星降る夜に、あの日のキスをもう一度

 アンジェラは小さく笑って目を伏せた。

「正確には、恋に恋をしていた。ただそれだけのことです。でも生まれて初めてでした。一緒にいて楽しくて、なのにすごくドキドキして。彼はわたくしを知っていた。わたくしだと分かっていた。それだけでも幸せだったんです」

 意味が分からないという彼の表情に、(そうよね?)と心の中で呟く。
 ゆっくりと手が離れ、コンラッドが空を見上げたので、アンジェラも同じ方を見つめた。

「仮装パーティーを覚えてますか? わたくしはちょうどこんな風な姿をしていました。ヴィクトリアのメイドに遊ばれて、自分じゃないみたいな化粧を施されたんです。たぶん、人生で一番美人に見えたんじゃないかしら」

 普段なら絶対しないようなメイクだった。
 銀色に染められた髪。力強い目元に、意志の強そうな赤い唇の月の女神。
 でも仮装パーティーらしくて、すごく心が浮き立っていたことを覚えている。

「あの時は、パーティーのあとに姉たちの訃報が入るなんて夢にも思わなかった。ただただ、学生最後の交流行事を楽しみました。みんなの幸せそうな姿が、本当にうれしかったの」

 思い思いの扮装をする学友たちの間をひらひらと歩き回り、休憩を兼ねて、ヴィクトリアから教えられた穴場で星空を眺めた。心の中がふわふわとしていて、まるで現実味がなかった。

「その時、仮面をつけた人に声をかけられたんです。ちょうどこんな風に月がない、星の綺麗な夜でした」

 神話の中から出てきたような、月の女神の夫である太陽神の扮装をした誰か。

「楽しかった。おしゃべりをしてダンスをして。あんなにドキドキして幸せだったのは生まれて初めてでした。おかしいでしょう、相手が誰かもわからないのに。でもわたくしは彼に名前を呼ばれて嬉しくて、次は本当の姿で会えるのを楽しみにしていたんです。叶わなかったけれど、――今も、彼が迎えに来てくれる日を夢に見ます」

 クスクスと笑いがこぼれるのに、ポロリと一粒、見えない涙がこぼれた気がした。

「ね? 少女じみてて、つまらない話だったでしょう」

 恋に恋していただけの思い出を、後生大事にしている四十歳の女なんて、ただただ痛々しいだけ。コンラッドもあきれていることだろう。
 それでもアンジェラには大切なお守りだった。
 恋をしたのも自分から望んでキスをしたも初めてだったのだ。迎えに来てくれる誰かを想うだけで、耐えられた出来事は数えきれない。

 そのとき――

「わが妻よ。宴の最中なのに、もう月に帰ろうとしているのですか?」

 コンラッドの言葉にアンジェラは目を見開いた。

「なん……で……」

 どうしてその言葉を知っているの? 芝居になぞらえた偶然?

「ダンスの後、いっしょに流れ星を見ましたね。私は妻である貴女にキスをした」

 熱のこもった眼差しと思いもがけない言葉に、アンジェラは両手を口元にあてる。

「まさか。そんな」

 今アンジェラは、相手が太陽神だったこともキスの話もしなかったはずだ。それを知っているコンラッドは――――

「貴女は私を背の君と呼んでましたね。今は夢の時間だと」
「うそ……。コンラッド、でしたの?」

 広くがっちりした肩にかかる金髪も、仮面の奥の深い青色の目も覚えている。
 それでも当時のコンラッドの普段の姿とは違いすぎて、なかなかその現実が受け入れられない。
 猛烈な恥ずかしさに立ち上げって逃げようとすると、グイっと手を引かれて次の瞬間、アンジェラは彼の胸の中に飛び込んでいた。

「お願い、はなして」
「いやです」
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