鏡花水月
第一章、再会
あの地獄のような戦場から数年後。
桜がすっかり散り、瑞々しい青葉が芽吹く頃。世間は祝日の連休ということもあって、私は久しぶりにこの懐かしい土地へと帰ってきた。
ただ、私はしがない孤児という身の上だ。今は見事な復興を遂げて穏やかな空気が流れているけれど、実家があるわけでも、出迎えてくれる両親の墓があるわけでもない。
ここにあるのは、あの泥と血にまみれた戦場を共に駆け抜け、私より先に逝ってしまった戦友達の墓標だけだった。
​感傷に浸りつつ、おぼろげな記憶を頼りに観光がてら周囲を歩き回ってみたが、かつて焼け野原だった町並みも、無残に抉れていた山道も、前回来た時より遥かに発展していた。
最先端の建築技術によるものか、一年でこんなに変わるもんなんだね、と超光速で進む復興の早さに驚きを隠せない。
「久々の帰還ってかん……」
言葉を最後まで続けることなく、私は近くの草むらに飛び込んだ。
―――誰かいる。
一瞬だけだったけど、ガタイの良さから男性と判断できた。しかし、色鮮やかな紫色の着流しを着たその男は、こちらに背を向けたまま、静かに墓標に手を合わせ、綺麗な菊の花を供えていた。角度のせいで、顔までは見えない。
せっかくの久しぶりの墓参りだ。誰かに邪魔されるのも、感傷に浸っている姿を見られるのも無性に嫌だった。
移動しようとした時、草履が草を踏む音が聞こえた。
(今時、草履なんて履いてる人がいるんだ……)
そんな呑気な感想を頭の片隅で処理しながら、私は完全に気配を断ち、呼吸すら抑えて身を固くする。
​男の足音が、ピタリと止まった。
「俺はてっきり、待ち伏せてるかと思ったんだがなぁ。足跡と気配でいるのは分かってんだ。顔ぐらいなら見てやるよ」
渋々草むらから顔を上げると、男―――平八は口角を愉快そうに上げていた。
かつての戦場で見せていた野性味のある鋭さはそのままに、どこか歳月を経て大人の余裕のようなものが混じっている。
「誰かと思えば……何で紫乃がここにいやがる。地球に行ったんじゃなかったのか?」
「毎年一回は墓参りとして顔出してんの」
「へぇ?」
平八はわざとらしく片眉を跳ね上げると、私の足元から頭のてっぺんまでを、からかうような視線でねちねちと往復させた。
​「墓参りねぇ。随分と熱心なこった。それにしては、気配の消し方が現役の時より随分と鈍ってんじゃないか? 完全に素人のそれだったぞ」
「うるさいなー、昔はお化け怖くて『一人でトイレ行けない〜』って私に泣きついてくせに」
「それは関係ねぇだろ」
​​昔の恥ずかしい弱みの図星を突かれ、平八が分かりやすく苦虫を噛み潰したような顔をする。その馴染み深い反応に、私の緊張は少しだけ解けた。
「戦争の時、別れて以来だが、上手く戻れたみたいだな」
「うん。ちゃんと学校にも通えているしね」
​私が答えると、平八は「へぇ?」と意地の悪い笑みを浮かべた。しかし、その瞳の奥にある眼差しは、どこまでも優しく温かい。
「左腕は痛むか?」
ふっと平八の視線が、私の左腕へと落とされる。あの最後の激戦で、爆風の破片を浴びて負った深い傷だ。
「ううん、傷は残ってるけど痛くないよ」
「ならいい」
しかし、まさか幼馴染の兄のように慕っていた一人に、母星の片田舎で再会するとは思わなかった。
「平八は今、何やってんの? 髪もちょっと伸びて、なんか雰囲気変わったね」
「ああ……テロリスト」
「へー、テロリ……テロリスト!?」
「おー」
​​あまりにも軽すぎる、まるで「コンビニに行ってきた」とでも言うようなノリで返された単語の重さに、私の思考は完全に停止した。
聞き間違いであってくれ、タチの悪い冗談であってくれという祈りを込めて耳をほじり直すが、平八の表情はいつもの悪ふざけのそれではない、どこか()わった目をしていた。
​「冗談……だよね?笑えないよ、平八」
​私は声を潜め、周囲に誰もいないことをもう一度確認しながら、詰め寄るように一歩踏み出す。
​平八は着流しの(ふところ)に手を入れ、ふんと鼻で笑った。
その目は、かつて戦場で死線を行き来していた頃の、冷徹で鋭い光を宿していた。
​「冗談に見えるか?紫乃。俺はいつでも本気だ」
​懐から取り出されたのは、見慣れない電子端末だった。画面には、この国の最先端の建築データや、復興の象徴である政府施設の構造図が目まぐるしくスクロールされている。
​「超光速の復興。お前はさっき、この街を見てそう思ったんだろ。この見事な摩天楼(まてんろう)の土台が、何の上に建っているか分かってるか?」
​平八の低い声が、新緑の葉を揺らす風に混じる。彼が視線を向けたのは、自分が今しがた花を供えたばかりの、粗末な石の墓標だった。
​「この星を滅ぼした連中は、今や『総督府(そうとくふ)』の重要人物として支配している。傷跡を綺麗なビルで覆い隠し、俺達の仲間が流した血を、無かったことにしようとしてるんだよ。学校で平和な歴史でも習ったか?地球の温い水に浸かっている間に、大切なことまで忘れたわけじゃねえよな」
平八の言葉は、鋭い刃となって私の胸を突き刺した。
確かに、このあまりにも早すぎる復興には違和感があった。だが、ようやく手に入れた平穏な日常を守りたいという思いが、私に現実から目を背けさせていたのかもしれない。
「……左腕、大事にしろよ」
​そう言い残すと、平八は鮮やかな紫色の着流しを(ひるがえ)し、木々の陰へと消えていった。
​残された私は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
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