鏡花水月
プロローグ
「俺の飯食うなよ!」
「知るかよ!お前が残しとくのが悪いんだろ」
​戦禍から(かろ)うじて免れた、古びた臨時の借宿。その前庭に、戦場にはおよそ似つかわしくない子供じみた怒鳴り合いが響き渡っていた。
その喧騒をよそに、私は幼馴染であり戦友でもある重治(しげはる)の特訓に付き合っていた。
重治が凄まじい風切り音を立てて刀を振り下ろす。容赦のない日差しを浴びて、鈍く光る刃が何度も空を割った。次の死線へ向けて、彼の集中力は研ぎ澄まされている。
​ふと動きを止めた重治の視線を追うように、私は未だに変なことで盛り上がっている二人―――桃李(とうり)平八(へいはち)を、母屋の柱の陰から盗み見た。
「おい、平八。それ一切れ多いだろ」
「あぁん?奪ったもん勝ちだろ。それより、さっさと返せ」
「なんでだよ、返せってあれか?ガキの頃お前に借りた春画か?」
​「そんなもの、借りた覚えも貸した覚えもない」
「そうだっけ?あ、くれたんだっけ」
お世辞にも上品とは言えない、腹の底からの大笑い。
けれど、彼らの腰にある刀はいつでも抜けるように手入れされている。体勢だって、どこから奇襲を受けても即座に動ける絶妙なバランスを保っている。
(訓練必要ないくらい強いもんなぁ……)
ふと、数日前に補給拠点に立ち寄った時の光景が頭をよぎった。
あの時、あろうことか前線の真ん中で空き缶を見つけたからと言って、二人は他部隊の戦友達まで強引に巻き込み、大々的に『第一回・缶蹴り大会』なるものを開催していたのだ。
前線の緊迫感を台無しにする、ある意味での天才だった。
「何を気にしている」
いつの間にか刀を(さや)に収めた重治が、額の汗を拭いながら不思議そうに私を覗き込んでいる。
「あの二人、呑気だなぁって思って。一応戦場だよ?ここ」
あきれ半分、そして彼らの図太さへの羨ましさ半分のため息を漏らしながら、私は腰に下げていた水筒を差し出した。
重治はそれを受け取ると、中に残っていた冷えた水を、喉を鳴らしながら一気に流し込んでいく。
「戦を前にじっとしているほど、アイツらが偉いところを俺は見たことがない」
「確かに」
重治の言葉に思わず吹き出す。
実際、その通りだった。
今日みたいに敵陣へ斬り込む直前まで飯の取り合いをしていたこともあるし、ある時は『どっちが先に敵将を討ち取るか』で乾パンを賭け始め、またある時は偵察ルートのことで口論から殴り合いになり、二人とも顔を腫らして作戦に参加していた。
あれでよく統率が取れているものだと、時々不思議になる。
「不思議だよねー」
「何がおかしい」
​​水を飲み終えた重治が、水筒を返しながら怪訝そうに眉をひそめた。
​「本当にいつも通りだなって思って。明日にはまた、命のやり取りが始まるかもしれないのに……四人でいれば生き残れる気がするんだよね」
​受け取った水筒を腰に戻し、私は再び前庭の二人に目をやる。
​「おい、紫乃と重治も今のうちに飯食っとけ!」
突然、大声を張り上げながら平八がこちらに歩いてくる。その後ろからは、口喧嘩の末に力ずくでねじ伏せられたらしい桃李が、頭にたんこぶを作りながらトボトボとついて来ていた。


この後、この星が完全に陥落(かんらく)し、私達が難民として遥か遠くの辺境の惑星―――『地球』へと逃げ延びることになるなんて、この時の私はまだ、露ほども知らなかった。
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