あの日の君へ
第五話 ズレていく距離
———五年前。
——
「朝美さんは、いつから知ってたんですか?」
——青嶋丈一郎、隠し子発覚。
——人気俳優・成瀬慶は、青嶋丈一郎の息子だった。
バサッ、と雑誌を机に放る。
朝美は足を組んだまま、長い髪をかき上げて深く息を吐いた。
「あんたのお母さんが、昔あいつに送った手紙読んだことあって。写真も入ってたから、名前と顔は覚えてたの」
興味なさそうにネイルを眺めながら、朝美は続ける。
「名前も覚えやすかったし。あんた、昔から可愛い顔してたしね」
慶は黙ったまま立っていた。
「あんたが芸能界入って、香織さんに紹介された時、すぐ分かったよ」
静かな沈黙。
「……なんで言ってくれなかったんですか」
朝美は小さく肩をすくめる。
「別に。言って何になるの?」
淡々とした声だった。
「私のママは一人だけ。あいつが他の女との間に子供作ってようが関係ないし」
そして、少しだけ視線を上げる。
「私はただ、香織さんが面倒見てる後輩を、表面上可愛がってただけ。弟なんて思ったことないよ」
「……俺は、青嶋丈一郎の息子だから声をかけられたんですか?」
朝美が、ぴたりと動きを止める。
それから呆れたみたいに笑った。
「自惚れないで」
冷たい声。
「そんなわけないでしょう」
朝美は足を組み替える。
「香織さん、あんたを見つけた時ほんと嬉しそうだったわよ。“すごい子見つけた”って」
「……」
「あんたには才能があった。それを香織さんが見抜いて声をかけた。ただそれだけ」
「……俺のこと好きだって言ったのは?」
その言葉に、朝美はふっと笑った。
「それは本心」
視線がぶつかる。
「さっきも言ったけど、あんた顔いいし。血が繋がってなかったら、男として可愛がってあげてもよかったのにな、くらいは思ってた」
慶はゆっくり拳を握る。
「……朝美さんは、ずるいですね」
「何が?」
「朝美さんだけ真実を知ってて、俺は何も知らなくて」
喉の奥が、苦しくなる。
「そのせいで……大事な人まで傷付けた」
朝美は少しだけ目を伏せた。
「それは悪かったと思ってる」
でも、と続ける。
「あんたのその“大事な人”は一般人なんでしょう」
空気が少しだけ冷える。
「芸能界の黒い部分なんて、知らない方がいいわよ」
朝美は頬杖をつく。
「あんたも芸能界でやっていきたいなら、その辺ちゃんとわきまえなさい。彼女とは距離置きな」
「嫌です」
即答だった。
朝美は呆れたように笑う。
「ほんと頑固」
そして、小さく吐き捨てる。
「そういうところ、ほんとそっくりで吐き気するわ」
「……父親ですか?」
「まさか」
朝美は鼻で笑った。
「私によ」
慶は言葉を失う。
「……むしろ、あんた、あの人に全然似てない」
朝美は頬杖をつく。
「あの人なら、好きな女がいたら後先考えずに手に入れてたわ」
慶は何も返さない。
朝美は少しだけ目を細めた。
「あんたは、優しすぎんのよ」
朝美はネイルにふっと息を吹きかけた。
「相手の人生がどうとか、迷惑かもしれないとか、そんなことばっか考えてる」
「難しいこと考えすぎると、すぐ禿げるわよ」
「……余計なお世話です」
朝美は、はぁ、と息を吐く。
「……ほんと面倒くさい男」
でも、と続く声。
「……あんたのお母さん、あんたのこと大事に育てたのね」
その言葉だけは、少しだけ優しかった。
慶は驚いたように顔を上げる。
けれど朝美はもう視線を逸らしていて、何事もなかったみたいにスマホへ目を戻していた。
『私、バイト決まったよ』
電話口の向こうで、結衣の明るい声がする。
「ほんと? どんなバイト?」
『あのね、アイスクリーム屋さんなの。駅前に新しくできたんだよ』
「アイス食い過ぎてお腹壊すなよ」
『なにそれ』
ふふ、と笑う声がくすぐったかった。
『夏休み、東京行けるといいな』
「俺がそっち帰るよ」
『慶ちゃんは忙しいでしょう。それに私、東京行ってみたい』
「俺は結衣のいるところに行きたい」
『もう。そんなことばっかり。真面目に話してるのに』
少し怒ったみたいな声が、愛しかった。
『……慶ちゃん?』
「……」
『……寝ちゃったの?』
⸻
次の日。
握ったままだった携帯を開くと、通話終了の画面が残っていた。
最初の頃は、どっちから切るかで笑い合っていたのに。
ドラマの撮影。
CM。
仕事は、少しずつ増えていった。
結衣も、バイトを始めてから忙しくなったみたいだった。
仕事終わりに結衣からの着信に気付いて、慌てて掛け直す。
でも、留守電になる。
逆に、俺が掛けた時は結衣が出られない。
その繰り返しだった。
最後に会ったのは、いつだっただろう。
——気付けば、着信履歴は事務所と母親の名前ばかりになっていた。