夜の風景
約束の夏、そして…
第3話 – 5ページ目:雨の午後、頼みごと
夕方 – 静かな通り、春の雨
空が、突然曇り始めた。
細かな雨粒が葉の上に音もなく集まり、濡れた土の香りが静かに空気を満たしていく――春だけが持つ、冷たすぎず、温すぎもしない、独特の匂い。
ユカが傘を開き、無言でミヤの隣に立った。彼女も傘の中に入る。
「急に降ってきたね。」
ミヤは手を少しだけ外へ差し出した。雨粒が、その手のひらで弾ける。
「春の雨って…ちょっと寂しいのに、なんか落ち着く。」
ユカは、唇の端をわずかに上げて笑った。
「ミヤ、たまに詩人みたいなこと言うよね。」
ミヤは、一瞬だけ間を置いた。
「…そうかな。」
二人は歩き出す。
傘を打つ雨音が、ゆっくりとしたリズムを作っていた。通りも、一緒にゆっくりと呼吸しているかのようだった。
ユカの目が、ミヤのバッグに留まった。いつもより、少しだけ強く握られている。
「ねえ、さっきから気になってたけど…何かあるでしょ。」
ミヤが立ち止まる。
バッグの中に手を入れ、便箋を取り出した。
簡素な紙で、折りたたまれていて、湿った空気で少しだけ柔らかくなっていた。
静かに言った。
「これ…イロに渡してほしい。」
ユカがそれを受け取り、一瞥する。
「自分で渡せばいいのに。」
ミヤは、視線を落とした。
「…今は、無理。」
雨が、少しだけ強くなった。
ユカは便箋をポケットにしまった。すぐに返事はしなかった。
傘を少しだけ低く持ち、二人の肩の上によりよく乗るようにする。
「わかった。渡すよ。」
ミヤが顔を上げた。
「ありがとう…ユカ。」
ユカは、横目で彼女を見た。
「でもさ。」
ミヤが見つめる。
「なんで私なんだろ。」
短い間。
ミヤは、ごく自然に答えた。
「一番、安心できるから。」
ユカは何も言わなかった。ただ、その目がほんの少しだけ柔らかくなった。
それから、傘を優しく傾け、言った。
「じゃあ、私はちょっと寄り道する。先帰ってて。」
ミヤは慌てて言った。
「今?雨だよ。」
ユカは肩をすくめて、微笑んだ。
「大丈夫。すぐ終わる。」
そして、ミヤがそれ以上尋ねる前に、傘の下から走り出した。
ミヤは、数秒間、その場に立ち尽くしていた。
雨が、彼女の髪に優しく降り積もる。
あの便箋は、もうユカの手の中にあった。
そっと呟いた。
「ユカ…頼んだよ。」
それから、歩き出した。
彼女の心臓は、雨よりも速く打っていた。
でも、奇妙なことに――今度は怖さではなかった。
もっと、何かへの期待に近かった。