ただいまの先に〜帰る場所〜
第三話 止まった時間
それから。
琥太郎と祐介は、たまに柊の店へ顔を出すようになった。
ランチだったり、夜、軽くお酒を飲みに来たり。
その日、昼営業が終わった後だった。
琥太郎と祐介は、ランチを食べ終わってまったりとコーヒーを飲んでいた。
柊は、店の外で看板を片付けている。
琥太郎が、ふ、とカレンダーを見て声を落とした。
「……そういえば柊、来週誕生日だな」
「……あー、そういやそうだったな」
祐介も思い出したように頷く。
その瞬間。
「え!? そうなんですか!?」
鈴が勢いよく身を乗り出した。
「じゃあ、パーティーしましょうよ!」
「……パーティー?」
祐介が眉をひそめる。
「そう! 柊ちゃんの誕生日パーティー!」
鈴は目を輝かせた。
「で、サプライズするんです!」
「お前、絶対サプライズ向いてねぇだろ」
祐介が即座に突っ込む。
「サプライズゲストです!」
鈴が得意げに胸を張る。
「……ゲスト?」
「いるじゃないですか! もう一人!」
琥太郎と祐介が顔を見合わせる。
「……美月か」
「そう!」
鈴が大きく頷く。
「この前、話してるの聞いちゃったんですけど、沢田先生も幼馴染なんですよね!」
「待って、鈴ちゃん」
興奮する鈴を、琥太郎が慌てて手で制す。
「あの二人は、ちょっと……簡単じゃないっていうか」
そう言って祐介を見る。
祐介は深いため息を吐いた。
「おいガキ、聞け」
「ガキじゃなくて鈴です」
「おめーが言うか」
祐介は呆れたように額を押さえる。
「あのな。大人には事情ってもんがあんだよ」
「事情?」
鈴が首を傾げる。
琥太郎と祐介は、一瞬だけ視線を合わせた。
「……ここじゃ話しにくいな」
琥太郎が、外から戻ってくる柊をちらりと見る。
すると鈴が、ぱんっと手を叩いた。
「じゃあ今日の夜! 駅前集合で!」
「いや、なんでだよ」
祐介は呆れたように頭を抱えた。
夜。
結局三人は、駅前の居酒屋に集まっていた。
「……行きたい店ってここか?」
「うん!」
赤提灯を見上げ、祐介が眉を顰める。
「未成年だぞお前」
「22時までは大丈夫だもん」
「保護者扱いされてんぞ俺ら」
琥太郎が呆れたように笑った。
焼き鳥を頬張りながら、鈴が真剣な顔になる。
「それで?」
「なんで柊ちゃんと先生は会わないんですか?」
その言葉に、琥太郎は、しばらく黙ってから口を開いた。
「……俺たち四人は、児童養護施設で育ったんだ」
焼き鳥屋の騒がしさが、少しだけ遠くなった。
「美月と柊は、生まれてすぐ施設に預けられた。本当に“親の顔を知らない”んだ」
鈴は黙って聞いている。
「俺にはばあちゃんがいたし、祐介も母親はいた。でも、あいつらは違った」
「だからきっと……俺たちが思ってる以上に、あいつらはずっと二人で支え合って生きてきたんだと思う」
琥太郎はグラスを軽く揺らした。
静かな声だった。
「高校の頃だった——」
————
「柊、またこんなところでサボってる」
「……美月か」
屋上。
フェンスにもたれた柊が、面倒そうに振り返る。
「先生、探してたよ」
「天気いいからな」
「なによそれ」
呆れたように笑う美月を見て、柊も少しだけ笑った。
美月は昔から綺麗だった。
儚げで、放っておけない雰囲気があった。
だから高校でも、男子によく声を掛けられていた。
「美月ちゃん、今日遊ばね?」
「え、でも……」
「彼女いるくせに何言ってんだよ」
「だってあいつうるせぇし。美月ちゃんくらい可愛い方がいいじゃん」
——その会話を、聞かれてしまった。
昼休みの廊下。
「沢田! 人の彼氏に色目使ってんじゃねーよ!」
怒鳴り声に、美月が肩を震わせる。
「ち、違……」
「うっさい!」
ドン、と肩を突き飛ばされた。
周囲がざわつく。
「ちょっと顔がいいからって調子乗ってんじゃねーぞ!」
女の手に、銀色のものが光る。
「お、おい……」
「カッターはやばいって」
その時だった。
「……何してんだ、お前ら」
低い声。
人混みの向こうから現れた柊に、美月の顔が強張る。
「柊……」
柊は美月を庇うように前に立つと、女の手首を掴んだ。
「離せよ」
「うるせぇ」
揉み合いになる。
カッターが落ちそうになり、柊が咄嗟に掴む。
「お前、施設育ちなんだろ?」
女が吐き捨てる。
「親いねーから、人のもん欲しくなんだよ!泥棒!」
——その瞬間。
柊の目の色が変わった。
「っ……!」
掴みかかろうとした柊を、美月が後ろから抱き止める。
「柊、だめ!」
その拍子に——
シュッ
鋭い音。
次の瞬間。
「っ……」
美月の頬に、赤い線が走った。
ぽたり、と血が落ちる。
時間が、止まった。
「……美月?」
柊の声が震える。
美月は痛みに顔を歪めながらも、小さく首を振った。
「大丈夫……だから……」
でも。
柊は、自分の手に握られたカッターを見たまま動かなかった。
その目は、壊れそうなほど揺れていた。
——卒業と同時に、柊は姿を消した。
美月の前からも。
————
「……たぶんあいつ、自分を許せなかったんだと思う」
琥太郎が小さく息を吐く。
「一番傷付けたくなかった人を、自分の手で傷付けてしまったから」
「ひっく……」
「おい、誰かこいつに酒飲ませたか」
呆れたような祐介の声。
「だってぇ……!」
盛大に鼻をすすりながら、鈴は祐介のシャツで涙を拭こうとする。
「うわっ、やめろ!」
「ティッシュ足りない!」
「人の服使うな!」
騒がしいやり取りに、琥太郎は思わず吹き出した。
鈴は涙を拭いながら、真っ直ぐ顔を上げる。
「……でも、だったら尚更会わなきゃダメじゃないですか」
「……」
「会いたいんでしょ? 二人とも」
祐介が黙る。
鈴は続けた。
「私、見たことあるんです」
「……何を?」
「時計」
琥太郎が目を瞬かせる。
「時計?」
「柊ちゃん、いつも引き出しの奥に大事そうにしまってるんです」
————
「柊ちゃーん、充電器借してー」
返事はない。
「いないのか」
鈴は勝手に部屋へ入り、引き出しを開けた。
「……なにこれ」
奥にあった腕時計を手に取る。
シンプルだけど、上品なデザインだった。
「結構いいやつじゃん」
何気なく腕にはめた、その時。
「……鈴」
低い声。
振り返ると、柊が立っていた。
「あ、柊ちゃん!」
「店長な」
そう言いながら、柊は鈴の腕から時計を外す。
その動きだけ妙に早かった。
「……それ、大事なやつ?」
「別に」
でも。
柊は時計をすぐ引き出しに戻さなかった。
しばらく、手の中で握っていた。
————
「それで、学校で沢田先生を見た時に気付いたんです」
鈴が、目を伏せる。
————
「神崎! お前、髪色戻してこいって言っただろ!」
「昨日も早退したよな!」
担任と生活指導が声を荒げる。
——はいはい、いつものやつ。
鈴は適当に聞き流した。
「おい、聞いてんのか神崎!」
その時、チャイムが鳴る。
担任と生活指導が、慌てて職員室を出ていった。
静かになる。
帰ろう、とため息をついた時だった。
「神崎さん、コーヒー飲む?」
ふいに後ろから、ふわり、とした優しい声。
「……は?」
思わず変な声が出た。
「……沢田先生」
美月が微笑んだ。
「私、次の授業ないの」
「他の先生には内緒よ?」
そう言って、席を立つ。
その時だった。
紙コップにコーヒーを注ぐ美月の腕。
シャツの袖から、腕時計が覗いた。
——あれ?
————
「先生も、同じ時計してた」
「最初は、似てるだけだと思ってたんです。同じ時計なんて、いくらでもあるし」
沈黙。
祐介が、小さく息を吐く。
「……高校の時、柊がバイト代貯めて買ったやつだな」
「やっぱり!」
鈴が身を乗り出す。
「二人とも、まだ大事にしてるんですよ!」
その言葉に、琥太郎と祐介は顔を見合わせた。
そして。
「ったく、あの二人は」
祐介が呆れたように笑う。
「鈴、お前の案に乗ってやる」
「おい、祐介」
「どっちみち、誰かがきっかけ作ってやらねーと、あいつら一生このままだ」
「そうかもしれないけど」
「美月の怪我は柊のせいじゃねぇ。そんなの俺らだって、美月本人だってわかってることだ」
「……ああ」
「それをあいつが一人で勝手に責任感じて、俺らの前から姿を消しやがって」
祐介が拳を握り締める。
琥太郎はしばらく考えた後、ふっと笑った。
「……うん。そうだな。じゃあ、美月にも内緒にしとかないとな」
「ああ。あいつ、言ったら絶対遠慮するからな。当日まで内緒だ」
「やったぁ!」
鈴が嬉しそうに手を叩く。
その日から、柊と美月を会わせるための極秘作戦(鈴命名)が始まった——