不倫の恋
「ああ、いいよ。すぐに着替えてくるから待っててくれ」
貞夫が部屋を出ていき、ふみと愛斗の二人だけが残された瞬間、ふみは素早く愛斗の胸元へと身を寄せ、そのまま熱く唇を重ねた。短くも深い口づけを交わし、息を整えて顔を上げると、互いの目を見つめ合い、二人はくすくすと声を殺して笑い合った。ほんの数分の時間が、まるで永遠のようにも感じられた。だがやがて、廊下を歩いてくる足音が近づき、貞夫が着替えを済ませて戻ってくるのが分かった。三人は顔を見合わせて頷き合い、何事もなかったように表に出て、連れ立って店へと向かった。
もっちゃん」はこの辺りで長年愛され続けている昔ながらの食堂で、暖簾をくぐると、湯気と料理の良い香りがふわりと迎えてくれた。木製のテーブルと椅子が並ぶ店内は、どこか懐かしくて落ち着く空気に包まれている。席に着くと三人はメニューを広げ、それぞれ食べたい料理を注文した。他愛もない世間話に花を咲かせ、笑い声が絶えない中、やがて店の名物だという皿うどんが大きな皿にたっぷりと盛られて運ばれてきた。
さっくりと黄金色に揚げられた麺の上に、色とりどりの野菜や具材が入ったとろりとしたあんかけがたっぷりとかけられ、湯気がふわりと舞い上がって、食欲をそそる香りが辺りに広がる。
「お待たせしました。名物の皿うどんです」
店員がテーブルの真ん中に料理を置いて立ち去ると、三人は顔を見合わせて手を合わせた。
「いただきます」
柔らかな声が重なり、箸とスプーンを手に、熱々の皿うどんを口に運んでいく。ふみが楽しそうに話す横顔を、愛斗は時折そっと盗み見た。心の奥底には、言い表せないほどの幸せがじんわりと満ちている一方で、小さな棘のような痛みが、ゆっくりと溶け合って存在していることを、彼ははっきりと感じていた。
そんなふたりの様子に気づくこともなく、料理の味や日常の話に夢中になっていると、奥の調理場から店の主人である茂山幸輝が笑顔でこちらへと歩いてきた。
「お、ふみさん。今日のニュースで公園の特集をやってたんだけど、ふみさんが写ってたよ。しっかり録画してあるから、よかったら見せてあげるよ」
幸輝はカウンターに置いてあったテレビのリモコンを手に取ると、さっと録画した画面を呼び出した。そこには、つい先日愛斗と二人で公園を歩き、話をしている様子がはっきりと映し出されていた。
「……二人で行ってたのか? 前に、友達とランチに行くって言ってたじゃないか」
貞夫のまっすぐな視線がふみに向けられ、彼女は突然のことに動揺を隠せず、言葉に詰まりそうになった。慌てて取り繕うように、言葉を選んで口を開く。
「そ、それはね……。友達と約束してたんだけど、急に用事が入っちゃって行けなくなっちゃったの。せっかく買ったチケットも無駄になっちゃうし、どうしようって悩んでたときに、たまたま愛斗くんに会ったの。だから急遽誘ったのよ。それで、カメラの使い方とか撮り方のコツとか、色々教えてあげたの」
慌てたふみの言葉に合わせるように、愛斗もすぐに頷いて、柔らかい声で続けた。
「そうなんです。ふみさんには、本当にいろいろと勉強させてもらって、とても参考になりました。ありがとうございます」
貞夫はじっと二人の顔を見つめていたが、やがてふっと表情を緩めて、ゆっくりと頷いた。
「そういうことだったのか。なら、それでいいんだ」
二人は胸の奥でほっと息をつきながら、貞夫と幸輝に向けて、笑顔を浮かべ続けた。それは、たった一度の嘘だった。だがその小さな嘘が、やがてどれほど大きなほころびとなって、二人の周りを覆っていくことになるのか、このときのふみも愛斗も、まだ知る由もなかった。
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