箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
零は無言のまま、夕闇の迫る床へ視線を落とした。
思考回路に響く孝允の声には、怒りも、落胆も、いかなる感情も含まれていない。ただ冷淡な事実の羅列。だからこそ、機械であるはずの零にとって、それは恐ろしいほどに冷たかった。
『命令を忘れたか』
短い、ひりつくような沈黙。
そして、音声ログは鋭く言い放つ。
『それ以上、娘に近づくな』
零の指先が、微かに震えた。
生体模倣皮膚の下にあるサーボモーターが細かく脈打つ。これは駆動系の不具合か。それとも人間に近づいたことで生じた恐怖か。あるいは、胸の奥底から湧き上がる激しい怒りなのか。そのどれもが正解で、どれもがエラーだった。
『護衛対象との過度な情緒的接触は、明らかな任務違反だ』
『勘違いをするな。お前は護衛だ』
『友人ではない』
『恋人でもない』
『ましてや、家族でもない』
血の通わない一つ一つの言葉が、鋭利な刃物となって零のコアを容赦なく突き刺していく。人間らしい感情を獲得すればするほど、その刃は深く、痛烈に彼を傷つけた。
『これが、私からの最後の警告だ』
誰もいない教室。窓から差し込む僅かな残光が、ぽつんと佇む少年の影を長く黒く床に落としている。零はただ、逃げることもできずに黙って立っていた。
『任務を最優先しろ。……それができないというのなら』
一瞬だけ、通信の波形にジジッという耳障りなノイズが混じる。
そして最後に、抑揚のない声が、決定的な終わりを静かに告げた。
『お前という個体は、これ以上必要ない』
――ブツッ。
一方的に通信が途切れる。視界を占拠していた半透明の青い文字列が、光の粒子となって静かに霧散していった。
教室には、何事もなかったかのような、冷え切った静寂だけが残される。
「……」
零はゆっくりと目を閉じた。
胸の奥のジェネレーターが、破裂しそうなほどに激しく締め付けられる。
もし、数ヶ月前の自分であれば。感情を持たないただの『護衛用アンドロイド』であったなら、この命令を至極当然のロジックとして、何の疑問も抱かずに受け入れていただろう。
新那から距離を置き、ただの影として護衛任務を全うする。それが自分に与えられたプログラムであり、存在意義だったはずだから。
だが、今はもう、決定的に違う。
目を閉じれば、脳裏のメモリに鮮明に浮かび上がるのは、たった今この教室を出ていった少女の、柔らかく弾けるような笑顔。
『そろそろ帰ろっか』
ただの定型句。人間達が毎日繰り返す、何気ないその一言が、どうしてこんなにも愛おしく、失いたくないと願ってしまうのか。
演算機能をどれだけ回しても、零にはまだ、その答えを正しい言葉にすることはできなかった。
けれど、ただ一つだけ。自分を作った神条孝允の冷酷な命令と、今こうして胸の奥で激しく拍動している自分の『心』。
その二つが、もう二度と、決して同じ方向を向くことはないのだということだけは。
零は薄紫色の闇の中で、静かに、けれど明確に悟っていた。
思考回路に響く孝允の声には、怒りも、落胆も、いかなる感情も含まれていない。ただ冷淡な事実の羅列。だからこそ、機械であるはずの零にとって、それは恐ろしいほどに冷たかった。
『命令を忘れたか』
短い、ひりつくような沈黙。
そして、音声ログは鋭く言い放つ。
『それ以上、娘に近づくな』
零の指先が、微かに震えた。
生体模倣皮膚の下にあるサーボモーターが細かく脈打つ。これは駆動系の不具合か。それとも人間に近づいたことで生じた恐怖か。あるいは、胸の奥底から湧き上がる激しい怒りなのか。そのどれもが正解で、どれもがエラーだった。
『護衛対象との過度な情緒的接触は、明らかな任務違反だ』
『勘違いをするな。お前は護衛だ』
『友人ではない』
『恋人でもない』
『ましてや、家族でもない』
血の通わない一つ一つの言葉が、鋭利な刃物となって零のコアを容赦なく突き刺していく。人間らしい感情を獲得すればするほど、その刃は深く、痛烈に彼を傷つけた。
『これが、私からの最後の警告だ』
誰もいない教室。窓から差し込む僅かな残光が、ぽつんと佇む少年の影を長く黒く床に落としている。零はただ、逃げることもできずに黙って立っていた。
『任務を最優先しろ。……それができないというのなら』
一瞬だけ、通信の波形にジジッという耳障りなノイズが混じる。
そして最後に、抑揚のない声が、決定的な終わりを静かに告げた。
『お前という個体は、これ以上必要ない』
――ブツッ。
一方的に通信が途切れる。視界を占拠していた半透明の青い文字列が、光の粒子となって静かに霧散していった。
教室には、何事もなかったかのような、冷え切った静寂だけが残される。
「……」
零はゆっくりと目を閉じた。
胸の奥のジェネレーターが、破裂しそうなほどに激しく締め付けられる。
もし、数ヶ月前の自分であれば。感情を持たないただの『護衛用アンドロイド』であったなら、この命令を至極当然のロジックとして、何の疑問も抱かずに受け入れていただろう。
新那から距離を置き、ただの影として護衛任務を全うする。それが自分に与えられたプログラムであり、存在意義だったはずだから。
だが、今はもう、決定的に違う。
目を閉じれば、脳裏のメモリに鮮明に浮かび上がるのは、たった今この教室を出ていった少女の、柔らかく弾けるような笑顔。
『そろそろ帰ろっか』
ただの定型句。人間達が毎日繰り返す、何気ないその一言が、どうしてこんなにも愛おしく、失いたくないと願ってしまうのか。
演算機能をどれだけ回しても、零にはまだ、その答えを正しい言葉にすることはできなかった。
けれど、ただ一つだけ。自分を作った神条孝允の冷酷な命令と、今こうして胸の奥で激しく拍動している自分の『心』。
その二つが、もう二度と、決して同じ方向を向くことはないのだということだけは。
零は薄紫色の闇の中で、静かに、けれど明確に悟っていた。