ふたつの時を、重ねていく【『ふたつの弧が、重なるとき』番外編/不定期更新中】
 ◇

 数日後の放課後。僕は副顧問を務める野球部の練習へ向かっていた。
 グラウンド手前の水道を通りかかると、部活前だというのに、激しく水しぶきを上げて顔を洗っている生徒がいた。
 見覚えのある男子の背中だ。

「お疲れ」

 声をかけると、ビクッと肩を揺らして振り返った。
 やはり二年の野球部員だ。

「……なんだ。先生かよ」

 そう吐き捨ててスッと顔を伏せたが、その目元は明らかに赤く腫れていた。

「……どうかした?」

 控えめに尋ねると、彼は再び背を向け、ぽつりとこぼした。

「……彼女に振られたんだよっ」

「え?」

 そういえば、練習後に彼を待つ女子生徒を見かけたことがあった。
 あれは彼女だったのか。

「他に好きな人ができたとか言って、バレンタイン直前に振られた。しかも相手、サッカー部だぜ!?」

 彼は「ありえない」と忌々しげに呟きながら、僕の少し前を歩いてグラウンドへ向かい始めた。

「サッカーより、野球だろっ」

 その言葉を聞いて、以前、ふとした拍子に美絵が「私の元彼は、サッカー部だったような……?」と言っていた記憶が頭をよぎった。

「……ああ。だよな」

 大人気ないとは思いつつも、彼の不満に深く頷いてしまった。

「春の大会、見に来るって言ってたくせにさ……」

 野球部は今、春季大会に向けて、毎日遅くまで泥だらけになって練習している。
 そして、彼はまだ二年だが、人一倍の努力でベンチ入りを果たしている実力者だ。

『たかが中学生の恋愛』なんて、軽々しく流す気はなかった。
 背中越しに伝わってくる絶望に寄り添うように、そっと言葉を投げかけた。

「まあ……いつも頑張ってるんだし。そのうち、いいこともあるかもよ」

 過去の自分を思い返すように、少し遠くへ目をやる。

「……なに? いいことって」
「さあ?」
「テキトーかよ!」

 恨めしそうに振り返った彼は、八つ当たりの言葉を投げつけてきた。

「毎日、美人の奥さんが作った弁当見てニヤけてる先生には、俺の気持ちなんて分かんねーよなっ!」

(あ)

 やはり弁当の件も、あの先輩教諭によって広まっているらしい。
 しかも僕がデレていることも、隠せていなかったうえにバラされているようだ。

 捨て台詞を放った彼は、僕を置いて足早にグラウンドへと駆け出していった。


 中学生の彼らが全力で向き合っているのは、大人の目に見える『勉強』や『野球』だけではないんだよな。

 揺れ動く多感な感情ごと、彼らを見守っていこう。
 改めてそんなことを思いながら、僕もゆっくりとグラウンドへ歩みを進めた。



―― 終 ――
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