御曹司社長は恋に臆病な契約妻を極上の愛で囲う

御曹司との出会い

「これから食事会だっていうのに、会社にスマホを忘れちゃうなんて……」

 神崎(かんざき)小夜莉は小さくため息をつくと、中を探っていた鞄を肩にかけ直した。寒さの和らいだ五月の夜風に吹かれながら、今来た道を小走りで戻る。夜道にコツコツとヒールを響かせ、職場の裏口の門まで来た小夜莉は大きな黒縁のメガネを押し上げると、薄暗くそびえ立つ建物を見上げた。

 ここは御子柴グループの企業のひとつ『御子柴化学株式会社』の研究所だ。小夜莉はここで研究員として働いている。今主に担当しているのは、人工関節手術の際に使用する、金属プレートに代わる新素材の研究だ。入社当初は地方の工場に隣接する研究所で化学薬品の研究をしていたが、三年前にこの本部に異動になった。その後先輩たちの相次ぐ退職もあり、小夜莉は二十七歳という若さにして、この春から主任研究員になったのだ。

 ひとつに括った長い髪をサッと後ろに流した小夜莉は、入り口の扉の前で社員証をかざすと、守衛に声をかけてうす暗い建物の中へと入る。シーンと静まり返った廊下に、コツコツと自分の足音だけが響くのを聞きながら、一切物音のしない廊下に不思議に思って軽く首を傾げた。

「今日は一斉清掃の日だったよね?」

 数か月に一度、研究所に大規模清掃が入ることは、職員全員が知っていることだ。その日程は今日だったはず。だからこそ、職員は全員定時で退社するようにと所長から厳しく言われていた。
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