箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
気づけば、学校へ行く代わりに、我が家には何人もの優秀な家庭教師達が日替わりでやってくるようになっていた。
勉強は一生懸命やった。テストの成績だって悪くなかった。
「私はね、学校っていう『場所』をずっと何も知らなかったの」
それが、新那の全てだった。
たくさんの机が並ぶ教室。チャイムと同時に始まる昼休みの喧騒。放課後の部活動の掛け声。友達同士で並んで歩く帰り道。
そのどれもが、新那にとっては、テレビの画面や少女漫画の一ページの向こう側にある、遠い遠いファンタジーの世界の話だったのだ。
「だからね……」
新那は、少しだけ自嘲気味に、けれど愛おしそうに笑った。
「この春から、高校にだけは普通に通っていいってパパに許されたとき、私、本当に……心臓が止まりそうなくらい楽しみだったんだ」
昨日、莉子とどうでもいいお喋りをして笑い合ったこと。
お昼休みに、大混雑の購買へ焼きそばパンを買いに走ったこと。
今日の、グラウンドを泥だらけになって駆け回った体育の授業。
クラスメイト達の、くだらない雑談の全て。
その一瞬一瞬が、新那にとっては、宝石の結晶のように新鮮で、眩しくて、堪らなかったのだ。
「私、普通になりたかったの」
それは、誰にも言えなかった、新那の本音のすべてだった。
誰もが羨むような豪華な家も、買い与えられる高価な洋服も、別に嫌いなわけではない。
けれど、そんなものよりも。
「皆と、同じになりたかった。普通に友達を作って、放課後はくだらないことで寄り道して、買い食いして、遅くなって先生や親に怒られて……。そういう、何処にでもある『普通』が、ずっと欲しかったの」
熱で潤んだ瞳が、切なげに細められる。
アールは何も言わなかった。ただ、座ったまま、新那の言葉を静かに聞く。
新那が吐き出した、過去の傷跡も、寂しさも、ささやかな願いも。その全てを一つ残らず、自らの永久メモリへと深く深く記録するように。
いや。データとして記録する以上に――何か、とても大切な宝物を受け取るようにして、彼は新那を見つめていた。
「――今は」
静かな雨上がりの空気のような声が、アールの唇から漏れた。
新那が、そっと視線を隣へ向ける。
アールは自らの演算回路の中で、かつてないほど慎重に言葉を選び抜くような沈黙を挟んでから静かに続けた。
「――今は、楽しいか」
それは、マニュアルの何処にも記載されていない、アール自身の「意志」が生み出した、あまりにも短い質問だった。
新那は一瞬だけ、驚いたように丸く目を瞬かせる。
そして、今日一番の心の底からの笑顔をふっと浮かべた。
「うん」
迷いなんて、何処にもなかった。
「すっごく、楽しいよ」
当たり前のように「新那ちゃん」と呼んでくれる莉子がいて。
自分の席があるクラスがあって。
毎朝通う学校があって。
そして、風邪を引けば本気で慌てて、こんな風に不器用に看病をしてくれる、少しだけ変で過保護な護衛が傍にいる。
自分がずっと夢見ていた「普通の高校生活」とは、少しだけ形が違うかもしれないけれど。
これはこれで悪くないと心からそう思えた。
ベッドの脇ではアールが静かに座ったまま、新那の笑顔を見つめ続けていた。
自分が口にしたその問いかけに、一体どんなバグや意味が含まれていたのか。最先端のAIである彼自身にも、まだ解釈はできていなかった。
ただ、新那が「楽しい」と笑って自分を見つめてくれた、まさにその瞬間。
何故だか、彼の胸の奥深くに格納されている中央演算装置が、規定値を遥かに超える。
そして微かに、けれど確実に熱を持ったことだけは――消去不能なシステムログとして、そこに強く記録されていた。
勉強は一生懸命やった。テストの成績だって悪くなかった。
「私はね、学校っていう『場所』をずっと何も知らなかったの」
それが、新那の全てだった。
たくさんの机が並ぶ教室。チャイムと同時に始まる昼休みの喧騒。放課後の部活動の掛け声。友達同士で並んで歩く帰り道。
そのどれもが、新那にとっては、テレビの画面や少女漫画の一ページの向こう側にある、遠い遠いファンタジーの世界の話だったのだ。
「だからね……」
新那は、少しだけ自嘲気味に、けれど愛おしそうに笑った。
「この春から、高校にだけは普通に通っていいってパパに許されたとき、私、本当に……心臓が止まりそうなくらい楽しみだったんだ」
昨日、莉子とどうでもいいお喋りをして笑い合ったこと。
お昼休みに、大混雑の購買へ焼きそばパンを買いに走ったこと。
今日の、グラウンドを泥だらけになって駆け回った体育の授業。
クラスメイト達の、くだらない雑談の全て。
その一瞬一瞬が、新那にとっては、宝石の結晶のように新鮮で、眩しくて、堪らなかったのだ。
「私、普通になりたかったの」
それは、誰にも言えなかった、新那の本音のすべてだった。
誰もが羨むような豪華な家も、買い与えられる高価な洋服も、別に嫌いなわけではない。
けれど、そんなものよりも。
「皆と、同じになりたかった。普通に友達を作って、放課後はくだらないことで寄り道して、買い食いして、遅くなって先生や親に怒られて……。そういう、何処にでもある『普通』が、ずっと欲しかったの」
熱で潤んだ瞳が、切なげに細められる。
アールは何も言わなかった。ただ、座ったまま、新那の言葉を静かに聞く。
新那が吐き出した、過去の傷跡も、寂しさも、ささやかな願いも。その全てを一つ残らず、自らの永久メモリへと深く深く記録するように。
いや。データとして記録する以上に――何か、とても大切な宝物を受け取るようにして、彼は新那を見つめていた。
「――今は」
静かな雨上がりの空気のような声が、アールの唇から漏れた。
新那が、そっと視線を隣へ向ける。
アールは自らの演算回路の中で、かつてないほど慎重に言葉を選び抜くような沈黙を挟んでから静かに続けた。
「――今は、楽しいか」
それは、マニュアルの何処にも記載されていない、アール自身の「意志」が生み出した、あまりにも短い質問だった。
新那は一瞬だけ、驚いたように丸く目を瞬かせる。
そして、今日一番の心の底からの笑顔をふっと浮かべた。
「うん」
迷いなんて、何処にもなかった。
「すっごく、楽しいよ」
当たり前のように「新那ちゃん」と呼んでくれる莉子がいて。
自分の席があるクラスがあって。
毎朝通う学校があって。
そして、風邪を引けば本気で慌てて、こんな風に不器用に看病をしてくれる、少しだけ変で過保護な護衛が傍にいる。
自分がずっと夢見ていた「普通の高校生活」とは、少しだけ形が違うかもしれないけれど。
これはこれで悪くないと心からそう思えた。
ベッドの脇ではアールが静かに座ったまま、新那の笑顔を見つめ続けていた。
自分が口にしたその問いかけに、一体どんなバグや意味が含まれていたのか。最先端のAIである彼自身にも、まだ解釈はできていなかった。
ただ、新那が「楽しい」と笑って自分を見つめてくれた、まさにその瞬間。
何故だか、彼の胸の奥深くに格納されている中央演算装置が、規定値を遥かに超える。
そして微かに、けれど確実に熱を持ったことだけは――消去不能なシステムログとして、そこに強く記録されていた。