げると、彼女は不機嫌そうな顔をした。
『何をそんなに驚いてますのよ?』
「あ、ごめんなさい。すごく大人っぽいから年上かと……」
『スミレは23でしたわよね? 私からすれば、あなたの方が子供にしか見えませんわ』
「……はは……、ですよねー」
私は苦笑いしつつ、頭を掻いた。ベアちゃんと比べれば、童顔で幼児体型の私なんて本当に子供のようだ。
『話を戻しますわよ!』
ベアちゃんは色々と教えてくれた。
彼女、ベアトリスはマルソー侯爵家の長女で、昨日、公爵であるアルフレッドとの結婚式を終えたばかりだった。
彼の父は昨年、母は五年前に亡くなっている。
そして、結婚式を終えたばかりの昨夜に、ベアちゃんはこの寝室のバルコニーから飛び降りた――というのだった。
「あの、……どうして、そんなことを?」
理由を聞いてもいいのか悩んだが、ためらいつつも尋ねる。ベアちゃんはこちらから視線を逸らすと、ゆっくりと口を開いた。
『……私、好きな方がいますのよ。叶わない恋だというのは最初から分かっていますわ。だけど、その気持ちを抑えたまま、ただの歯車としてこの家で生きていくことに……耐えられなかったのですわ』
(それって、昨日言っていた、女性の……?)
彼女の苦しげな横顔を見ていると、私の胸もきゅっと締め付けられる。今まで感じたことのない、切ない気持ちが溢れ出した。
(もしかして、この身体が反応してるってことなのかな……?)
『とにかく! スミレは夢だった結婚をして、ここでベアトリスとして生きていくのですわ! 頼みましたわよ!』
彼女からは悲しげな表情は消え、私に発破をかける。
「でも、急に結婚なんてっ! それに私に公爵夫人なんて務まるわけないよ! 教養もマナーも何も知らないんだよ!?」
『それは私がいくらでも教えますわよ。安心なさい!』
「うぅ……、でもぉ」
不安で項垂れていると、コンコンとドアがノックされた。
『メイドが来たようですわ。ほら、しゃきっとしなさい、公爵夫人!』
ベアちゃんに喝を入れられ、慌てて背筋を伸ばした。
(でも、でも、やっぱり、不安だよー)
メイドさんたちに身支度を手伝ってもらい、私は朝食をとるためにダイニングルームへ向かった。
若いメイドさんに案内され、お屋敷の長い廊下を進む。廊下には大きな絵画が並んで飾られ、装飾が施された高価そうな花瓶もところどころに置かれている。
まるで、美術館を訪れたかのようで、ワクワクしながら辺りを見回していた。
『ちょっとスミレ。そんなにキョロキョロしないで。挙動不審ですわよ』
ベアちゃんの呆れ声が聞こえて、慌てて体裁を整える。
「あ、ごめん……」
私が謝ると、前を歩いていたメイドさんが振り返った。
「何かございましたでしょうか?」
(わっ、口に出てた!?)
「いいえ、なん、何でもありませんわ……、おほほ」
私が笑って誤魔化しているうちに、目的地に到着したようだ。
「奥様、こちらでございます。どうぞ」
メイドさんが部屋の扉を開けてくれた。
(おっ、奥さ……っ!? そ、そうか、そうだった……。……奥様……)
慣れない呼び方にどこか気恥ずかしさを感じつつ、扉の中へ足を踏み入れた。
部屋に入ると、既に着席していた黒髪眼鏡さん、……アルフレッド様がこちらを一瞥する。眼鏡の奥に見えるアイスブルーの瞳と一瞬合ったが、すぐに逸らされた。
「奥様、こちらへどうぞ」
「は、はい」
中年の執事さんが私に声を掛けてくれたのでそちらに向かうと、スッと椅子を引いてくれた。平静を装いながら腰を掛けたが、内心はかなり不安でいっぱいだ。
長いテーブルの向こうの端に座るアルフレッド様は、特にこちらを気にする様子はなく、カップに口を付けている。
部屋の壁際には燕尾服のような制服を着た若い男性や、メイドさんが数人並んで立っていた。
(こ、こんなに注目された中で食べるの!? き、緊張するんだけど!)
背中を嫌な汗が流れ落ちるのを感じつつ、しばらく待っていると、メイドさんがテーブルにお皿を並べ始めた。おいしそうないい匂いが鼻をくすぐる。
焼き立てのクロワッサンに、ふわふわのオムレツに似た卵料理。こんがり焼いたベーコンに温野菜が添えられている。湯気の立った野菜のスープなど、どれもおいしそう。
病院食以外の食事は久しぶりなので心が躍る。
(病院食も私のためを考えてくれた食事って分かってるし、もちろん感謝していますよ! って、誰に弁解してるんだか……)
自分に苦笑いしつつ、まずはクロワッサンを手に取った。
「……いただきます」
かぶりつくとサクッとした歯ごたえがして、ふわりとバターの香りが口いっぱいに広がる。
(ん! おいしい!)
次はオムレツをフォークで掬って口に運ぶと、口の中でとろけた。どれを食べても最高においしい。
私が朝食を堪能していると、アルフレッド様が静かに立ち上がった。お皿には、まだかなりの量の食事が残されている。
(え……、もう終わり……?)
こちらに背を向け、ダイニングルームを出ていこうとする。
「……あ、あのっ」
考えるよりも早く、彼を呼び止めてしまった。
「……なんだ?」
振り返った彼の、鋭い視線が突き刺さる。
「えっと……、アルフレッド様はどちらへ?」
私の問いに眉がピクリと動く。
「……執務室へ戻る。君は自由に過ごして構わない。……何か用があるなら家令のセドリックに言え」
それだけ言い残し、部屋を出ていった。
『キーッ、なんですの、あの態度! 自由に過ごせって、公爵家に必要無いってことですの!? 馬鹿にしてますわ!』
ベアちゃんの怒号が響いているが、私はアルフレッド様の今の言葉を反芻していた。
(自由に過ごしていいって……、そう言ったよね……?)
私は高鳴ってくる胸を押さえた。
(じゃあ……、こんな素敵なお屋敷を探検したり、この窓から見える広い庭園をお散歩したり。……自由にしていいんだ!)
「やった、嬉しい……っ!」
『……はぁ、あなたって子は……、まったく……』
ベアちゃんの呆れるような溜息は、私には聞こえなかった。
『あら、目が覚めた? おはよう、スミレ』
「ふぁ……、はい、おはようございます……。検温の時間ですか?」
私は欠伸をして、目を擦る。
『なにを寝ぼけていますの? 仕方ない子ですわね。昨夜のこと、もうお忘れ?』
「――っ!?」
こちらを覗き込んでいる美女の幽霊を見て、昨夜の出来事を全て思い出した。
昨夜は色々なことがあり過ぎたせいか、疲れ果てて泥のように眠ってしまった。何と言ってもこのキングサイズのふかふかのベッドは、寝心地が良すぎる。
『もうすぐ朝の支度のためにメイドが来ると思いますわ。その前に、あなたには色々と教えておこうと思いますの、いいですわね?』
「は、はい。お願いします」
『ここはヴァレンシュタイン公爵邸。昨夜会った男は公爵家の当主、アルフレッドですわ。年齢は25歳』
(そっか、25歳。私より二つ上なのね……)
私は昨夜出会った黒髪眼鏡の男性の顔を、ぼんやりと思い出す。
ここは夫婦の部屋のようだけど、黒髪眼鏡さんが来たような気配は見られない。ベアちゃんの旦那様のはずだが、あまり仲が良くなさそうだった。
「ベアちゃんはいくつなの?」
彼女のことも何も知らないと思って、こちらから尋ねてみた。
『私は20歳ですわ』
「え! 20歳!?」
私が驚いて声を上げると、彼女は不機嫌そうな顔をした。
『何をそんなに驚いてますのよ?』
「あ、ごめんなさい。すごく大人っぽいから年上かと……」
『スミレは23でしたわよね? 私からすれば、あなたの方が子供にしか見えませんわ』
「……はは……、ですよねー」
私は苦笑いしつつ、頭を掻いた。ベアちゃんと比べれば、童顔で幼児体型の私なんて本当に子供のようだ。
『話を戻しますわよ!』
ベアちゃんは色々と教えてくれた。
彼女、ベアトリスはマルソー侯爵家の長女で、昨日、公爵であるアルフレッドとの結婚式を終えたばかりだった。
彼の父は昨年、母は五年前に亡くなっている。
そして、結婚式を終えたばかりの昨夜に、ベアちゃんはこの寝室のバルコニーから飛び降りた――というのだった。
「あの、……どうして、そんなことを?」
理由を聞いてもいいのか悩んだが、ためらいつつも尋ねる。ベアちゃんはこちらから視線を逸らすと、ゆっくりと口を開いた。
『……私、好きな方がいますのよ。叶わない恋だというのは最初から分かっていますわ。だけど、その気持ちを抑えたまま、ただの歯車としてこの家で生きていくことに……耐えられなかったのですわ』
(それって、昨日言っていた、女性の……?)
彼女の苦しげな横顔を見ていると、私の胸もきゅっと締め付けられる。今まで感じたことのない、切ない気持ちが溢れ出した。
(もしかして、この身体が反応してるってことなのかな……?)
『とにかく! スミレは夢だった結婚をして、ここでベアトリスとして生きていくのですわ! 頼みましたわよ!』
彼女からは悲しげな表情は消え、私に発破をかける。
「でも、急に結婚なんてっ! それに私に公爵夫人なんて務まるわけないよ! 教養もマナーも何も知らないんだよ!?」
『それは私がいくらでも教えますわよ。安心なさい!』
「うぅ……、でもぉ」
不安で項垂れていると、コンコンとドアがノックされた。
『メイドが来たようですわ。ほら、しゃきっとしなさい、公爵夫人!』
ベアちゃんに喝を入れられ、慌てて背筋を伸ばした。
(でも、でも、やっぱり、不安だよー)
メイドさんたちに身支度を手伝ってもらい、私は朝食をとるためにダイニングルームへ向かった。
若いメイドさんに案内され、お屋敷の長い廊下を進む。廊下には大きな絵画が並んで飾られ、装飾が施された高価そうな花瓶もところどころに置かれている。
まるで、美術館を訪れたかのようで、ワクワクしながら辺りを見回していた。
『ちょっとスミレ。そんなにキョロキョロしないで。挙動不審ですわよ』
ベアちゃんの呆れ声が聞こえて、慌てて体裁を整える。
「あ、ごめん……」
私が謝ると、前を歩いていたメイドさんが振り返った。
「何かございましたでしょうか?」
(わっ、口に出てた!?)
「いいえ、なん、何でもありませんわ……、おほほ」
私が笑って誤魔化しているうちに、目的地に到着したようだ。
「奥様、こちらでございます。どうぞ」
メイドさんが部屋の扉を開けてくれた。
(おっ、奥さ……っ!? そ、そうか、そうだった……。……奥様……)
慣れない呼び方にどこか気恥ずかしさを感じつつ、扉の中へ足を踏み入れた。
部屋に入ると、既に着席していた黒髪眼鏡さん、……アルフレッド様がこちらを一瞥する。眼鏡の奥に見えるアイスブルーの瞳と一瞬合ったが、すぐに逸らされた。
「奥様、こちらへどうぞ」
「は、はい」
中年の執事さんが私に声を掛けてくれたのでそちらに向かうと、スッと椅子を引いてくれた。平静を装いながら腰を掛けたが、内心はかなり不安でいっぱいだ。
長いテーブルの向こうの端に座るアルフレッド様は、特にこちらを気にする様子はなく、カップに口を付けている。
部屋の壁際には燕尾服のような制服を着た若い男性や、メイドさんが数人並んで立っていた。
(こ、こんなに注目された中で食べるの!? き、緊張するんだけど!)
背中を嫌な汗が流れ落ちるのを感じつつ、しばらく待っていると、メイドさんがテーブルにお皿を並べ始めた。おいしそうないい匂いが鼻をくすぐる。
焼き立てのクロワッサンに、ふわふわのオムレツに似た卵料理。こんがり焼いたベーコンに温野菜が添えられている。湯気の立った野菜のスープなど、どれもおいしそう。
病院食以外の食事は久しぶりなので心が躍る。
(病院食も私のためを考えてくれた食事って分かってるし、もちろん感謝していますよ! って、誰に弁解してるんだか……)
自分に苦笑いしつつ、まずはクロワッサンを手に取った。
「……いただきます」
かぶりつくとサクッとした歯ごたえがして、ふわりとバターの香りが口いっぱいに広がる。
(ん! おいしい!)
次はオムレツをフォークで掬って口に運ぶと、口の中でとろけた。どれを食べても最高においしい。
私が朝食を堪能していると、アルフレッド様が静かに立ち上がった。お皿には、まだかなりの量の食事が残されている。
(え……、もう終わり……?)
こちらに背を向け、ダイニングルームを出ていこうとする。
「……あ、あのっ」
考えるよりも早く、彼を呼び止めてしまった。
「……なんだ?」
振り返った彼の、鋭い視線が突き刺さる。
「えっと……、アルフレッド様はどちらへ?」
私の問いに眉がピクリと動く。
「……執務室へ戻る。君は自由に過ごして構わない。……何か用があるなら家令のセドリックに言え」
それだけ言い残し、部屋を出ていった。
『キーッ、なんですの、あの態度! 自由に過ごせって、公爵家に必要無いってことですの!? 馬鹿にしてますわ!』
ベアちゃんの怒号が響いているが、私はアルフレッド様の今の言葉を反芻していた。
(自由に過ごしていいって……、そう言ったよね……?)
私は高鳴ってくる胸を押さえた。
(じゃあ……、こんな素敵なお屋敷を探検したり、この窓から見える広い庭園をお散歩したり。……自由にしていいんだ!)
「やった、嬉しい……っ!」
『……はぁ、あなたって子は……、まったく……』
ベアちゃんの呆れるような溜息は、私には聞こえなかった。