あの日の君へ
第四話 再会
「慶、次CMの撮影入ってるから、このままお昼食べちゃって」
午前中のドラマ撮影を終えて、マネージャーのクルマに乗り込むと、運転先から紙袋を差し出される。
受け取ると、ふわっと香る米の匂い。
「香織さんの手作り。具はお前の好きな鮭と梅だって。大事にされてんな」
マネージャーの言葉に、ふ、と笑う。
紙袋を開けると、おにぎりが二個入っていた。
「よろしくお願いします」
撮影現場に入る。
新作CMの撮影初日。
今日は代理店のプランナーが挨拶に来ると聞いていた。
「成瀬さん」
呼びかけられ、振り向く。
「駒田です。今日はよろしくお願いします」
差し出された名刺。
その隣に立つ顔を見た瞬間。
——慶は、言葉を失った。
「ゆ——」
「初めまして。本日はよろしくお願いします」
その人は、そう言って一度だけ軽く頭を下げると、駒田と並んでその場を離れていった。
視線だけが、無意識にその姿を追う。
何事もなかったみたいに、現場は動き出す。
スタッフが慌ただしく行き交い、照明が調整され、次々と声が飛ぶ。
「成瀬さん、そろそろお願いします」
呼ばれて、慶はようやく我に返った。
「……はい」
返事をしながらも、視線はさっきまで結衣がいた場所を探してしまう。
——いない。
もう、どこにもいなかった。
「今日、調子悪いですか?」
スタッフが不思議そうに尋ねる。
「いや……」
短く答えたあと、慶は少し間を置いて制作側へ視線を向けた。
「今日の代理店担当って」
「ああ、駒田さんですか?」
「……その隣にいた人は?」
一瞬の間。
「えっと……鈴原さん、だったと思います。まだ二年目で、勉強中らしくて」
その言葉で、慶の指先が止まった。
静かに、拳が握られる。
——結衣。
忘れたことなんて、一度もなかった。
『慶ちゃん? なんでいるの?』
冷たい、と笑いながら俺の手を包んだ声も。
『気にしてないよ』
そう言った時、少しだけ震えていた声も。
まだ、昨日のことみたいに覚えているのに——
お互いが、お互いを想ったまま。
終わったことを確かめることもなく、時間だけが流れた。
どちらかが、
もう好きじゃないと。
終わりだと。
そう言えばよかったのかもしれない。
でも、どっちも言わなかった。
言えなかった。
——確かめるのが、怖かった。
撮影終わり。
局内のロビーを抜けようとして、慶はふと足を止めた。
少し離れた場所。
結衣が、誰かと笑っていた。
「だから市川くん、それ絶対大袈裟でしょ」
「いやマジだって。あの時の部長の顔見た?」
肩を揺らして笑う結衣。
隣の男も、自然な距離で笑っている。
——近い。
そう思った瞬間、自分でも笑いそうになった。
今更、何を考えてるんだ。
結衣には、結衣の時間があった。
自分が知らない五年がある。
当たり前だ。
なのに。
胸の奥が、嫌にざわつく。
市川、と呼ばれた男は、結衣を「鈴原」と呼んでいた。
それだけで少し安心してしまった自分が、馬鹿みたいだった。
——もし。
あの時。
もっとちゃんと、言葉にできていたら。
この道を選ばなかったら。
あの隣で笑っていたのは、自分だったんだろうか。
慶は小さく息を吐く。
そして、自嘲するみたいに笑った。
「……ほんと、今更だろ」
それでも。
気付けば、声をかけていた。
「結衣」
自分でも笑えるくらい、声が震えていた。
結衣が、驚いたように振り返る。
「……慶ちゃん」
名前を呼ばれる。
昔と変わらない呼び方で。
変わらない声で。
それだけで、胸の奥が大きく揺れた。
「……久しぶり」
結衣が笑う。
その顔を見た瞬間。
なぜか泣きそうになって、慶は小さく息を飲んだ。
「うん。……久しぶり」
局内のカフェテラス。
向かい合って座っているのに、どこか落ち着かない。
「結衣、カフェラテでいい?」
そう聞くと、結衣が少し驚いたように目を丸くした。
「……私が好きなの、覚えてたんだね」
慶は小さく拳を握る。
——忘れるわけないだろ。
そう言いたくなって、結局何も言えなかった。
「……いつ、東京に?」
結衣の手が止まる。
「……」
何も言わない。
「……元気だったか?」
本当は、そんなことが聞きたいわけじゃない。
どう過ごしていたのか。
自分を少しでも思い出したことはあったのか。
聞きたいことは、もっと別にあるのに。
沈黙のあと。
「……私ね」
結衣がカップを見つめたまま口を開く。
「地元の制作会社に就職したの。地元のCMとか、フリーペーパーとか作るような小さい会社」
静かな声だった。
「でも、その会社が今の会社に統合されて……その時、声がかかったの」
「……そうなんだ」
慶は頷く。
「……すげーじゃん」
「え?」
「結衣、昔から器用だったもんな」
結衣がきょとんとする。
「修学旅行のしおりとか。めちゃくちゃ綺麗に作ってた」
思いがけない言葉だったのか、結衣が小さく笑った。
「……そんなの覚えてるの?」
「覚えてる」
慶も笑う。
「クラスのやつみんな、“鈴原すげー”って言ってたし」
「言ってたの慶ちゃんだけでしょ」
「みんな言ってた」
その空気が、少しだけあの頃みたいで。
慶は胸の奥が、じわりと熱くなるのを感じていた。
「……さっき話してた」
「え?」
「自販機のところで。一緒にいた人」
ああ、と結衣が小さく笑う。
「市川くん? 同期なの。彼も地方出身でね」
「……そっか」
その言葉に、自分でも驚くくらいほっとした。
——何安心してるんだよ。
慶は視線を落とし、小さく苦笑する。
今更、そんな資格あるわけないのに。
その時だった。
「成瀬さん! スタンバイお願いします!」
スタッフの声に、結衣が先に席を立つ。
「あ、じゃあ私、仕事戻らなきゃ」
「……あ」
思わず呼び止める。
結衣が振り返る。
「……俺、連絡先変わってないから」
結衣の視線が揺れた。
「……私も」
その言葉に、慶は小さく息を飲む。
そして。
「……電話する」
気付けば、そう言っていた——。