箱入り娘は無感情ボディーガードに護られたい
 夜も更け、世界が寝静まった頃、新那は自室のベッドの上で明日の準備に追われていた。
 まだ革の匂いが concierge(新しい)ように強く残る新品の通学鞄。そのジッパーを滑らせ、昼間の内に揃えたはずの荷物を、新那はまるで重要な機密文書でも扱うかのように、一つずつ丁寧に取り出しては確認していく。

「筆箱よし、ハンカチよし、ポケットティッシュよし……」

 都内の公立高校の校章が刻印された、ピカピカの生徒手帳。
 そして、何度も読み返して端が少し丸くなってしまった『入学式の案内』のプリント。
 三度目の確認を終え、新那は「ふう」と小さく息を吐き出して、鞄の口をパチンと閉じた。

「……うん、忘れ物はない。絶対にない。大丈夫」

 鞄の中身を覗き込んだまま、新那は自嘲気味に首を傾げた。
 自分でも驚くほどに神経質になっている。これが「学校」という未知の世界へ飛び込む前の、特有の緊張というものなのだろう。
 明日から始まる高校生活が楽しみで、胸がはち切れそうなほどにワクワクしているのは本当だ。けれど、それと同じくらいの大きさで、冷たい不安が心の底に澱のように溜まっていた。

(友達、本当にできるかな。私だけ浮いちゃったりしないかな……)

 中学の三年間、この広い邸宅の中で家庭教師の大人達としか会話をしてこなかったのだ。
 同世代の女の子達がどんな言葉を使い、どんな話題で笑い合うのか、新那は文字通り「教科書」や「漫画」の知識としてしか知らない。

「大丈夫、大丈夫。なんとかなるよ、私なら」

 自分に言い聞かせるように強く呟いて、新那はベッドの上から立ち上がった。
 その時だった。ふと、机の上に据えられた小さな明かりの向こうに視線が止まる。
 そこに置かれていたのは、銀色のフレームに縁取られた一枚の写真立てだった。
 新那は吸い寄せられるように椅子に腰を下ろし、そっと両手でその写真立てを取り上げた。ガラスのひんやりとした感触が、火照った掌に心地良い。

「ママ……」

 静寂が支配する部屋の中で、その名前がぽつりと零れ落ちた。
 写真の中で笑っているのは、まだ幼くて前歯の抜けた自分と、自分を逞しく肩車している若い頃の父親。そしてその隣で、世界で一番美しい微笑みを浮かべている、大好きな母親の姿。
 国際的なアパレル企業の役員を務める母は、新那が小学生の頃から、拠点を海外に移して世界中を飛び回る生活を送っている。
 幼い頃はそれでも頻繁に帰国して抱き締めてくれたが、ここ数年は、時差を計算しながら画面越しにデジタルな会話を交わすことの方が圧倒的に多かった。
 メッセージは欠かさずくれるし、誕生日には新那が驚くようなハイセンスなプレゼントが国際郵便で届く。
 自分が愛されているという事実に、疑いの余地はない。
 だけど、やっぱり、こんな人生の節目くらいは、画面の向こうではなく隣にいてほしかったと思ってしまう。
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