嘘つき蛇は、今日も私を離さない

第1話

あいつは昔から、平気で嘘をつく男だった。

怒られても笑っていて、
誰かが泣いていても、どこか他人事みたいな顔をして。

変な喋り方で、のらりくらりとしていて。

でも私は、ずっとあいつの隣にいたかった。

4年前。

あいつは「ごめんな」とだけ言い残して、消えた。

泣いているのか、
笑っているのかもわからない顔だった。


──あれから、4年。
高校2年生になった今の私は、あの頃の泣き虫な「私」じゃない。

駅ビルの雑貨屋。

放課後の女子高生で溢れかえるコスメコーナーの鏡の前で、私は春の新作リップを手の甲に滑らせた。

青みの強い、白っぽいピンク。

その色を指先で少しだけすくい、自分の唇にポンポンと馴染ませてみる。

あいつのおばあちゃんがよくつけてるリップと同じ色合い。

小さい頃、おばあちゃんにつけてもらった覚えがある。おばあちゃんのリップをつけた私を見たあいつは、「なんなんきくちゃん、その唇。桜餅でも食べたん?」とか言って、ヘラヘラ笑ってからかった。

無意識に手に取ってしまったけれど──やっぱり、まじで似合わない。
鏡に映る私は、リップだけが変に浮いていて、せっかくのメイクが全部台無しに見えた。全然、盛れない。

「ねぇ、斑目。このリップ、どう思う?」

唇を指差して、隣に立つ親友に顔を向ける。
放課後、私の買い物に強引に連れてこられた斑目は、見るからにめんどくさそうに私を見た。

同じ女子高生のはずなのに、女の子でごった返すキラキラしたコスメコーナーの中で、腕を組む彼女の不機嫌そうな顔は思いっきり浮いている。

「え〜。……まぁ、いいんじゃねぇの? 似合う似合う」
「うそつけ! 絶対浮いてるよ、これ! まじで顔色死んで見えるもん!」

私はすぐさま拭き取り用のティッシュを引っ掴み、指先と唇をゴシゴシと容赦なくピンクの脂を拭い取った。こすれた唇が、じんわりと赤く熱を持つ。

斑目ははぁー、と深いため息をついて私の頭を小突いた。

「最初から似合ってないって思ってんなら、人に聞くなよな」
「うるさいなぁ。ちょっと試してみただけだし」

スクールバッグから化粧ポーチを取り出し、お気に入りのリップを唇に滑らせる。いつもの完璧な「私」の完成。

「……他の色、試さないの?」
「う〜ん、なんかコレって色ないからいいや」

斑目は呆れたように「はいはい」と頷いて、背を向けた。

「喉乾いちゃった。ちょっと休憩しよう」
「へいへい、どこでもお供しますよ、お嬢さま」
「くるしゅうない♪ ……マックとスタバ、どっちがいい?」
「マック。スタバは居心地悪いからパス」
「よし、じゃあマックね。決まり」

***

斑目はコーラとポテト、私は期間限定のカラフルなフロートをそれぞれ買い、外がよく見える窓際の席を陣取った。

「あー、まじで生き返るわ……!」

ストローに口をつけた斑目は、炭酸を一気に喉に流し込むと、ぷはっと声を上げ、ソファー席にだらしなく体重を預けた。

「おっさんくさ」

その気の抜けた顔に、私は思わずくすっと笑ってしまう。

「ほっとけ」

斑目は口を尖らせ、ポテトを2本、口に運んだ。

トレイの上のマックポテトとカラフルなフロートを交互に見て、私はふっと目を細めた。

「うちら、高2になっても変わんないね」

「『高2』って言ってもついこの間からだけどな」

「まぁ、そうだけどさ」

「やることは変わってないだろうけど、あんたは見た目、激変したろ」

「えっ?」

きょとんとした顔を斑目に向ける。斑目はコーラを飲んだ。

「そのメイクと髪色。中学の時はそんな派手派手じゃなかったのに」

「あー、これ?」

私は自分のピンクのインナーカラーが入った毛先を、指先でつまんだ。

「そんな派手な格好してるから、ナンパ野郎がすぐ寄ってくるんだよ。この前もなんか、頭の悪そうな奴に絡まれてただろ」

「あー、あったね、そんなこと」

思い出して小さく鼻を鳴らす。
ついこの間、今日みたいに斑目と駅前をぶらぶらしてたら、見るからにチャラそうな男二人組に「ねぇ、これからカラオケ行かない?」ってしつこく腕を掴まれそうになった。
めんどくさいな、と思って適当にいなそうとしたんだけど、斑目が「『行かねぇ』ってつってんだろうがよ」とドスの効いた声と睨みで一瞬で追い払ってくれた。

「『あー、あったね、そんなこと』じゃねぇよ! 少しは危機感持て!」

私の気の抜けた相槌が気に入らなかったのか、斑目は眉間にシワを寄せて私を睨みつけた。

「だって、これは好きでやってるの! ほら、中学は校則が結構厳しかったじゃん。スカートの丈とか前髪の長さとかさ。だから、高校で『かいほー』みたいな?」

髪を指先でくるくると弄びながら、私はフロートのストローを咥えた。

メイクとおしゃれが好きなのは本当。……でも、それだけじゃない。

あいつが消えた日から、私はよく泣くようになった。

部屋で一人になるたび、
気づけば、あいつのことを考えていた。

何も言わずにいなくなった薄情な男のことを引きずってる自分が、嫌だった。

惨めで、みっともなくて。

だから変えた。
髪も、メイクも、制服の着方も。

「松本菊依(まつもときくえ)」は元気でかわいくて、
幼馴染が遠くに行ったことくらいで泣かない女の子だから。

斑目は、私を上から下まで値踏みするように眺める。

「へぇ」

感情の籠もっていない、あからさまに適当な相槌を返してきた。

「ちょっと、絶対興味ないでしょ!」
「うん、興味ないね。──でも」

斑目はコーラのカップをテーブルに置くと、ぶっきらぼうに視線を逸らした。

「男を呼び寄せるためにやってんじゃねぇってことは知ってるから。その辺は、まぁ……安心してるけど」

「……なにそれ」

不意を突かれた。
いつも私のことを「派手派手」ってからかうくせに、こういうところ、斑目はまじでずるい。

「ポテト、一本ちょーだい」

照れ隠しで、私は文句を言いながら手を伸ばし、斑目のトレイからポテトを強奪した。

「どうぞ」

呆れたような声が返ってくる。
口に放り込むと、油と塩気が舌に乗る。安くて、ジャンキーな味。それを、フロートの甘くて冷たい味ですぐに上書きした。

「私が一緒の時はいいけどさ、一人の時はマジで危機感持てよ」

「わかってるわかってる」

「ホントかよ…」

斑目は呆れたように息を吐き出し、窓の方を向いて、「あっ」と声を漏らした。

「なに?」

釣られて私も窓の方を向く。

ガラス窓の向こう側。桜のピンクが舞い散る駅前のスクランブル交差点を今時珍しい黒い学ランを着た3人の学生が歩いていた。このあたりでは有名な難関男子校の制服だ。

「この時間に、お坊ちゃま校の奴らが歩いてるなんて珍しい」

斑目は嘲るような声色で言った。

私は、その3人の中でまっすぐな姿勢で歩く、背の高い人に目が留まった。

その横顔に息を飲んだ。

──狐のようにきれいな、切れ長の目。
──笑ってるのに、何考えてるかわからない口元。
──黒髪。

4年間、一度も忘れられなかった姿。

心臓が跳ねた。口の中のフロートの甘さが、一瞬で消え去る。

私は反射的に立ち上がった。椅子がガタッと耳障りな音を立てて床に倒れた。

「……銀、也……?」

店内にいた数名のお客たちが一斉に私に視線を注ぐ。

「キ、キク?」

目の前で、斑目がコーラを持ったまま、見たこともないくらいに目を丸くしている。
だけど、今の私には、周囲の目なんて、斑目の声なんて、気にする余裕はなかった。

「ごめん、ちょっと用事思い出した」

乱暴にスクールバッグを掴む。

「おい、キク!? 急にどうしたんだよ!」

斑目の声を背中で聞きながら、私は店を飛び出していた。
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