ORANGE×BOY

5.嫉妬



屋上のドアを閉めたあとも、咲良の心臓はしばらく落ち着かなかった。
 夏の風を閉じ込めたみたいな廊下を、早足で歩く。
窓の外には、青空がどこまでも明るく広がっていて、校庭の隅の木々がやわらかく揺れている。
その穏やかな風景が、胸の内側の落ち着かなさとはひどくちぐはぐで、咲良は思わず唇をきゅっと結んだ。

" ……付き合えませんから "

 さっき自分が言った言葉を、頭の中でもう一度繰り返す。

 そうだ。
あれでよかった。
 ちゃんと線を引いたんだ。

これ以上近づかせないように、ちゃんと言ったはずだ。
 なのに、どうして。

 " じゃあさ、好きな子を危ない奴から守る、心の優しい良い奴が……たまたま、ヤンキーだったら? "

 あの一言だけが、どうしても耳に残ってしまう。
 ふざけているみたいで、でも目だけは驚くほど真剣だった。

 あのとき手首を掴まれた場所が、まだほんのり熱い気がして、咲良は慌てて自分の腕をさすった。

「……気のせい」

 小さく呟く。
 そう、気のせいだ。
 あんなの、綾瀬先輩のいつもの軽口に決まっている。
まともに受け取るほうがおかしい。

そう思うのに、胸のどこかが妙にそわそわして、咲良はそのざわめきに気づかないふりをした。


それから、綾瀬蓮は学校に暫く姿を現さなかった。

 次の日も。
 その次の日も。
 昼休みになっても、教室の前にあの金色の頭が現れることはなく、廊下が黄色い声でざわつくこともない。

 最初の日、咲良は心の中で思いきり安堵した。
 よかった、と思った。
 やっと平和が戻った。
ようやく落ち着いて昼休みが過ごせる。
教室の前で騒がれたり、名前を呼ばれたり、無駄に注目を浴びたりしなくて済む。

 それでいいはずだった。
 いいはずなのに。

 窓の外を見ながら、ふとした瞬間に思ってしまう。
 " 今日は、来ないんだ … "
 その小さな気づきに、自分で自分が少しだけ嫌になる。
 来なくて当然なのに。
 あんなに「来ないでください」と言っていたのは自分なのに。

 なのに、廊下が静かすぎると、どこか拍子抜けしている自分がいる。

「……ないない」

 咲良は心の中で首を振った。
 こんなの、ただ慣れてしまっただけだ。
 騒がしいものが急になくなると、少し変に感じる。
それだけ。
別に、寂しいとか、そんなのじゃない。

 そのはずなのに。

「来ないねぇ、綾瀬先輩~」

 昼休み、茉那がぽつりと呟いた。
 教室にはお弁当の匂いが混ざっていて、窓から入る緩やかな風がカーテンを少しだけ揺らしている。
茉那は卵焼きを箸でつつきながら、にやにやと咲良を見た。
 咲良はすぐに口を尖らせる。

「いや、これがもとの生活だったから」

「ふーん?」

「何?」

「でも、ちょっと寂しいんじゃないのー?」

 からかうような声音に、咲良は即座に顔をしかめた。

「そんなわけないでしょ!」

「今、視線そらした」

「そらしてない」

「そらしたってー!」

「そらしてないですー」

「絶対そらした!」

 茉那が楽しそうに身を乗り出してくる。
 咲良はふいっと窓のほうを向いた。

 ――ほら、また。

 自分でもわかるくらい、反応がわかりやすい。
こんなの、からかわれて当然だ。

「咲良、わかりやすーい」

「茉那がうるさいだけじゃん」

「へえへえ。で?綾瀬先輩のこと、ちょっとは気になってるんだ?」

「気になってません」

「じゃあ何で今、窓の外見たの?」

「空がどこまでも青いから」

「何それぇ~小説かなんかのタイトルー?」

 茉那の笑い声が弾ける。
 咲良はますますむっとした顔になりながら、お弁当のブロッコリーをつついた。
 でも、そのとき胸の奥をよぎったのは、確かに綾瀬の笑顔だった。
 にこにこしていて、明るくて、鬱陶しいくらいにまっすぐで。
 太陽みたいに笑う不良。
 そんな言葉が頭に浮かんでしまって、咲良はなんだか気まずくなった。


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