まだ恋とは呼べない距離で

決定と選択肢

クリスマスイブ前日の夕食の席。

クリスマスイブの話が、母の口から出た。

「今年のクリスマスイブは、去年と同じレストランに行きましょう」

理緒は、すぐには意味を理解できなかった。

「……家族で?」

「うん。毎年そうしてきたでしょ」

その言葉に、記憶が少しだけ重なる。

確かに、そうだった。

小さい頃から、クリスマスイブは家族で過ごしてきた。

母は続ける。

「今年は特にね。お兄ちゃん、来年は受験でしょ。そのあと大学に行ったら、たぶん留学するって言ってるし」

一瞬だけ、空気が変わる。

「……だから、今年が最後みたいなものなのよ。家族でちゃんと過ごせるの」

理緒は黙る。

“最後”

その言葉だけが、少しだけ引っかかる。

母は柔らかく言う。

「だから終業式の後、早く帰ってきてね。お兄ちゃんを駅まで迎えに行かなきゃいけないし」

それは決定だった。


---

夕食後。

理緒は部屋に戻って、しばらくベッドに座っていた。

スマホを手に取って画面を開く。

指が少し止まる。

——言わなきゃ。

そう思うのに、すぐには動かない。

やがて、ゆっくり打つ。

«クリスマスイブ、家族で過ごすことになりました»

言葉を選びながら、何度も打ち直し、結局一番最初の言葉に戻る。

«すみません»

送信。

既読はすぐについた。

少しして返信。

«そっか»

短い。

理緒はその文字を見つめる。

そのあと、すぐに続く。

«じゃあ、その前に少しだけでも会えない?»

理緒の心は惹かれる。

でも、すぐに別の感覚が重なる。

——せっかく時間を作ってもらっても、少ししか会えないかもしれない。

——また、予定を変えさせてしまうかもしれない。

先輩の「我慢する」という言葉が浮かぶ。

それが優しさだと分かっているのに、
どこかで重く感じてしまう自分もいる。

理緒は打つ。

«せっかく時間を作ってもらっても、あまり会えないかもしれません»

送信。

すぐ返る。

«それでもいい»

即答。

その強さが、少しだけ痛い。

理緒はもう一度打つ。

«でも、いつも先輩が私に合わせてくれている気がして»

送信。

少し間。

«問題ない»

またすぐ返ってくる。

そして続く。

«会いたいから会ってるだけだろ»

その言葉に、理緒は息を止める。

嬉しいはずなのに、
安心しきれない。

理緒はゆっくり打つ。

«でも、私が先輩を苦しめているなら、それは違う気がします»

送信。

先輩からすぐ返信がくる。

«苦しくない»

短い。

強い。

でも、その奥に少しだけ焦りが見える気がした。

理緒は画面を見つめる。

本当は分からない。

どちらが正しいのかも。

ただ、ひとつだけ分かる気がしていた。

このままだと、
何かがどんどん“無理な形”になっていく。

また打つ。

«今のままだと、私も少し苦しいです»

送信。

既読。

数秒の沈黙。

先輩からの返信。

«……なにが?»

理緒は答えられない。

なにが、と言われても、
はっきりした理由はない。

でも、全部が少しずつ重い。

夜に出ること。
母に隠すこと。
予定を変えさせてしまうこと。
先輩が「我慢する」と言うこと。

それら全部が、ひとつの形になって胸に残っている。

理緒はゆっくり打つ。

«うまく言えません»

送信。

そして、少しだけ迷ってから続ける。

«でも、このまま続けるのは、もう違う気がします»

送信。

既読。

しばらくして。

«違わない»

その一言。

理緒はスマホを握る。

胸の中がざわつく。

“続ける理由”も、“やめる理由”も、
どちらも決定的じゃない。

ただ、この状態がずっと続くのが怖かった。

ゆっくり打つ。

指先が少し震えている。

«……先輩を幸せにできるのは、私じゃないと思います»

送信。

すぐに返信。

«は?»

一瞬。

そして続く。

«何それ»

理緒は目を閉じる。

さらに来る。

«理緒はどうしたいんだよ»

その言葉で、全部が止まる。

どうしたいのか。

分からない。

でも、分からないまま続けるのが怖い。

このまま会えば、
また嬉しくなって、
また苦しくなって、
また同じことを繰り返す気がした。

理緒は打つ。

«これ以上続けると、どんどん分からなくなる気がします»

送信。

少しの間。

先輩から。

«じゃあどうすんだよ»

理緒は画面を見つめる。

答えは、どこにもない。

でも、ひとつだけ“消去法”みたいに浮かぶ。

続けない以外に、楽になる方法が思いつかなかった。

理緒はゆっくり打つ。

«……やめた方がいいのかもしれません»

送信。

既読。

長い沈黙。

そして、先輩から。

«やめるって何»

理緒は、その言葉を見つめる。

ただの先輩後輩とも、恋人とも違う、名前のない関係。

だから、“やめる”の意味も曖昧だった。

でも、言葉にするしかなかった。

理緒は打つ。

指を止めずに。

«これ以上会うのをやめるということです»

送信。

すぐに既読。

でも、返信はしばらく来なかった。

数分後。

«……意味わかんない»

それだけ。

理緒はスマホを握ったまま、動けない。

少しして、最後の一通。

«俺はやめたくない»

«理緒が勝手に決めてるだけだろ»

理緒の胸が痛む。

でも、それも分かる。

自分でも、正しいとは思っていない。

だからこそ、最後に打つ。

«先輩を縛る関係は、正しくないと思います»

送信。

そして、一拍置いて。

«ごめんなさい»

送信。

既読。

沈黙。

やがて。

«……分かった»

その一言だけ。

理緒はスマホを少し投げるようにベッドに置く。

天井を見上げる。

胸の奥には、何も整理されていない感情だけが残る。

嬉しかったことも、
苦しかったことも、
全部まだ途中のまま。

ただひとつだけ、確かなことがあった。

“終わった”のではなく、

“続けられなかった”のだということ。

――この日の決断が、間違っていたことを、大人になった今なら分かる。でも、この日の私には、それ以外の選択肢はなかった――
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