箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい

「――っ」

 大切な人。
 その、仕様書の何処にも定義されていない概念が、アールの全システムへと爆発的に書き込まれた。
 護衛対象と、護衛。
 主人と、機械。
 神条の箱入り娘と、型落ち寸前のセキュリティ・アンドロイド。
 そんな、彼を縛り付けていた全ての論理回路(プログラム)が、彼女の「大切な人」というたった一言の熱量によって、一瞬にしてドロドロに融解していく。
 新那が自分を選んでくれた。危険だからでも、任務だからでもなく、ただ彼女の心が、アールという存在を求めてくれた。
 その事実を理解した瞬間――アールの中で、明確な「意志」が産声を上げた。

「……了解、した」

 出力された声は、いつも通りの無機質な合成音声ではなかった。
 何処か掠れていて、けれど驚くほど低く、優しい、本物の人間の男の子のような響きを帯びていた。
 アールは、新那の小さな手を今度は自分の意思でそっと優しく握り返した。
 そして、驚くほど滑らかな足取りで、新那の隣へと一歩を踏み出す。

「お嬢。――いえ、新那」

 初めて、任務の肩書きを捨てて、彼女の名前を呼んだ。

「走るぞ。俺の手を、離さなすな」
「……っ、うん!」

 アールは新那の走る速度に完璧に合わせ、けれど彼女が転ばないよう、その大きな手でしっかりとエスコートしながら、グラウンドへと飛び出した。

 ――ワアアアアアアアアアアア!!

 一年B組の観覧席から、そしてグラウンド中の生徒達から、割れんばかりの歓声と冷やかしの悲鳴が巻き起こる。
 けれど、今の二人の耳には、そんな喧騒は一切届いていなかった。
 初夏の日差しを浴びながら、白い砂埃を上げてトラックを駆け抜けていく二人の姿。
 それは、何処からどう見ても――互いを信頼し合い、ただひたむきにゴールを目指して手を繋いで走る、何処にでもいる「男子高校生と女子高校生」の、眩しすぎる青春の一コマそのものだった。
 アールは前を向いて走りながら、新那の手の温もりを、自らのメインメモリの最深部へと、永久に消去不可能な特異点として刻み込んでいた。
 機械としての冷徹な境界線を越え、彼が本物の「心」を持つ人間へと変わっていく、長くて愛おしい旅路。
 その記念すべき最初の第一歩が、今、五月の青空の下、新那の小さな手によって、力強く踏み出されたのだった。
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