銀の羽は、雨音フェチ
第2話 銀の羽の値段
翌日、利輝が羽衣堂へ行くと、店内で若者が土下座していた。謝罪ではない。頬を床板に当て、目を閉じている。うっとりしすぎて、危ない宗教画のようだった。
「稜翔です。転校生です。未来人です」
「自己紹介で三回つまずいた」
「この床、最高です。三百年前の雨を吸った音がします」
稜翔は物怖じしなかった。しかも複雑な話をそのまま投げてくる。未来では床も紙も音を立てず、全員が空中画面を触るだけ。だから彼は、古い商店街の音と手触りを集めに来たのだという。
「つまり、君は床きしみフェチ?」
「正確には、足裏から祖先の失敗が伝わる感覚フェチです」
「複雑なまま伝えるな」
羽衣は真剣にメモを取る。知識欲が強すぎて、相手が未来人でも「参考文献はありますか」と聞く。稜翔は「未来では紙が高級品です」と答え、羽衣は初めて少し悔しそうにした。
そこへ淳乃が現れた。商店街の帳簿を抱え、背筋がまっすぐな女性だ。彼女は自分の行動に自信を持って進む人で、地に足がついていて、交渉が得意だった。羽衣堂の棚を一周見てから、眉をひそめる。
「近所の人が怖がっています。『愛と闇の中で妙な瓶を売っている』って」
「愛はありますが、闇は湿気です」
「湿気は値引き理由になります。家賃を二割下げてもらいましょう」
利輝は説得役として大家の家へ向かった。羽衣は出がけに銀の羽を一本、利輝の胸ポケットへ挿す。
「これを持つと、相手の好きな感覚が少し見えます」
「それ、危なくない?」
「危ないです。人は好きなものを笑われると、深く傷つきますから」
大家は厳しい顔の老人だった。利輝が銀の羽越しに見たのは、意外にも「炊飯器のふたを開けた瞬間の湯気」だった。家賃の話を切り出す前に、利輝は総菜屋へ走り、白米を買い、老人の前でふたを開けた。
湯気が上がる。老人の眉が下がる。
「……妻が、毎朝こうしていた。先に起きて、必ず二膳分よそってくれた」
淳乃は静かに条件を出した。家賃を下げる代わりに、羽衣堂は商店街の空き店舗から古道具を引き取り、店先を明るく掃く。老人は何度もうなずいた。稜翔は隅で床板を撫で、感謝を求めずにゆがんだ戸を直した。
交渉は終わった。利輝は学んだ。説得は言葉で押すだけではない。相手の胸の取っ手を、乱暴に握らないことなのだ。
帰り道、羽衣がぽつりと言った。
「利輝さんは、強く言える人なのに、強く言わない選び方ができますね」
その一言で、利輝の胸は座布団より大きくぎしっと鳴った。
「稜翔です。転校生です。未来人です」
「自己紹介で三回つまずいた」
「この床、最高です。三百年前の雨を吸った音がします」
稜翔は物怖じしなかった。しかも複雑な話をそのまま投げてくる。未来では床も紙も音を立てず、全員が空中画面を触るだけ。だから彼は、古い商店街の音と手触りを集めに来たのだという。
「つまり、君は床きしみフェチ?」
「正確には、足裏から祖先の失敗が伝わる感覚フェチです」
「複雑なまま伝えるな」
羽衣は真剣にメモを取る。知識欲が強すぎて、相手が未来人でも「参考文献はありますか」と聞く。稜翔は「未来では紙が高級品です」と答え、羽衣は初めて少し悔しそうにした。
そこへ淳乃が現れた。商店街の帳簿を抱え、背筋がまっすぐな女性だ。彼女は自分の行動に自信を持って進む人で、地に足がついていて、交渉が得意だった。羽衣堂の棚を一周見てから、眉をひそめる。
「近所の人が怖がっています。『愛と闇の中で妙な瓶を売っている』って」
「愛はありますが、闇は湿気です」
「湿気は値引き理由になります。家賃を二割下げてもらいましょう」
利輝は説得役として大家の家へ向かった。羽衣は出がけに銀の羽を一本、利輝の胸ポケットへ挿す。
「これを持つと、相手の好きな感覚が少し見えます」
「それ、危なくない?」
「危ないです。人は好きなものを笑われると、深く傷つきますから」
大家は厳しい顔の老人だった。利輝が銀の羽越しに見たのは、意外にも「炊飯器のふたを開けた瞬間の湯気」だった。家賃の話を切り出す前に、利輝は総菜屋へ走り、白米を買い、老人の前でふたを開けた。
湯気が上がる。老人の眉が下がる。
「……妻が、毎朝こうしていた。先に起きて、必ず二膳分よそってくれた」
淳乃は静かに条件を出した。家賃を下げる代わりに、羽衣堂は商店街の空き店舗から古道具を引き取り、店先を明るく掃く。老人は何度もうなずいた。稜翔は隅で床板を撫で、感謝を求めずにゆがんだ戸を直した。
交渉は終わった。利輝は学んだ。説得は言葉で押すだけではない。相手の胸の取っ手を、乱暴に握らないことなのだ。
帰り道、羽衣がぽつりと言った。
「利輝さんは、強く言える人なのに、強く言わない選び方ができますね」
その一言で、利輝の胸は座布団より大きくぎしっと鳴った。