捨てられ才女はどうやら繁栄の切り札だったようです~新生活を謳歌していたら、記憶チートで追放先が大発展していました~

2.ルーインの境遇

 ルーインは不遇の子であった。
 それはディルダの母に警戒されていたからに他ならない。
 見目麗しく利発で、素直なルーイン。彼は父にも愛されていた。
 もっともルーインは為政者としては善良すぎるのかもしれなかった。
 だが、ラッセリア公国は小国だ。周囲は何倍も大きな国ばかりで、野心を持っても活かしどころはない。
 それよりも計画的に魔獣の討伐を行って隣諸国との外交を欠かさない、マメで実直な王のほうがよいのだ。だからルーインは六歳の時に、実の母が死ぬとすぐに塔へと幽閉された。
 表向きは病弱で、療養のため。しかし実際にはディルダとの王位争いを防ぐためだった。実際にはそれは過度の警戒であり、そんな危険はなかったのだが……。
 ルーインは忘れ去られた存在になった。
「僕はいらない子なんだ」
 衣食住には困らなくても、ルーインには本を読むことと窓から外を見つめること以外の自由はなかった。
 そんな生活から三年ほど経過して。彼は王宮にひとりの女性を見かけるようになった。
 黒髪をなびかせ、いつも本を片手にしている女性。それは十六歳頃のコーデリアだった。
 その頃のコーデリアは公国の実務を学ぶため、よく王宮に訪れていたのだ。
 彼女はいつも本を抱えていた。コーデリアは自由であった。
少なくともその時のルーインにはそう映った。
 塔の上から目が合うとコーデリアはルーインに必ず手を振った。
「……僕がどういう人なのか、知らないのかな」
 多分、そうなのだろう。メイドや執事もルーインに対して距離を置いていた。
 ルーインが悪いのではないが、彼と関わることはプラスにならないのだ。
「僕はずっとひとりなのかなぁ」
 繰り返される同じような日々はルーインの中から母の顔を消し去りつつあった。
 いつか自分は殺されるのだろうか。それは兄の手によってか、忖度した臣下によってか。
 そんな日々にあって、コーデリアだけは屈託がなかった。
 彼女は相当に目が良いようで、塔の中にいるルーインを必ず見つけ出した。
 雨の日でも傘の下から手を振ってくれたのには驚いたくらいだ。
「少しくらい、いいよね」
 ある日、ルーインは大きな紙に書いて窓に貼り付けた。
『何の本を読んでいるの?』
 こうすれば目の良いコーデリアにはわかると思ったのだ。
 案の定、定期登城の際にコーデリアはすぐルーインの書いた張り紙に気が付いた。
 コーデリアは本をルーインのいる塔へと指し示した。
 が、遠すぎてルーインには読めない。ルーインが首を振る様子をコーデリアは見ていた。
 数日後、コーデリアは用意した大きな紙をルーインへと掲げた。
 そこには『魔獣歴史譚』とコーデリアが読んでいる本の題名が書かれてあった。
 コーデリアはルーインへ答えたのだ。
「ずいぶんと難しい本を読むんだなぁ……」
 魔獣歴史譚はラッセリア公国において、魔獣学の基礎文献のひとつだった。
 子ども向けに簡単にしたものならルーインの書架にもあったが、それでも大変難しい。
 話によると読み込むには古代ラッセリア語もわからないといけなくて、学者や本当に頭の良い官僚でないと手に負えないはず。そんな本をコーデリアは熱心に読んでいるのだ。
 ルーインとコーデリアはこうして窓越しに紙を見せて、些細なやり取りをするようになった。
 不思議なことではあったが、コーデリアの行動は咎められることがないようだった。
 数か月ほど塔越しのやり取りが続いた後、王宮がにわかに慌ただしくなる。
 そして王宮には色とりどりの旗と風船が飾られるようになった。
 いつもは無骨な衛兵も着飾り、赤と黒のラッセリア公国カラーでめかし込んでいる。
 初代王が音楽を愛したということで、楽器の音もひっきりなしに聞こえてきていた。
「おめでたいことでもあるのかな?」
 ルーインには何も知らせがない。もっとも、それはいつものことだ。
 ラッセリア公国の式典について、ルーインはあずかり知らぬ立場なのだから。
 だけど城のメイドや執事も衛兵も綺麗に洒落て、城下町も飾られている。
 ルーインだけが例外として、何も変わらない。
 理屈では自分のことと切り離せても、心は刺々しくなってしまう。
 壁や屋根よりも公国に置いていかれているのだから。
 その事実に参ってしまう。
「……寝よう」
 午後の早めにルーインはベッドに入った。
 王宮内で祝砲が鳴り、鈴の音に似た鐘が鳴る。
 公国の初代王がデザインしたという特別な鐘だ。
 あの鐘が鳴り響くのはいつ振りだろうか……でも関係ない。
 ルーインは飾られもしないし呼ばれてもいないし、知らされてもいない。
 ごろごろとルーインはベッドを転がる。
「眠気が来ない……」
 時間帯が時間帯だからか。
 そのままうだうだと時間が過ぎて――うっすらと空が暗くなってきた頃。
 階段をけたたましく駆け上がる音がした。ひとりじゃない。複数人だ。
 それを聞いた瞬間、ルーインはベッドから飛び起きた。
 ルーインの心臓が早鐘を打つ。心に蓋をしていた予想にルーインが戦慄する。
 もしかして――自分を殺しに来たのか。
 ありうる。王都や宮殿も着飾る一大行事。何かがこの公国で起きたのだ。
 それでついにルーインの処遇が問題になり、決着を……。
(嫌だ)
 悪い想像が次から次へと止まらない。
 苦しむ胸を押さえて、ルーインは部屋の扉を見つめた。
 やがて足音がルーインの部屋の前で止まる。ほどなく軽いノックがされた。
「いいかしら?」
「……はい」
 実は扉には鍵がかかっていない。
 まぁ、塔にはいつくもの内扉があるので、何の意味もないことなのだが。
 ごくりと生唾を飲み込みながら扉が開かれるのをルーインは待つ。
 やがて扉が勢い良く開かれて、現れたのは黒髪の淑女。
 豪奢なドレスをまとったコーデリアであった。
「ふぅ……初めまして。やっと近くで会えたわね」
「あなたは……どうしてここに?」
 ルーインは驚愕してコーデリアを見つめた。彼女の後ろには何人もの男がおり、その中のひとりが進み出る。
 金髪の獅子のごとき青年。自信たっぷりとした歩き方、そしてルーインとよく似た顔立ち。
「兄上……!?」
「久しいな、ルーイン」
 ディルダ自身もルーインに驚いているようだった。
 これは、一体どういうことなのだろう。
 混乱したままでいると、コーデリアがルーインのそばへ歩み寄る。
「本当に肌が白いわね。無理もないけれど」
「あの……? どうしてあなたが? それに兄上も……」
「今日は立太子の儀式があるの」
 ルーインはなんとか頭の中身を整理しようと努めた。
 立太子――正式な王位継承者を決める公国でも大切な儀式だ。だから王宮内も城下町もお祝いに彩られていたのか。
 でもその儀式と自分が繋がらない。実際、ルーインは外されていたはずだ。
 コーデリアの手がそっとルーインに重ねられる。
「あなたも来るのよ。立太子の儀式へ」
「えっ……!?」
 温かなコーデリアの手。久し振りの人の感触。
「ルーイン、あなたがここにいなくちゃいけなかった理由は察しているわ。でも、それは殿下の立太子とともに終わり。それでいいはずでしょう?」
「そ、それは……」
 ルーインは戸惑い、兄であるディルダに目配せする。
 ディルダはやや憮然としながらも肩をすくめた。
「コーデリアに感謝しろ。病床の母上を説き伏せ、お前の自由を認めさせた」
「――!!」
「確かに不合理なところはあった。父も母もお前の待遇について、いささか過剰だったな」
 それは王族の謝罪的弁明としては最上のものだったろう。
 生まれてからこのような境遇だったルーインは、兄の言葉を素直に受け取ることにした。
「でも、なぜ……?」
「おかしいからよ!」
 コーデリアは風のような速さで断言した。
「だってあなたは何もしていないじゃない! それなのにこんな生活が続くのは――合理的じゃないわ」
「…………」
 コーデリアは王族批判とも取れることをはっきりと言い切った。
 本当にまぶしい、とルーインは思った。
 彼はそのように考えたことがなかった。王族という立場と処遇。
 次期王の立場を脅かす者が辿る、ありふれた末路。それについてルーインは無力で、なおかつ諦めてしまっていた。
 そこにコーデリアはノーを突き付けていた。
「あなたは自由よ。やりたいことはある?」
「僕は――」
 問われて、ルーインは目を軽く伏せた。
 やりたいこと。外を知りたい。この塔からではわからなかった世界をもっと知りたい。
 でもルーインは理解していた。
 まだ自分には力がない。そのようなことを望んでもコーデリアを困らせるだけだと。
 だったら、どうしたいか。どうすべきなのか。
 ルーインの考えはすぐにまとまった。
「色々なことを学びたいと思います」
「勉学に精を出すのはいいことだわ」
「……できればコーデリア様、あなたのもとで。兄上、駄目でしょうか?」
 コーデリアの反応を待たずにルーインはディルダへ問いかけた。
「ふむ、コーデリアの側で……か」
「僕のこれからがどうあれ、立派な王族にならないといけません。コーデリア様のお側に仕えながら、学ばせて頂ければと」
「思った以上に殊勝だな」
 ルーインは努めて一歩引いた答えをした。
 ディルダの立太子の儀式が行われても、ルーインへの警戒は続くだろう。
 警戒はゼロにはならない。
 だったら余計な野心や立場は不要だ。
 コーデリアはディルダの妃となる。彼女のそばで静かにしている姿勢を示せば、ディルダもきっと安心してくれる。
(それに――恩返しもできるから)
 コーデリアはルーインが好きなように生きることを望むかもしれない。
 でもそれは過ぎた考えなのだ。
 ルーインの望みはもっと小さく、危険は不要だった。
(……一緒に本を読めれば)
 それで今のルーインは満足だった。
 いつかはそれも変わるだろう。ディルダとコーデリアの間に子が生まれれば。
 でもしばらくはルーインの望み通りにはなるはずだ。ルーインは立ち上がり、コーデリアの前に膝をついた。
「未来のラッセリア国王夫妻へ。誠心誠意、お仕えいたします」
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