『恋愛ってなんですか?』

第1話 出会い

 電車の揺れと、今日という日の心地よさに負けた遥は、端の席で手すりに寄りかかり、気持ち良さそうに肩を上下に動かしながら寝息を立てている。
 夢の中では小さな男の子と女の子が遥を見つめながら、何かを伝えようとしていた。

 ――『ママ、もうすぐパパに会えるね』――
 ――『僕たちもママとパパに会えるの、楽しみにしてるから』――
 ――『『未来で待ってるね』』――

 ママ?パパ?……遥の意識が疑問符で埋め尽くされた時だった。
 ――ガタンッ!
 遥は、電車の揺れでハッと目を覚ます。
 夢と現実の狭間からまだ抜け出せず、周りを見回すと電車の中だった。
「あれ、なんで……電車……あ!」

 降りるはずの駅から、三駅は過ぎてしまっていた。
 焦る気持ちを抑え、あれだけ寝入って三駅で済んだのは、まだマシなのかもしれないと前向きに考え直す。
 もうすぐ次の駅に着くのを確認し、座席を立って、開閉扉の前に移動する。
 遥の高校の生徒は見当たらない、電車の中はちらほらと空席も見えた。電車が駅に止まり、空気の抜けるような開閉音と共に扉が開く。
 扉を降りて、迷惑にならないよう気を付けながら早く歩く。階段を登って、反対方面のホームに移動する。
 電車を待っている間、さっき見た夢を思い出す。

 「……うーん……」
 不思議な夢だった。
 夢だけど夢というには現実味を帯びていた。遥は思う。
 夢に出てきた子供達の顔は、はっきりと見えなかったけど自分に似てたような気もする。
 私をママと言った。もうすぐパパに会えるね、と。
 ……まさか未来の子供達からのメッセージ?いや、流石にそんな漫画みたいなこと、現実では起きない。
 昨日、夜遅くまで気になってた映画を見てたから、記憶が夢で混ざったのかもしれない。
 そうだ、きっとそうだ。と遥は納得した。
 ホームの上に配置された電光掲示板を見て、次の電車を確認する。

 「はぁ、始業式から寝過ごすなんて」
 遥の頭から夢の出来事が薄れていく。
 そもそも恋愛すらしたことがない。
 今後もする予定はない。だから、ママなんて呼ばれる様なことには縁が無いのだ。
 遥が待っていた電車がやってくる。
 気持ちを切り替え、何時頃学校に着けるかを計算しながら、電車に乗った。


 _______________________

 校舎の窓からは、暖かい日差しが差し込んでいる。
 少し色褪せた薄いベージュの床に、上履きが擦れてできた傷がその場所の年月を感じさせた。
 始業式の始まり、静まり返った廊下。私は一人、その静かな廊下を歩く。
 近くの教室からはテレビから流れ、校長先生の声がうっすらと聞こえてくる。
 いつも通る場所なのに、静かなこの空気は私の心を少し不安にさせる。
 そして思う。こんな空気の中、教室に入ったら注目される。だから遅刻したく無かったのに。
 私は諦めて自分のクラスの扉を開けた。
 予想通り、クラスメイトから注目を受ける。心の中で見ないでー叫びながら、クラスでたった一つの空席へと向かう。教壇横にあるデスクには、二十代後半に見える黒縁メガネを掛けた男性が、足を組みながら座っていた。
「佐藤が遅刻とは、珍しいな」
「あはは……電車で寝過ごしちゃって」
「気をつけろよー」
 教室に配置されたテレビでは、校長先生の言葉が粛々と放送されていた。
 少し遅刻はしたが、なんとか始業式には間に合った。
 よかったと思う反面、一年の時から無遅刻無欠席だった私は、自分の失態に改めて落ち込む。
 肩を落としながらも、番号順で自分の席がある窓側の椅子に座った。クラスが持ち上がりだから席も変わらない。
 椅子に座ると背中にツンツンと刺激を感じた。

 「はるちゃんが遅刻なんてどうしたのぉ?」
 後ろの席から、小声で声をかけてきたのは友達の田崎由乃。
 由乃とは入学したばかりの頃、友達がおらず、どうしようかと悩んでいた時に仲良くなった。
 由乃のおっとりとした垂れ目にふわふわした髪は、見ているだけで癒される。初めて会った時から話しやすくて、学校ではほとんど一緒に過ごしていた。
 一見すると天然で、柔らかい雰囲気に何でも許してくれそうに見える。が、たまにサラッと凄いこと言ってきたり、言いづらい事も割とはっきり言うタイプだ。

「電車で寝過ごしちゃって……朝から電車で爆睡だよ。」
「ありゃりゃ……疲れてたのかもねぇ。電車で盗撮とかぁ、変な人も多いから気をつけてね。今日も朝、ニュースで盗撮と痴漢があったってやってたよぉ」
「えーこわ」
 最近は特にそういうニュース、多くなった気がする。気をつけないと。
 私達はバレないように、クラスメイトの影に隠れながら静かに話す。

「そこの二人ー」

 ……。先生に見つかってしまった。
「佐藤。田崎。お喋りは休み時間にしなさい〜」
 デスクに座ったまま、遠くから飛んでくるやる気の無さそうな緩い注意に「はーい」と由乃と声を合わせる。ほんの少しだけ反省しながら姿勢を前へと戻す。
 ふと、窓の外を見ると、朝も見た薄紅色の木が目に入る。
 この高校には普通科と進学科がある。私は進学科。
 進学科は男女別のクラスになっていて、学校で過ごす限り、男性と関わる事はほとんど無かった。
 揺れる木々を眺めながら、朝の夢をまた思い出す。

(もうすぐパパに会えるねって、もうすぐっていつなんだろう。)
 今日?明日?半年?一年以内?
 夢の曖昧な表現は、私の頭の中をまた疑問符で埋め尽くす。
 ただの夢なのに何故こんなにも気になるのだろうか。
 夢は夢だ。予知夢を見る力や未来と交信できるようなそんな超能力、私にはない。
 考えるのをやめよう。外へ向いていた意識を先生へと戻す。
 聞き逃していた話を理解しようと黒板に書かれた文字を声に出さず読み上げる。
 (クラス……合併……)

 「ということで。ちょうど明日から二年生としての授業が始まるが、今年から進学科も男女混合のクラスへ変更することになった。」

 (…………どういうことで!?)
 あまりにも急展開すぎる内容に、これもまた夢なんじゃないかと疑う。
 もう明日から授業なのに、なぜ始業式にそんなことを発表するのか、情報伝達が杜撰すぎる。
 私と同じ事を思った生徒も大勢居たようで教室内がかなりざわつく。それを察してか、先生は一言呟いた。

 「悪い、だいぶ前から決まってたけど完全に伝えるの忘れてたわ」
 悪びれる様子もなく、あははーと頭を摩る。
 ((((適当過ぎるだろ…))))

 クラス全員の心が一つとなった瞬間だった。
 進学科は人数が少ない。全体で四十人居るかどうか……。
 そこからさらに男女に分かれていた事もあり、クラスの合併は合理的だ。むしろ今までなんで別だったのか。
 正直、この空気が気に入っていた私からしたら、喜べる話ではなかったけど。クラスメイトの女子達は突然の発表に色めき立つ。
「早速だが、一時間目は隣の男子達がここに来るからな。新しいクラスとしての委員も決める。ちょっと準備してくるから適当に待ってろー」

 そう言い残すと、先生は教室の外へと出て行ってしまった。
 扉が閉まるのを合図に、クラスの中が一気に騒がしく盛り上がり始めた。みんなとても楽しそうだ。
 私みたいに微妙な気持ちを抱いている子は、このクラスにはいないようだ。自然と眉が垂れる。

 「遥!由乃!やばくない!?隣のクラスと一緒になるって!」
 元気よくこっちに突っ込んできたのは、友達の橋口葵。
 ショートカットで溌剌とした性格が気持ちの良い運動大好き女子。葵は部活勧誘会の時に、たまたま隣の席になって仲良くなった。
 由乃も、葵も一緒に過ごすだけで、毎日を楽しくしてくれる。
 私の大切な友達だ。

「あおちゃん、おはよーぉ」
「やばいよ。女子クラスのままでよかったのに……」
「えーなんで?男子いた方がいいじゃん!なんか青春って感じするじゃん!正直、普通科が羨ましかったんだよね〜!由乃『は』特にそう思うでしょ?」
「あはは、あおちゃんらしいねぇ。はるちゃんは何でそんなに嫌そうなのぉ?」
「進学科って人数少なくて好きだったんだよね。それに、急に男子増えたら落ち着かないし……」
「確かにねぇ」
「あと、クラス内が……なんか男子いるだけで常にざわつきそうじゃん……」
「まー確かにそれはあるかもだけど、それも含めて青春じゃーん!」
「青春がわからん……それをいうなら、葵はバイト先で『青春』してるでしょ」

 葵には、バイト先で一年くらい片思いの先輩がいる。
 妹みたいに扱われ、中々進展せず、本人も悩んでいるようだった。こんなに思い切りの良さそうな雰囲気なのに、自分のことになると途端に動けなくなるらしい。

「それはそれ!これはこれ!」
「えぇ……?」
「まぁまぁ〜あおちゃんの言ってることも分かるし、でも、はるちゃんはあんまり男の子自体が得意じゃないもんねぇ」
「関わりが無さすぎて、どうしたらいいのかわかんないんだよ〜。弟とは違うし。平々凡々に、何事もなく穏やかに毎日を過ごしたい……」
「遥は臆病だな〜」
「男と関わる必要性を感じないだけですぅ〜」

 そんなガールズトークを繰り広げていると、廊下の方からガタガタと物を動かすような大きな音が聞こえてきた。
 ガラガラと教室の扉が音を立て開く。先生の横には見覚えがあるような、ないような男子生徒達が机と椅子を持ちながら、そこに立っていた。
「じゃあ各々自分の居た席の隣に机持ってって座れー」

 続々と別クラスだった男子生徒が教室に入ってくる。
 小さくきゃーと喜ぶ子 恥ずかしそうに身だしなみを直す子 男子側も満更ではないようで、はにかむように嬉しそうだった。
 今まで男子との関わりがほぼ、弟のみだった私は、どうしよう……とざわつく感情に折り合いをつけようと必死だった。別に苦手とかじゃない、どうしたらいいのか、どう話すのかよくわからないだけだ、と心の中で意味のない言い訳をする。
 自分の中の落ち着かない感情を誤魔化す為、友達と話す事を思い付き、後ろの席に座っている由乃の方へと振り返る。
 葵は廊下側で席が遠いけど、由乃は後ろの席だから助かった。

 話しかけようとしたその時。

「由乃――」
「たくちゃん、隣の席だねぇ嬉しい!」
「よしのー!隣のクラスだったけど、これからは授業中も一緒の教室で過ごせるなんて、俺も嬉しいなぁ!」
「……。」
 理解の出来ない出来事に、目を点にさせながら声を掛けることをやめて前へ姿勢を直す。
 よく知らない男子と由乃が仲良さそうに話してた。絶対、友達とかそんな関係性飛び越えてる感じの雰囲気の会話してた。今日だけで私の頭はどれだけの刺激を受けただろう。
 話しかけようとしたことに由乃は気付いていたのか、固まっている私に隣の男子生徒を紹介する。

「はるちゃんはいつもバイトですぐ帰っちゃうから、知らないよねぇ?私の幼馴染でそして彼氏のたくちゃん〜」
「どうも、遥さんですよね!お話は由乃からいつも聞いてます。夏川拓真。気軽に拓真って呼んでください。」

 爽やかな顔でニコニコと笑いながら話す拓真は、出来る男のオーラを纏っていた。

「あ、はい。」

 オーラに圧倒され眩しくすら感じる。
 由乃にイケメン彼氏が居たなんて知らなかった。しかも隣のクラスだったなんて……幼馴染で、彼氏で隣の席って、どこの漫画の世界なんだ、と思わずにはいられない。
 思わぬ由乃の彼氏の登場に驚いていると、いつの間にか私の席の隣にも男子が机を置いていた。
 なんだろう。女子達の視線がチラチラとこちらを向いているような気がする。
 
 ――ガタッ、ガシャッ
 男子生徒の机から筆箱が落ち、私の足に当たる。

 (あ、筆箱……。)
 咄嗟に自分の足元に落ちて来た筆箱を拾い、新しくクラスメイトとなった隣人に顔を向ける。
 顔を上げた先には、緩くパーマ掛かった髪に身長180センチはありそうな、端正な顔立ちの男子。
 こういう人を容姿端麗っていうんだろうなぁ。

 イケメンの部類だと思っていた弟・大和の顔が平凡に思えてくる。
「筆箱、落ちたよ」
 隣に来た彼の机に拾った筆箱を置く。
「あぁ、ありがとう」
 彼はこちらを見つめながら、お礼の言葉をくれた。
 その姿に、声に心臓が脈を打つ。
 彼から視線が離せない。

 ――『会えるね。』――

 ふと頭を過る夢の言葉。
 そんなわけない、とすぐに言葉を頭の奥に押し込めた。
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