あの日の君へ

最終話 あの日の君へ


——3年後。



『青嶋丈一郎に人生を狂わされた女たち』

雑誌の特集ページを見つめ、朝美は笑った。

「失礼だと思わない?これじゃ、私たちは間違って生まれてきたみたいじゃない」

青嶋丈一郎は女に溺れて身を滅ぼした

そんな言われ方をしてるのも知っている。

朝美はシャンパンのグラスをグイッと飲み干すと、向かいに座る慶を見た。

「私たちだけだと思ってる?」

「は?」

「あの人の子供」

まさか、と息をのむ。

「現地妻ってやつ?各地にいたでしょうね。いつかあの人の子供たちで集まって鍋でも囲んだら楽しそうじゃない?」

その言葉に慶の顔色が悪くなる。

「……全然笑えないです」

慶が低く返す。

朝美は一瞬だけ目を細めた。

それから、肩を竦めるように笑う。

「つまんない」

本気なのか、冗談なのか。

朝美はふぅ、とネイルに息を吹きかけた。

「今放映してるドラマ、評判いいみたいじゃない」

ソファに腰掛けたまま、朝美が雑誌をめくる。

「どこ行っても、あんたの名前聞くわ」

視線だけを上げて、ふっと笑う。

「3年前のあの映画で映画賞総なめしてから……その後も、主要な映画賞はだいたい候補に入ってるし。ドラマも外さない」

少し間を置いてから、続ける。

「香織さんも言ってたわよ」

「……まだ、実感ないです」

慶が小さく頭を下げる。

「辞めたいとか言ってたのにねぇ」

「……すいません」

その言葉に、朝美が吹き出した。

「何謝ってるのよ」

グラスを揺らしながら笑う。

「まだまだよ。これから、あんたはもっと有名になる」

朝美の目が、まっすぐ慶を見る。

「もっと映画とかドラマに出て」

「そのうち誰も、“青嶋の息子”なんて言わなくなる」

慶の瞳が、わずかに揺れる。

朝美はふっと笑った。

「私だってそう」

静かな声。

「青嶋丈一郎の娘だの、水澤恭子の娘だの」

「そんな声、全部蹴散らして」

その赤い唇が、ゆっくり笑う。

「“女優・水澤朝美”として生きてやるって決めたの」


静かな部屋。

慶は何も言えなかった。

ただ、朝美の背中が、少しだけ眩しく見えた。





「このCM好き」

街行く人の声に、慶はふと顔を上げた。

交差点の大型ビジョン。

そこに流れていたのは、見慣れた車のCMだった。


夕暮れの田舎道。

窓を開けて走る車。

どこか懐かしい音楽。


「なんかCMなのに見入っちゃうんだよね」

「わかる。なんか泣ける」

すれ違う高校生たちが笑いながら話している。

慶は、静かにビジョンを見つめた。


——結衣。


ふいに、事務所で見た資料を思い出す。


『ACC 最終候補 授賞式 出席者一覧』

そこにあった名前。


鈴原結衣。


胸の奥が、熱くなる。

慶は込み上げる感情を押し込むように、そっと拳を握った。




—————




「鈴原、お前すごいぞ」

駒田さんが、興奮したみたいに資料を持ってくる。

「今年のACC、最終候補残った」

「……え?」

結衣が目を見開く。

「しかも、授賞式出席な」

資料を受け取る。

そこに並ぶ候補作品。

その瞬間。

結衣の視線が止まった。


出演:成瀬慶


別部門。

別のCM。

でも、確かにそこに名前があった。

胸が、大きく鳴る。

「……成瀬さん、来るんですか」

「そりゃ来るだろ。本人出席予定って書いてあるし」

駒田さんが笑う。

「いやぁ、同じ会場にあの成瀬慶いるとかすげーな」

結衣は、何も言えなかった。






久しぶりの予定のない休日。

前から行きたいと思っていたカフェに入る。

「ねぇ、昨日のドラマ見た!?」

カフェの奥の席から、楽しそうな声が聞こえてくる。

「もちろん!リアタイしたし録画もした!」

「来週最終回じゃん。私すでに慶ロス」

「私も!」

その言葉に、結衣は思わず笑ってしまう。

「あと私、あのドラマの間に流れるCMめっちゃ好きなんだけど!」

「あー!田舎の風景のやつ?」

「そうそう!」

「映像綺麗だし、なんかめっちゃ泣けるんだよね」

「この前ニュースで見たけど、あのCM、ACCの最終候補残ったらしいよ」

「そうなの?」

「ACCって、日本一のCM決める賞みたいなやつでしょ?」

「え、すご!」




——違うよ。

すごくなんかない。

ただ。

忘れられなかっただけ。

夕暮れの匂いも。

自転車の後ろで聞いた笑い声も。

“また明日”って手を振った帰り道も。

全部。

今でも、胸の奥に残ってる。

結衣は静かにコーヒーを口に運ぶ。

最近はカフェラテよりブラックコーヒーを飲むことが増えた。

でも今でもカフェラテが1番好きだ。

ふと、口元が緩む。


——慶ちゃん、元気かな。


テレビをつければ、嫌でも姿は見られるのに。

それでも時々、どうしようもなく会いたくなる。

窓の外では、今日も東京の街が流れていく。


離れていても。

会えなくても。

それでもきっと、私たちは、あの頃を抱えたまま生きていく。




その時だった。

テーブルの上のスマホが、小さく震える。

表示された名前に、結衣の呼吸が止まった。


『成瀬慶』


数年ぶりの着信。




自信を持って、慶ちゃんの隣に立てるようになりたかった。

だから、会わないって決めた。

ちゃんと仕事を頑張って。

ちゃんと前を向いて。

いつか、胸を張って笑える自分になるために。


あれから、長い時間が過ぎた。

離れていた時間も、きっと無駄じゃなかった。

結衣は、しばらく画面を見つめたまま動けなかった。


そして。

ゆっくりと、通話ボタンへ指を伸ばす。




「——もしもし」




     






end


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