紫陽花の短編集物語#2
声に出したら、恋がばれる。
第1話 壁の向こう、名前を呼ぶ声
夜10時すぎ。私立真礼学園・高等部の寮では、消灯のアナウンスが静かに流れた。
咲良(さくら)は、ベッドにもぐりながら小さくため息をついた。
「……ねえ、ほんとに“恋愛禁止”って必要?」
壁の向こうからは、ときどき生活音が聞こえてくる。
語り≪咲良が通う学校は【恋愛禁止の学園寮】がある進学校。女子と男子の寮は“壁一枚”で隔てられていて、外出も部屋訪問も禁止なのだった。でも、咲良はある人と、『声』で恋に落ちてー⁉≫
男子寮の部屋が“ちょうどこの壁の裏”だなんて、引っ越してきた最初はびっくりしたけれど――
すっかり慣れた今では、なんだか逆に気になる。
その夜。換気口から、かすかな音が聞こえてきた。
「……さくら、」
耳を疑った。
「……好きだよ、ずっと。ほんとは声に出すのも禁止だってわかってるのに……」
息が止まりそうになった。思わず、耳を換気口に近づける。
「ほんとに、声だけでいいんだ。こうして名前を呼ぶだけで、ちょっと近づける気がして――」
咲良は、ベッドの上で動けなくなった。
その声は、優しくて、苦しそうで、ずっと私の名前を呼んでいた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第2話 知らないふりをやめたくなる瞬間
翌朝。朝の点呼のあと、咲良はいつもより少しだけ背筋を伸ばして歩いた。
昨日聞いた“あの声”が、頭の中で何度も再生されていたからだ。
「……咲良が好きだよ」
夢じゃ、ないよね……?
食堂で朝食を取りながら、つい隣の棟の男子グループに目がいってしまう。
誰が言ったの? なんのつもりで?
本人は気づかれてないと思ってるのかもしれない。でも――私は、ちゃんと聞いてしまった。
「咲良? 今日、珍しくパンなの?」
声をかけてきたのは、風紀委員の要(かなめ)。隣の席にスッと座ってくる。
「う、うん。たまにはいいかなって思って……」
でも、違う……要くんの声じゃ、ない。
少しだけ安堵してる自分に気づいて、慌ててお茶を飲み込む。
授業のあとの昼休み。廊下の窓から、外を眺めめいた。
そこに、ふざけた声が響いた。
「おーい、咲良ー! なんでそんな遠く見てるの〜」
晴翔(はると)だった。少し離れた位置から、手を振ってくる。
「なに、なんか悩みでもあんの?」
「えっ、べつに……」
「ふ〜ん。咲良ってさ、たまに“考えごとしてるときの顔”無防備だよね。ちょっとレア。可愛いけど」
「な……なにそれ‼」
声の調子。語尾のクセ。仕草。
でも、晴翔の声でもない。
だけど、知ろうとするたびに、あの“深夜の声”だけが頭にこびりついて――
いま、この中に“あの声の人”がいるんだ。
咲良は知らないふりをやめたくなった。
だからその夜、寝る前の部屋で小さくささやいてみた。
「……もし、聞こえてたら。
もう一回だけ、呼んでみて」
期待と不安でいっぱいの沈黙。
換気口の向こうから、しばらくして――
「……咲良」
壁一枚越しに、名前が届いた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第3話 「好き」って言われて、好きになりそうだった。
その夜、また聞こえた。
「……咲良、おやすみ」
「今日も声、出せてよかった」
「会えなくても、こうして少しでも繋がっていたい」
咲良は毛布を抱きしめて、心臓の音が聞こえそうなくらい静かに息をした。
(ねえ、どうしてそんなに優しく呼ぶの――)
言葉の温度が、体の奥の奥まで沁みてくる。
そのまま一晩、あまり眠れなかった。
翌朝。通学の支度をしながら、咲良はふとあることに気づく。
――“わたし”の名前をフルネームじゃなく、名前だけで呼ぶ人って。――思い浮かんだのは、たった数人。
「要くん?……いや、違う。声がもっと低い」
「晴翔も……なんか違う、あんなにまっすぐじゃなかった」
それでも、心はそわそわして落ち着かない。
通学路で並んだ晴翔が、咲良の横顔をのぞき込む。
「なんかさ、今朝から変だよ?ぼーっとして。寝不足?」
「……うん、ちょっとだけ。声、聞きすぎた」
「声?」
「えっ、な、なんでもない‼」
思わずごまかす。だけど、心の中はこんなふうに叫んでる。
あの声の人は、誰?
わたし、どうしてこんなに“もう一度”を望んでるの?
その夜。咲良は、自分から通気口にそっとつぶやいてみた。
「ねえ、あなた……誰なの?」
静寂。
しばらくののち、ためらうような、でも確かな声が返ってきた。
「……言えたら、きっと全部壊れちゃう気がしてたんだ」
咲良の胸の奥が、じんわりあたたかくなる。
この声、もっと聞きたい。
たとえ名前を知らなくても、わたし……この人が気になる。
【声に出したら、恋がばれる。】
第4話 “知ってる”誰かの声に、気づきかけている
月曜の朝。咲良はいつになく落ち着かない気持ちで登校していた。
(また声が聞こえるかなって、そればっかり気にして……どうかしてるよね、私)
でも、心がふわふわと浮いたようにあたたかい。
昨夜のあの言葉――
「……言えたら、全部壊れちゃう気がしてたんだ」
それは怖いくらいに、優しい秘密だった。
放課後。図書委員の仕事で、共用スペースの整理をしていた咲良。
閉館のチャイムが鳴ったあと、最後の本棚を片づけていると……トン、と軽くぶつかる音がした。
「……ごめん、急に手伸ばしたから」
そこにいたのは――要だった。
「あ、ううん。私の方こそ。ありがと」
ほんの少しだけ、目が合う。けれど――違う。やっぱり、声が違う。だけど……。
不意に、要が本を渡してくるとき、こんなことを言った。
「……“通気口”、最近、夜うるさくない?」
「え?」
「うちの階、誰か小声でずっと喋ってんだって。巡回してた先輩が言ってた」
咲良は、ドキリと胸が跳ねた。
もしかして、気づかれてる? このままだと“退寮”とか、ほんとに起きたり……。
けれど、要は何も追及することなく、本を静かに置いて去っていった。
その夜。咲良はついに、通気口にそっと聞いてみた。
「ねえ、声の人。わたし――あなたのこと、“知らない人”って言い切れなくなってる気がする」
換気口の向こう。
長い沈黙。それから、壊れそうにかすれた声が返った。
「……じゃあ、ヒントだけ。廊下ですれ違ったとき、咲良が一番無意識に笑ってくれる相手、たぶん、それが俺だよ」
咲良の心臓が、ドン、と跳ねた。
(そんなの……わからないよ。わからないけど――)
自分の笑い声が誰に向けられていたか。
たぶん、誰より知ってるのは――“あの人”かもしれない。
【声に出したら、恋がばれる。】
第5話 笑った相手に、恋をしてたかもしれない
あの夜。
「廊下ですれ違ったとき、咲良が一番“無意識に笑ってくれる相手”、たぶん、それが俺だよ」――
その言葉がずっと胸の奥に残っていた。
わたしが無意識に、笑ってた相手――、それは。
思い浮かべたのは、晴翔だった。ふざけてばかりで、ちょっと調子者。
でも、何気ない一言が嬉しくて、困らせたいみたいに笑ってくる人。
わたし、いつもあの人に振り回されてばかりだったはずなのに……それがいつの間にか、あたたかくて、嬉しくて―。
放課後、昇降口。
咲良が上履きをしまっていると、ちょうど晴翔がやってきた。
「おっ、ばったり〜。今日テンション低くない?風邪?」
「……違うよ。ちょっと考えごと」
「えー、俺のこと?」
「ち、ちがっ」
冗談交じりの声。でも、その瞳はふいにまっすぐだった。
「……咲良ってさ、“誰かに想われてる”って気づいたとき、どうする?」
「えっ……」
「俺だったらね――“気づかれる前に気持ちなんて隠す方が、怖い”って思っちゃう」
それは、まるで“彼”の声に重なった気がして、咲良は目を伏せた。
ねえ、もし本当に、あの声の主が……晴翔だったらー。
その夜。
咲良は通気口に向かって、震える声でつぶやいた。
「ねえ……あなたが私の“知ってる人”なら、明日、教室の黒板に“青”ってひと文字だけ書いて。誰にも気づかれない程度でいいから。……そしたら、わたしもちゃんと、名前を知る覚悟をする」
沈黙。だけど。
「……わかった」
壁の向こうからの答えは、ほんの少し――震えていた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第6話 名前の代わりに、色で呼んだ。
次の日の朝。咲良の胸はずっと高鳴っていた。登校してすぐに向かったのは、2年生の教室棟。
同じ学年とはいえ、クラスの配置が違えば普段足を運ぶこともない場所。
お願い……黒板に“青”があるなら……。
階段を上がった廊下の向こう。教室の中で担任が黒板に何かを書いていたけれど――その端っこに、確かに。
青、と書かれたひと文字。
――あった! ドクン、と鼓動が跳ねる。
何気ない一言のように溶け込んだ“青”は、彼の答えだった。
咲良は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、そっとほほ笑んだ。
やっぱり……あなただったんだね。
その夜。通気口を見上げた咲良は、そっと口を開いた。
「……見たよ、“青”の字」
「……そう、か。ばれたね」
それは、恥ずかしさと安心をまぜた声だった。
「でも、どうしよう。知ったはずなのに、名前を呼ぶのが、まだちょっと怖いんだ」
咲良は小さく笑って言った。
「うん。私も」
その時間が、ただ静かに愛しかった。
――けれど。
翌日、寮の掲示板に張り出された一枚の紙に、咲良は息をのむことになる。
「夜間の私語および発声違反者に対する調査開始」
下にはこう記されていた。
『対象:女子寮Cブロック、および男子寮Cブロック
確認された場合、処分の対象となる可能性があります』
――やばい・・・。
咲良の頭の中で、昨日の会話が再生される。
あと一言、でも誰かに聞かれていたら――。
彼との“声だけの関係”が、いままさに壊されようとしていた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第7話 わたしが止めなきゃ、終わっちゃう気がした
夜。寮の廊下に響く巡回の足音。
それに重なるように、張り詰めた空気が部屋の中まで染み込んでくる。
通気口の向こうからは、いつものような“あの声”が聞こえなかった。
咲良は思わず、声をかける。
「……いるの、ねえ」
ほんの少し、沈黙。それから、かすかな返事。
「……ごめん。もう、このまま消えようと思ってた」
「……えっ?」
「このままじゃ、お互い処分されるかもしれないし。だったら、俺が黙れば、全部守れるから」
咲良は、強く手を握った。
やめてよ。黙らないで。終わらせないで。心が、身体より先に動いた。
「だめ。消えないで。あなたじゃなきゃ、だめだから……っ」
その言葉に、壁の向こうの息遣いが変わる。
「……私、もう、あなたが誰でもいいとか言えない」
「あなたが、私を選んでくれたことが、この寮でいちばん嬉しかったんだから」
少しの沈黙のあと、通気口越しに返ってきたのは――
「……そんなふうに言われたの、初めてだ」
「ありがとう、咲良。……もう逃げない」
咲良の瞳に、静かに涙が滲む。
今夜、“通気口の恋”が、本物になったのだった。
【声に出したら、恋がばれる。】
第8話 “声の人”が目の前に立った日
翌朝、いつもより早く目が覚めた咲良は、制服のリボンを結びながら心の奥を確かめていた。
顔を知らない“あなた”が、今日、きっとわたしに会いに来てくれる――。
胸は不安と期待でいっぱいだけど、それでも。言葉じゃない“通気口のぬくもり”を信じられる気がしていた。
放課後。寮に戻ると、談話室で掲示の紙が貼り出されていた。
『Cブロック一帯にて夜間の発声が確認されました。
該当者は翌日朝に“寮指導室”へ報告してください』
咲良の手が、震えた。
……もう、見つかってる? わたしか、あの人か。あるいはふたりともー。
けれどその夜。
部屋に戻った咲良の耳に、通気口からふたたび、声が落ちてくる。
「……会いたい、って言ってくれたから。明日の朝、校庭の噴水のところで待ってる。
名前も顔も、ちゃんと渡したい。咲良の“恋の始まり”になるなら、それがいい」
咲良の胸が熱くなった。
「……うん。行く。わたしも、あなたがちゃんと“誰なのか”知りたい」
そして、次の日の朝。制服の襟を整え、早めに寮を出た咲良は、朝霧に包まれる校庭へと足を進めた。
噴水のそばには、ひとり――見覚えのある姿が立っていた。
咲良がゆっくりと近づくと、その人が顔を上げる。
「……やっと、こうして言えるね」
要(かなめ)だった。クールで風紀委員で、いつも「ルール」を誰より守っていたはずの彼が――
“ルール”を越えて咲良の名前を呼んでくれていた。
「ごめん。ずっと、“声の中の自分”を否定してた。でも、本当に好きだった。
ルールを守りながら、心だけはずっと咲良に触れてた」
咲良は、ゆっくりとうなずいた。
「……わたし、あなたの声に恋した。
そして今、あなたの名前にも恋をしたよ」
その瞬間――
「待て!そこの生徒、立ち止まって!」
寮監が走ってくる気配。
でも、要は咲良の手をそっと取って、ほほ笑む。
「もう黙らない。今度はちゃんと、君の隣で声を出すから」
【声に出したら、恋がばれる。】
第9話 もう黙らなくていいなら、ちゃんと呼んで。
噴水のそばで、手を繋いだその朝。
咲良と要は、ほんの一瞬だけ「世界にふたりだけ」になれた気がした。
けれど、現実は待ってくれなかった。
その日の午後。ふたりは寮監から呼び出された。
部屋に通されると、そこには風紀記録ノート、通話検出機器の記録、そして…。
「Cブロック周辺において、不規則な夜間通話履歴が検知されました」
「……要くん。咲良さん。何か知っていることは?」
沈黙。要は、迷わず口を開いた。
「僕です」
「そのすべての声は、僕のものです。咲良さんは関係ありません」
「っ、ちが……!」
咲良もすかさず立ち上がった。
「わたしも……知ってました。声の主が要くんだって、知ったうえで、通気口越しに話をしてました」
寮監が重く息をついた。
「……あなたたちは規則違反を認めた、ということですね」
そして、静かに紙を差し出した。
「処遇の判断まで、ふたりは別棟寮に一時的移動」
「――えっ」
そこからの一週間。咲良と要は、互いに顔も声も届かない場所に隔離される。
数日後、静かな夜。
別の寮の窓から見上げた星空。
咲良は思い出していた。
あの、名前を呼ぶ声。
あの、おやすみのささやき。
そして決めた。
「――私、言う。ちゃんとこの想いを、みんなの前で伝える」
【声に出したら、恋がばれる。】
最終話 この声で、君を選ぶ。
寮の講堂。朝、全校集会。
前日の発表を受け、生徒たちは緊張した面持ちで椅子に並んでいた。
ステージ上で、教頭が告げる。
「夜間における発声・私語行為により、数名の生徒に聞き取りを実施しました」
「ただし、今回の件は――例外的処置を取るものとします」
一瞬、ざわつく講堂。
「理由は、関係者の申し出と、ある生徒の手紙です」
その瞬間、教頭は1枚の手紙を取り出す。
それは――咲良からの手紙だった。
『私は、“声だけの恋”をしました。名前も顔も知らないまま、ある夜、通気口から届いた声に、私の心はすこしずつ満たされていきました。好きになるには理由が必要だと思ってたけど、声は、それを一瞬で超えてきました。
私が選んだのは、ルール違反じゃありません。誰かに、大切だと伝えたいと思った気持ちです。
それを“罪”だと言われるなら、私はこの手紙で告白します』
それはー
『わたしは、要くんが――好きです』
読み終えたそのあと。
咲良は講堂の後方で立ち尽くす要を見つけた。
彼は、ゆっくりと歩み出てステージの前へ。
堂々と立ったその姿に、生徒たちがざわめく。
そして。
「僕も――あの夜、ひとりの声に、救われました。いつだって、ルールを守ることで自分を保ってきたけど、
咲良の“返事”で、初めてルールより大事なものを知りました。だから僕は、これからも、君を選び続けます。
誰の許しがなくても、この声で、君に恋をします」
拍手が起こった。
それは賛成でも反対でもなく、“理解”の拍手だった。
後日。
通気口はふさがれた。夜間の巡回も強化された。
けれど、教室の窓辺で咲良が微笑むと、
数列離れた席の要が、そっと口を動かす。
「おやすみ」
咲良も、声には出さずに返す。
「おやすみ。……だいすき」
【声に出したら、恋がばれる。 完結】
夜10時すぎ。私立真礼学園・高等部の寮では、消灯のアナウンスが静かに流れた。
咲良(さくら)は、ベッドにもぐりながら小さくため息をついた。
「……ねえ、ほんとに“恋愛禁止”って必要?」
壁の向こうからは、ときどき生活音が聞こえてくる。
語り≪咲良が通う学校は【恋愛禁止の学園寮】がある進学校。女子と男子の寮は“壁一枚”で隔てられていて、外出も部屋訪問も禁止なのだった。でも、咲良はある人と、『声』で恋に落ちてー⁉≫
男子寮の部屋が“ちょうどこの壁の裏”だなんて、引っ越してきた最初はびっくりしたけれど――
すっかり慣れた今では、なんだか逆に気になる。
その夜。換気口から、かすかな音が聞こえてきた。
「……さくら、」
耳を疑った。
「……好きだよ、ずっと。ほんとは声に出すのも禁止だってわかってるのに……」
息が止まりそうになった。思わず、耳を換気口に近づける。
「ほんとに、声だけでいいんだ。こうして名前を呼ぶだけで、ちょっと近づける気がして――」
咲良は、ベッドの上で動けなくなった。
その声は、優しくて、苦しそうで、ずっと私の名前を呼んでいた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第2話 知らないふりをやめたくなる瞬間
翌朝。朝の点呼のあと、咲良はいつもより少しだけ背筋を伸ばして歩いた。
昨日聞いた“あの声”が、頭の中で何度も再生されていたからだ。
「……咲良が好きだよ」
夢じゃ、ないよね……?
食堂で朝食を取りながら、つい隣の棟の男子グループに目がいってしまう。
誰が言ったの? なんのつもりで?
本人は気づかれてないと思ってるのかもしれない。でも――私は、ちゃんと聞いてしまった。
「咲良? 今日、珍しくパンなの?」
声をかけてきたのは、風紀委員の要(かなめ)。隣の席にスッと座ってくる。
「う、うん。たまにはいいかなって思って……」
でも、違う……要くんの声じゃ、ない。
少しだけ安堵してる自分に気づいて、慌ててお茶を飲み込む。
授業のあとの昼休み。廊下の窓から、外を眺めめいた。
そこに、ふざけた声が響いた。
「おーい、咲良ー! なんでそんな遠く見てるの〜」
晴翔(はると)だった。少し離れた位置から、手を振ってくる。
「なに、なんか悩みでもあんの?」
「えっ、べつに……」
「ふ〜ん。咲良ってさ、たまに“考えごとしてるときの顔”無防備だよね。ちょっとレア。可愛いけど」
「な……なにそれ‼」
声の調子。語尾のクセ。仕草。
でも、晴翔の声でもない。
だけど、知ろうとするたびに、あの“深夜の声”だけが頭にこびりついて――
いま、この中に“あの声の人”がいるんだ。
咲良は知らないふりをやめたくなった。
だからその夜、寝る前の部屋で小さくささやいてみた。
「……もし、聞こえてたら。
もう一回だけ、呼んでみて」
期待と不安でいっぱいの沈黙。
換気口の向こうから、しばらくして――
「……咲良」
壁一枚越しに、名前が届いた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第3話 「好き」って言われて、好きになりそうだった。
その夜、また聞こえた。
「……咲良、おやすみ」
「今日も声、出せてよかった」
「会えなくても、こうして少しでも繋がっていたい」
咲良は毛布を抱きしめて、心臓の音が聞こえそうなくらい静かに息をした。
(ねえ、どうしてそんなに優しく呼ぶの――)
言葉の温度が、体の奥の奥まで沁みてくる。
そのまま一晩、あまり眠れなかった。
翌朝。通学の支度をしながら、咲良はふとあることに気づく。
――“わたし”の名前をフルネームじゃなく、名前だけで呼ぶ人って。――思い浮かんだのは、たった数人。
「要くん?……いや、違う。声がもっと低い」
「晴翔も……なんか違う、あんなにまっすぐじゃなかった」
それでも、心はそわそわして落ち着かない。
通学路で並んだ晴翔が、咲良の横顔をのぞき込む。
「なんかさ、今朝から変だよ?ぼーっとして。寝不足?」
「……うん、ちょっとだけ。声、聞きすぎた」
「声?」
「えっ、な、なんでもない‼」
思わずごまかす。だけど、心の中はこんなふうに叫んでる。
あの声の人は、誰?
わたし、どうしてこんなに“もう一度”を望んでるの?
その夜。咲良は、自分から通気口にそっとつぶやいてみた。
「ねえ、あなた……誰なの?」
静寂。
しばらくののち、ためらうような、でも確かな声が返ってきた。
「……言えたら、きっと全部壊れちゃう気がしてたんだ」
咲良の胸の奥が、じんわりあたたかくなる。
この声、もっと聞きたい。
たとえ名前を知らなくても、わたし……この人が気になる。
【声に出したら、恋がばれる。】
第4話 “知ってる”誰かの声に、気づきかけている
月曜の朝。咲良はいつになく落ち着かない気持ちで登校していた。
(また声が聞こえるかなって、そればっかり気にして……どうかしてるよね、私)
でも、心がふわふわと浮いたようにあたたかい。
昨夜のあの言葉――
「……言えたら、全部壊れちゃう気がしてたんだ」
それは怖いくらいに、優しい秘密だった。
放課後。図書委員の仕事で、共用スペースの整理をしていた咲良。
閉館のチャイムが鳴ったあと、最後の本棚を片づけていると……トン、と軽くぶつかる音がした。
「……ごめん、急に手伸ばしたから」
そこにいたのは――要だった。
「あ、ううん。私の方こそ。ありがと」
ほんの少しだけ、目が合う。けれど――違う。やっぱり、声が違う。だけど……。
不意に、要が本を渡してくるとき、こんなことを言った。
「……“通気口”、最近、夜うるさくない?」
「え?」
「うちの階、誰か小声でずっと喋ってんだって。巡回してた先輩が言ってた」
咲良は、ドキリと胸が跳ねた。
もしかして、気づかれてる? このままだと“退寮”とか、ほんとに起きたり……。
けれど、要は何も追及することなく、本を静かに置いて去っていった。
その夜。咲良はついに、通気口にそっと聞いてみた。
「ねえ、声の人。わたし――あなたのこと、“知らない人”って言い切れなくなってる気がする」
換気口の向こう。
長い沈黙。それから、壊れそうにかすれた声が返った。
「……じゃあ、ヒントだけ。廊下ですれ違ったとき、咲良が一番無意識に笑ってくれる相手、たぶん、それが俺だよ」
咲良の心臓が、ドン、と跳ねた。
(そんなの……わからないよ。わからないけど――)
自分の笑い声が誰に向けられていたか。
たぶん、誰より知ってるのは――“あの人”かもしれない。
【声に出したら、恋がばれる。】
第5話 笑った相手に、恋をしてたかもしれない
あの夜。
「廊下ですれ違ったとき、咲良が一番“無意識に笑ってくれる相手”、たぶん、それが俺だよ」――
その言葉がずっと胸の奥に残っていた。
わたしが無意識に、笑ってた相手――、それは。
思い浮かべたのは、晴翔だった。ふざけてばかりで、ちょっと調子者。
でも、何気ない一言が嬉しくて、困らせたいみたいに笑ってくる人。
わたし、いつもあの人に振り回されてばかりだったはずなのに……それがいつの間にか、あたたかくて、嬉しくて―。
放課後、昇降口。
咲良が上履きをしまっていると、ちょうど晴翔がやってきた。
「おっ、ばったり〜。今日テンション低くない?風邪?」
「……違うよ。ちょっと考えごと」
「えー、俺のこと?」
「ち、ちがっ」
冗談交じりの声。でも、その瞳はふいにまっすぐだった。
「……咲良ってさ、“誰かに想われてる”って気づいたとき、どうする?」
「えっ……」
「俺だったらね――“気づかれる前に気持ちなんて隠す方が、怖い”って思っちゃう」
それは、まるで“彼”の声に重なった気がして、咲良は目を伏せた。
ねえ、もし本当に、あの声の主が……晴翔だったらー。
その夜。
咲良は通気口に向かって、震える声でつぶやいた。
「ねえ……あなたが私の“知ってる人”なら、明日、教室の黒板に“青”ってひと文字だけ書いて。誰にも気づかれない程度でいいから。……そしたら、わたしもちゃんと、名前を知る覚悟をする」
沈黙。だけど。
「……わかった」
壁の向こうからの答えは、ほんの少し――震えていた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第6話 名前の代わりに、色で呼んだ。
次の日の朝。咲良の胸はずっと高鳴っていた。登校してすぐに向かったのは、2年生の教室棟。
同じ学年とはいえ、クラスの配置が違えば普段足を運ぶこともない場所。
お願い……黒板に“青”があるなら……。
階段を上がった廊下の向こう。教室の中で担任が黒板に何かを書いていたけれど――その端っこに、確かに。
青、と書かれたひと文字。
――あった! ドクン、と鼓動が跳ねる。
何気ない一言のように溶け込んだ“青”は、彼の答えだった。
咲良は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、そっとほほ笑んだ。
やっぱり……あなただったんだね。
その夜。通気口を見上げた咲良は、そっと口を開いた。
「……見たよ、“青”の字」
「……そう、か。ばれたね」
それは、恥ずかしさと安心をまぜた声だった。
「でも、どうしよう。知ったはずなのに、名前を呼ぶのが、まだちょっと怖いんだ」
咲良は小さく笑って言った。
「うん。私も」
その時間が、ただ静かに愛しかった。
――けれど。
翌日、寮の掲示板に張り出された一枚の紙に、咲良は息をのむことになる。
「夜間の私語および発声違反者に対する調査開始」
下にはこう記されていた。
『対象:女子寮Cブロック、および男子寮Cブロック
確認された場合、処分の対象となる可能性があります』
――やばい・・・。
咲良の頭の中で、昨日の会話が再生される。
あと一言、でも誰かに聞かれていたら――。
彼との“声だけの関係”が、いままさに壊されようとしていた。
【声に出したら、恋がばれる。】
第7話 わたしが止めなきゃ、終わっちゃう気がした
夜。寮の廊下に響く巡回の足音。
それに重なるように、張り詰めた空気が部屋の中まで染み込んでくる。
通気口の向こうからは、いつものような“あの声”が聞こえなかった。
咲良は思わず、声をかける。
「……いるの、ねえ」
ほんの少し、沈黙。それから、かすかな返事。
「……ごめん。もう、このまま消えようと思ってた」
「……えっ?」
「このままじゃ、お互い処分されるかもしれないし。だったら、俺が黙れば、全部守れるから」
咲良は、強く手を握った。
やめてよ。黙らないで。終わらせないで。心が、身体より先に動いた。
「だめ。消えないで。あなたじゃなきゃ、だめだから……っ」
その言葉に、壁の向こうの息遣いが変わる。
「……私、もう、あなたが誰でもいいとか言えない」
「あなたが、私を選んでくれたことが、この寮でいちばん嬉しかったんだから」
少しの沈黙のあと、通気口越しに返ってきたのは――
「……そんなふうに言われたの、初めてだ」
「ありがとう、咲良。……もう逃げない」
咲良の瞳に、静かに涙が滲む。
今夜、“通気口の恋”が、本物になったのだった。
【声に出したら、恋がばれる。】
第8話 “声の人”が目の前に立った日
翌朝、いつもより早く目が覚めた咲良は、制服のリボンを結びながら心の奥を確かめていた。
顔を知らない“あなた”が、今日、きっとわたしに会いに来てくれる――。
胸は不安と期待でいっぱいだけど、それでも。言葉じゃない“通気口のぬくもり”を信じられる気がしていた。
放課後。寮に戻ると、談話室で掲示の紙が貼り出されていた。
『Cブロック一帯にて夜間の発声が確認されました。
該当者は翌日朝に“寮指導室”へ報告してください』
咲良の手が、震えた。
……もう、見つかってる? わたしか、あの人か。あるいはふたりともー。
けれどその夜。
部屋に戻った咲良の耳に、通気口からふたたび、声が落ちてくる。
「……会いたい、って言ってくれたから。明日の朝、校庭の噴水のところで待ってる。
名前も顔も、ちゃんと渡したい。咲良の“恋の始まり”になるなら、それがいい」
咲良の胸が熱くなった。
「……うん。行く。わたしも、あなたがちゃんと“誰なのか”知りたい」
そして、次の日の朝。制服の襟を整え、早めに寮を出た咲良は、朝霧に包まれる校庭へと足を進めた。
噴水のそばには、ひとり――見覚えのある姿が立っていた。
咲良がゆっくりと近づくと、その人が顔を上げる。
「……やっと、こうして言えるね」
要(かなめ)だった。クールで風紀委員で、いつも「ルール」を誰より守っていたはずの彼が――
“ルール”を越えて咲良の名前を呼んでくれていた。
「ごめん。ずっと、“声の中の自分”を否定してた。でも、本当に好きだった。
ルールを守りながら、心だけはずっと咲良に触れてた」
咲良は、ゆっくりとうなずいた。
「……わたし、あなたの声に恋した。
そして今、あなたの名前にも恋をしたよ」
その瞬間――
「待て!そこの生徒、立ち止まって!」
寮監が走ってくる気配。
でも、要は咲良の手をそっと取って、ほほ笑む。
「もう黙らない。今度はちゃんと、君の隣で声を出すから」
【声に出したら、恋がばれる。】
第9話 もう黙らなくていいなら、ちゃんと呼んで。
噴水のそばで、手を繋いだその朝。
咲良と要は、ほんの一瞬だけ「世界にふたりだけ」になれた気がした。
けれど、現実は待ってくれなかった。
その日の午後。ふたりは寮監から呼び出された。
部屋に通されると、そこには風紀記録ノート、通話検出機器の記録、そして…。
「Cブロック周辺において、不規則な夜間通話履歴が検知されました」
「……要くん。咲良さん。何か知っていることは?」
沈黙。要は、迷わず口を開いた。
「僕です」
「そのすべての声は、僕のものです。咲良さんは関係ありません」
「っ、ちが……!」
咲良もすかさず立ち上がった。
「わたしも……知ってました。声の主が要くんだって、知ったうえで、通気口越しに話をしてました」
寮監が重く息をついた。
「……あなたたちは規則違反を認めた、ということですね」
そして、静かに紙を差し出した。
「処遇の判断まで、ふたりは別棟寮に一時的移動」
「――えっ」
そこからの一週間。咲良と要は、互いに顔も声も届かない場所に隔離される。
数日後、静かな夜。
別の寮の窓から見上げた星空。
咲良は思い出していた。
あの、名前を呼ぶ声。
あの、おやすみのささやき。
そして決めた。
「――私、言う。ちゃんとこの想いを、みんなの前で伝える」
【声に出したら、恋がばれる。】
最終話 この声で、君を選ぶ。
寮の講堂。朝、全校集会。
前日の発表を受け、生徒たちは緊張した面持ちで椅子に並んでいた。
ステージ上で、教頭が告げる。
「夜間における発声・私語行為により、数名の生徒に聞き取りを実施しました」
「ただし、今回の件は――例外的処置を取るものとします」
一瞬、ざわつく講堂。
「理由は、関係者の申し出と、ある生徒の手紙です」
その瞬間、教頭は1枚の手紙を取り出す。
それは――咲良からの手紙だった。
『私は、“声だけの恋”をしました。名前も顔も知らないまま、ある夜、通気口から届いた声に、私の心はすこしずつ満たされていきました。好きになるには理由が必要だと思ってたけど、声は、それを一瞬で超えてきました。
私が選んだのは、ルール違反じゃありません。誰かに、大切だと伝えたいと思った気持ちです。
それを“罪”だと言われるなら、私はこの手紙で告白します』
それはー
『わたしは、要くんが――好きです』
読み終えたそのあと。
咲良は講堂の後方で立ち尽くす要を見つけた。
彼は、ゆっくりと歩み出てステージの前へ。
堂々と立ったその姿に、生徒たちがざわめく。
そして。
「僕も――あの夜、ひとりの声に、救われました。いつだって、ルールを守ることで自分を保ってきたけど、
咲良の“返事”で、初めてルールより大事なものを知りました。だから僕は、これからも、君を選び続けます。
誰の許しがなくても、この声で、君に恋をします」
拍手が起こった。
それは賛成でも反対でもなく、“理解”の拍手だった。
後日。
通気口はふさがれた。夜間の巡回も強化された。
けれど、教室の窓辺で咲良が微笑むと、
数列離れた席の要が、そっと口を動かす。
「おやすみ」
咲良も、声には出さずに返す。
「おやすみ。……だいすき」
【声に出したら、恋がばれる。 完結】