嘘つき蛇は、今日も私を離さない
第2話
私は、自分を隠していた。
髪を染めて、
メイクを覚えて、
笑って。
あのバカ糸目のことなんて忘れたみたいな顔をして、生きていた。
なのにどうして、身体が勝手に動いているんだろう。
人混みを掻き分け、駅ビルを出る。
外に出た途端、春のぬるい風が肌を撫でた。
ぐるりと見回しても、先ほど見かけた学ラン姿の3人はどこにも見当たらなかった。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。
なんで行っちゃったの。
暗い部屋で一人、何度も何度も呟きながら、泣いてばかりいた幼い自分が頭をよぎる。
──嫌だ。もう、あんな風に、置いていかれるのは絶対に嫌……っ!
あの3人が歩いていたのは駅の方。
私は、もうなりふり構わず、雑踏に向かって駆け出していた。
喉の奥が焼けるように熱い。
髪もメイクも、春の風と汗でめちゃくちゃになっているかもしれない。
でも、そんなのどうでもよかった。
人波を掻き分けながら、必死に視線を巡らせる。
その時──
人混みの向こうに、一際目立つ濃紺の学ランが見えた。
──いた。
まっすぐな背中。
黒髪。
見間違えるはずがない。
私は反射的に横断歩道へ駆け出しかけた。
だけど。
信号は、赤。
猛スピードの車が、目の前を次々と走り抜けていく。
耳障りな走行音と、排気ガスの臭いが鼻を刺した。
早く。早く変われ。
焦る私を嘲笑うみたいに、信号はいつまで経っても赤いまま。
その間にも、彼らの背中はどんどん遠ざかっていく。
待って。行かないで。
赤く灯る信号を睨む。
──早く。お願いだから。
祈るような私の視線の先で、パッと、信号が鮮やかな緑色に変わった。
同時に私は、アスファルトを強く蹴り出した。
彼らとの距離が、一歩、また一歩と縮まっていく。
腕を伸ばせば、その背中に触れることができるくらいの距離まで来て、私は声を張り上げた。
「──っ、ギン!!! 待って!!!」
その瞬間。
真ん中を歩いていた背中が、ぴたりと止まった。
そして。
4年間、一度も忘れられなかった男が、ゆっくり振り返った。
細く細められた狐みたいな目が、まっすぐ私を捉えた。
「……あー」
狐みたいに目を細めて、銀也は笑った。
「誰かと思たら、キクか」
懐かしい名前を口の中で転がすみたいに、ゆっくり呼ぶ。
「久しぶりやなぁ」
銀也はただ、道端でたまたま知り合いに見つかったときみたいな、軽い声だった。
私の知っている「銀也」じゃなかった。
「……なんで」
声がうまく出ない。
「なんで、ここにいんの……」
銀也は少しだけ目を細めた。
「……変わったなぁ、キク」
銀也の視線が、私のピンクの髪をゆっくりなぞる。
喉の奥で、ぐちゃぐちゃに感情が詰まる。
「なぁ、この子誰? 市川くんの知り合い?」
銀也の隣に立つ男子学生が、私を値踏みするみたいに眺めながら、彼に訊いた。
もう一人の細身の男子は、どこか居心地悪そうに視線を泳がせていた。
「ただの昔馴染みや。小学生の時、よう遊んだんや」
銀也は淡々と説明した。
嘘は言っていない。
でも、彼の冷ややかな声と「ただの」という響きが、チクリと胸に刺さった。
話を聞いた相手は「へぇ」と相槌を打ち、品定めするような目を私に向けた。
「ほあなキク。また今度、ゆっくり話そか」
軽く手を上げ、銀也は私に背を向けた。
両隣にいた人たちも静かに歩き出す。
彼の背中は見ない間に大きくなっていた。
伸ばしかけた手は、宙ぶらりんのまま止まった。
結局、私はまた、銀也の背中を見送ることしかできなかった。
ーーーーーー
「さっきの子、ちょっと可愛かったな」
明るい声で笑いながら、男子学生が話を切り出す。
「なぁ、市川くん。今度紹介してよ」
その瞬間。
銀也の目から、すっと笑みが消えた。
「……やめとき」
低い声だった。
男子学生はきょとんと目を瞬かせる。
けれど次の瞬間には、銀也はいつもの調子で笑っていた。
「あの子、よう泣く子ぉやから。めんどくさいで」
「お、おう……」
男子学生は、なぜかそれ以上何も言えなかった。
春の風が、銀也の黒髪を静かに揺らした。
横断歩道を渡り切ったところで、銀也はふいに足を止め、一度だけ振り返る。
「市川先輩?」
細身の男子学生が不思議そうに振り返る。
人混みの向こう。
銀也は目を細めた。
泣きそうな顔で自分を見つめていた瞳が、まだ目に焼き付いて離れない。
「……ほんま、変わったなぁ」
ぼそっと呟く。
細身の男子学生は銀也の声が聞き取れず、「……え?」と怪訝そうに眉を寄せた。
銀也は微笑み、何事もなかったみたいに、また歩き出した。
髪を染めて、
メイクを覚えて、
笑って。
あのバカ糸目のことなんて忘れたみたいな顔をして、生きていた。
なのにどうして、身体が勝手に動いているんだろう。
人混みを掻き分け、駅ビルを出る。
外に出た途端、春のぬるい風が肌を撫でた。
ぐるりと見回しても、先ほど見かけた学ラン姿の3人はどこにも見当たらなかった。
ドクン、と心臓が嫌な音を立てる。
なんで行っちゃったの。
暗い部屋で一人、何度も何度も呟きながら、泣いてばかりいた幼い自分が頭をよぎる。
──嫌だ。もう、あんな風に、置いていかれるのは絶対に嫌……っ!
あの3人が歩いていたのは駅の方。
私は、もうなりふり構わず、雑踏に向かって駆け出していた。
喉の奥が焼けるように熱い。
髪もメイクも、春の風と汗でめちゃくちゃになっているかもしれない。
でも、そんなのどうでもよかった。
人波を掻き分けながら、必死に視線を巡らせる。
その時──
人混みの向こうに、一際目立つ濃紺の学ランが見えた。
──いた。
まっすぐな背中。
黒髪。
見間違えるはずがない。
私は反射的に横断歩道へ駆け出しかけた。
だけど。
信号は、赤。
猛スピードの車が、目の前を次々と走り抜けていく。
耳障りな走行音と、排気ガスの臭いが鼻を刺した。
早く。早く変われ。
焦る私を嘲笑うみたいに、信号はいつまで経っても赤いまま。
その間にも、彼らの背中はどんどん遠ざかっていく。
待って。行かないで。
赤く灯る信号を睨む。
──早く。お願いだから。
祈るような私の視線の先で、パッと、信号が鮮やかな緑色に変わった。
同時に私は、アスファルトを強く蹴り出した。
彼らとの距離が、一歩、また一歩と縮まっていく。
腕を伸ばせば、その背中に触れることができるくらいの距離まで来て、私は声を張り上げた。
「──っ、ギン!!! 待って!!!」
その瞬間。
真ん中を歩いていた背中が、ぴたりと止まった。
そして。
4年間、一度も忘れられなかった男が、ゆっくり振り返った。
細く細められた狐みたいな目が、まっすぐ私を捉えた。
「……あー」
狐みたいに目を細めて、銀也は笑った。
「誰かと思たら、キクか」
懐かしい名前を口の中で転がすみたいに、ゆっくり呼ぶ。
「久しぶりやなぁ」
銀也はただ、道端でたまたま知り合いに見つかったときみたいな、軽い声だった。
私の知っている「銀也」じゃなかった。
「……なんで」
声がうまく出ない。
「なんで、ここにいんの……」
銀也は少しだけ目を細めた。
「……変わったなぁ、キク」
銀也の視線が、私のピンクの髪をゆっくりなぞる。
喉の奥で、ぐちゃぐちゃに感情が詰まる。
「なぁ、この子誰? 市川くんの知り合い?」
銀也の隣に立つ男子学生が、私を値踏みするみたいに眺めながら、彼に訊いた。
もう一人の細身の男子は、どこか居心地悪そうに視線を泳がせていた。
「ただの昔馴染みや。小学生の時、よう遊んだんや」
銀也は淡々と説明した。
嘘は言っていない。
でも、彼の冷ややかな声と「ただの」という響きが、チクリと胸に刺さった。
話を聞いた相手は「へぇ」と相槌を打ち、品定めするような目を私に向けた。
「ほあなキク。また今度、ゆっくり話そか」
軽く手を上げ、銀也は私に背を向けた。
両隣にいた人たちも静かに歩き出す。
彼の背中は見ない間に大きくなっていた。
伸ばしかけた手は、宙ぶらりんのまま止まった。
結局、私はまた、銀也の背中を見送ることしかできなかった。
ーーーーーー
「さっきの子、ちょっと可愛かったな」
明るい声で笑いながら、男子学生が話を切り出す。
「なぁ、市川くん。今度紹介してよ」
その瞬間。
銀也の目から、すっと笑みが消えた。
「……やめとき」
低い声だった。
男子学生はきょとんと目を瞬かせる。
けれど次の瞬間には、銀也はいつもの調子で笑っていた。
「あの子、よう泣く子ぉやから。めんどくさいで」
「お、おう……」
男子学生は、なぜかそれ以上何も言えなかった。
春の風が、銀也の黒髪を静かに揺らした。
横断歩道を渡り切ったところで、銀也はふいに足を止め、一度だけ振り返る。
「市川先輩?」
細身の男子学生が不思議そうに振り返る。
人混みの向こう。
銀也は目を細めた。
泣きそうな顔で自分を見つめていた瞳が、まだ目に焼き付いて離れない。
「……ほんま、変わったなぁ」
ぼそっと呟く。
細身の男子学生は銀也の声が聞き取れず、「……え?」と怪訝そうに眉を寄せた。
銀也は微笑み、何事もなかったみたいに、また歩き出した。