まだ恋とは呼べない距離で

【番外編】まだ名前も呼べない距離で

中間テスト期間。

放課後の図書室は、普段より静かだった。

理緒はいつもの席に座って問題集を開いていた。

少しして、隣の席の椅子が引かれる音。

「……ここ、いい?」

聞かなくても座るのに。

そう思いながら、理緒は小さく頷く。

「はい」

藤森先輩が隣に座る。

机に参考書を置いて、軽く伸びをした。

「疲れた……」

「塾ですか?」

「うん。最近ずっと勉強してる気がする」

先輩はそう言って笑う。

理緒も小さく笑って、再びノートへ視線を落とした。


---

しばらくすると、自習する生徒が増え、図書室の席が埋まってくる。

「理緒っち、ここいいかな?」

波瑠が向かいの席を指しながら、荷物を置く。

「誰も使ってないから、大丈夫だと思うよ」

「邪魔してごめんね」

そこに、永田先輩もやってくる。

「藤森、ここいいか?」

波瑠の隣の席へ、どかっと座る。

「ん? おう……」

四人で机を囲み、それぞれ問題集に視線を落とす。

しばらくして、波瑠が小さく唸った。

「んんん……分かんない。理緒っち、この問題の解説の意味分かる?」

「分かるかな……ちょっと見てもいい?」

波瑠から問題集を受け取ろうとした時、横から大きな手が伸びて、問題集を取っていく。

「どれ? えーっと……これは、この前の問題で出てきた公式使うんだよ」

「あ、そっか。こっちで解説されてるんですね」

「そうそう。だからここ、省かれてるだけ」

永田先輩と波瑠だけで話が進み、理緒の入る隙はなくなる。

理緒は小さく視線を落として、再び自分の問題集を開いた。


---

しばらくして、

「そろそろ帰ろっかな」

波瑠がそう言って片付け始める。

「じゃ、俺もこのへんにしようかな」

永田先輩も鞄を肩に掛ける。

二人はそのまま並んで図書室を出ていった。

「波瑠と永田先輩、いい雰囲気でしたね」

理緒は何となく言ってみる。

「……波瑠って、永田に憧れてるんだっけ?」

「……はい。そうみたいです」

何となく、胸の奥が少しだけざわつく。

「そっか。なら、うまくいくんじゃねぇの」

先輩は、何か知っているみたいに言う。

「そう、ですか……」

「おう」

少しだけ間が空く。

「……あの」

「ん?」

「先輩は、波瑠のことは『波瑠』って呼ぶんですね」

「……え?」

「その……私のことは『神崎』なのに」

言った瞬間、少しだけ恥ずかしくなる。

でも、もう引っ込められない。

先輩は一瞬だけ目を丸くして、それから少し視線を逸らした。

「いや……呼ぶっていうか、他学年の女子の苗字なんて覚えてないから」

「え?」

「神崎が『波瑠』って呼んでるから、名前は分かったけど……苗字、覚えてねぇんだよ」

「……じゃあ、私の名前は覚えてます?」

言ったあとで、自分でも少し驚く。

どうして、そんなことを聞いたんだろう。

先輩は少しだけ黙って、それから観念したみたいに口を開く。

「……神崎理緒」

名前を呼ばれた瞬間、胸の奥がくすぐったくなる。

理緒は視線を落としたまま、小さく呟く。

「……覚えてくれてるんですね」

問題集へ視線を戻す。

でも、さっきから文字が全然頭に入ってこなかった。
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