ORANGE×BOY

あんな、心臓の寿命が縮むような至近距離のハプニングがあった翌日だというのに、綾瀬先輩の辞書には「遠慮」とか「謙虚」という文字はこれっぽっちも存在しないらしい。

 これまでの人生で、いろんな男子に話しかけられてきた。

それなりの頻度で告白だってされてきた。
けれど、彼みたいに咲良の完璧な防衛線と生活のペースを、ここまであっさりと、楽しそうに乱してきた侵略者は一人もいなかったのだ。

だからこそ、関わりたくない。
絶対に、何が何でも。
 そう固く心に誓っていた、まさにその瞬間だった。

「咲良ちゃーん!」

「……っ!!」

 教室の前から響いた間の抜けた声に、私は危うく机に額を強打するところだった。

 本当によくも毎日毎日、懲りずにやってくる。

 教室の入り口へ視線を向けると、そこには相変わらず、学校中の視覚情報を一人で独占してしまうような金髪の先輩が立っていた。

咲良を見つけるなり、片手をひらひらと軽薄に振りながら、にこにこと笑っている。

その佇まいが、まるでファッション雑誌の切り抜きみたいに一瞬で絵になってしまうのが、被害者としては最高に腹立たしい。

 最悪なことに、彼の背後に広がる廊下には、すでに無数の女子生徒たちが群がっていた。

「え、また綾瀬先輩じゃん!」
「やば、今日も来たんだけど!」
「待って、マジで目の保養~」
「ほんと王子じゃん……」
「ねえ、あの咲良って子、本当に綾瀬先輩の知り合いなの?」
「委員会とかが同じなんじゃない?」
「えー超ヤバいじゃん!いーなー」

 無遠慮なひそひそ声が、無数のトゲになって私の背中に突き刺さる。

 咲良は今すぐ机に突っ伏して現実逃避したい気持ちをぐっとこらえ、世界で一番低い温度の顔をして、ゆっくりと顔を上げた。

「……何ですか」

 地平線の底から響くような声で言う。
けれど綾瀬先輩は、そんな咲良の不機嫌などそよ風程度にしか思っていないみたいに、楽しそうに首を傾げた。

「昼飯食おーよ!」
「嫌です」
「即答?」
「当たり前です」
「えー、何で?」
「何でって、何で私が昼ごはんをあなたと食べなきゃいけないんですか」

 ぴしゃりと言い放つと、教室のあちこちから「ひゃー」「つよ……」みたいな、舞台の観客席から漏れたようなざわめきが聞こえた。

 綾瀬先輩は少しだけ意表を突かれたように目を丸くしてから、ふっと嬉しそうに形よく唇を歪める。

「咲良ちゃん、ほんと容赦ないねー」
「褒めてませんよね、それ」
「え?褒めてる褒めてる♪」

 どこがでしょうか。

 咲良がじとっとした視線で睨みつけても、綾瀬先輩はどこまでも飄々としていた。
柔らかな昼の光を背負って笑うその顔は、やっぱりやたらと明るくて、見ているこちらの調子を狂わせる。
 そして、このやりとりを、すぐそばで猛獣の餌付けショーでも見るかのように目をきらきらさせて眺めている存在がいた。

「ちょっとちょっと~! いい加減一緒に食べなよ、咲良ぁ!」
「茉那、静かにして」
「無理無理無理! だって綾瀬先輩だよ!? ランチタイムだよ!?」
「そんな良いものじゃないし」
「貴重じゃん!」
「いや、絶滅危惧種じゃないんだし」
「それくらい貴重だよ!?」

 親友の限界突破した興奮を横目に、当の先輩はというと、「えー? 俺、絶滅寸前なの?マジかー」
とお腹を抱えてけらけらと笑っている。

自分の希少価値をこれっぽっちも自覚していないその笑い声が、余計に教室の温度を上げていることに気づいてほしい。

 咲良は興奮のあまり呼吸が乱れている茉那を視界の外に追いやり、再び正面の金髪を見据えた。

「とにかく、行きません。もう教室に来ないでください!」
 それだけを冷徹に言い残して、咲良は彼からぷいっと視線を逸らした。

 これで終わり。
私の勝ち。
そう思っていたのに。


< 19 / 40 >

この作品をシェア

pagetop