銀の羽は、雨音フェチ

第1話 いつもの道の、ぎしっ

 利輝は、毎朝七時四十二分に同じ角を曲がる。右に薄利多売の総菜屋、左にシャッターの半分だけ開いた古道具屋。信号の青が短すぎること、総菜屋のコロッケが年々小さくなること、古道具屋の看板に「羽衣堂」と書かれていることまで、全部がいつもの何気ない光景だった。

 その朝だけ、店先に銀の羽が落ちていた。

 拾おうとした瞬間、背後から「それ、持ち主を選びます」と声がした。古道具屋から出てきた羽衣は、白い割烹着に分厚い辞書を抱えていた。秋時雨で前髪が濡れているのに、うろたえる気配がない。

「あなた、竹で編んだ座布団に座ったときの、ぎしっ、が好きでしょう」
「なぜそれを」
「本当に好きな音を聞く人は、耳より先に肩が笑います」

 利輝は言い返せなかった。会社では説得力があると褒められる。客先の無理難題も、持ち前の強みを活かして物事を進める。けれど、竹座布団のきしみに胸がほどけることだけは、誰にも言っていない。子どものころ祖母の家で、叱られたあとも座布団だけは味方みたいに鳴った。その記憶が、今も利輝の背中をゆるめる。

 羽衣は店の奥へ招いた。看板の下には小さく「好きな感覚、買い取ります」とある。棚には、雨音の入った瓶、校庭の白線を引く粉の匂い、湯呑みを置いたときの控えめな音、洗い立ての軍手の手触りが並んでいた。どれも説明しづらい偏愛ばかりだ。

「フェチは、心の取っ手です。ここを持つと、自分を落とさずに済む」
「名言っぽいのに、商売が怪しい」
「一瓶百円です。薄利多売ですから」
「ますます怪しい」

 羽衣は真顔で茶を出した。湯呑みが卓に触れる音は、棚の商品よりずっとよかった。利輝が思わず目を細めると、羽衣は満足げにメモを取る。

「今の表情、採取したいです」
「表情を売る店?」
「いえ、研究です。私は、人が自分だけの好きを恥ずかしそうに守る瞬間フェチなので」

 そのとき、竹座布団が勝手にぎしっと鳴った。奥の暗がりに、小舟の形をした影が揺れる。見えてはいけないものを見た気がして、利輝は湯呑みを落としかけた。

 羽衣は辞書を閉じて言った。
「利輝さん。あなたのぎしっは、誰かを助けます」

 意味はわからない。けれどその音は、胸の奥で銀の羽みたいに光っていた。

 店を出ると、いつもの道が少しだけ違って見えた。総菜屋の油の匂い、傘を閉じる音、靴底に貼りつく雨粒。利輝は初めて、町が小さな好きを鳴らしながら生きていることに気づいた。
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