楽園

噂話


編集者になって、はや5年。まだ仕事に慣れていないからという言い訳は使えない歴になってきていた。仕事は色々任されるようになり、担当の作家先生とも上手くコミュニケーションが取れるようになってきた頃だった。安定してきたといってもいい。

そんな折、新しい先生の担当を任されることになったのだけれど、これがとんでもない曲者だったのだ。

この作家先生においては、言わせて欲しい。


誰か、この先生の扱いを教えてください、と。


まず、引き継ぎが不十分だった。やむを得ない事情だったらしいが、それにしてもほとんど入れ違いのように元担当編集者は辞めていった。なぜその代わりに私を配置することになったのかは不明だ。

そんな事情があり、私は今現在、先生の家の前で肩を落としている。真っ昼間である。電話をかけようが、インターホンを鳴らそうが、先生はなんの反応も返してくれない。


大きな木造平屋の一軒家。電気が付いてるのでおそらく家にいるだろうに、為す術なく玄関前をうろうろとしているのだ。これじゃあ不審者だ。ただ、原稿を受け取りに来ただけなのにとべそをかく。


思えば、今までの作家先生たちはこんなことが全くなかった。締切には必ず原稿を受け取れたし、もし間に合わないようなら前もって連絡をくれる。連絡がつかないなんてのはもってのほかだった。


この担当替えの話の時に編集長は「ここは君の踏ん張りどころだからね。頑張るんだよ」と私の肩を叩いて神妙な顔をしていたのを思い出す。


あれは、こうなることを分かってて言った言葉なのだろう。私はますます憂鬱になる。今、先生の家の前で不本意に油を売る羽目になっているのなんて、序の口なのかもしれない。

「せんせーい!いますかー!」

呼びかけてみるが、返事などあるはずもない。
ため息をついて、私はぐるっと家の外観を見渡してみた。不審者的思考だが、左手から何となく回り込めそうだなと思った。大義名分なら、いくらでも用意できそうだったので、私はそっちに足を進めることにした。最近はやけに暑いので、草が伸び伸びと育ち、茂みをかき分けるようにして進まないといけなかった。


ほんとに立派な家だ。茂みを抜けるとあまり手入れはされていないようだが、それなりに大きい庭があった。
縁側もある。

「せんせーい?」

それに縁側は開け放たれていて、不用心極まりない。こんなの私のような不審者が入りたい放題だ。まあ私は邪な気持ちで侵入している訳では無いけれど。


縁側から書斎のようなところまで見渡せた。本がぎちぎちに詰まった本棚のそばに、山積みにされた書物たち。目をこらすとその奥の机に突っ伏している先生の姿があった。


この家にふさわしく紺色の浴衣を身につけた先生は、人形のように微動だにしない。

「せ、先生?? い、生きてますよね?」

縁側から声をかけるが、全く動かない。

「え? え? 嘘でしょ」

私は慌てて、靴を脱ぎ捨て縁側から侵入した。先生のところに駆け寄って肩を揺する。

「せ、せんせー!起きてくださいよ! 死んでるんですか!?」

原稿を取りに来ただけなのに、作家が死んでいたなんて、そんなの担当編集者としての心がポッキリと折れてしまう。

「お願いします!起きてください!」

半ば懇願するように揺すると先生が不機嫌な顔で身じろぎした。

「おい、勝手に人を殺すな」

「せ、先生、良かった……生きてて」

私は腰が抜けてぱったりと座り込む。


「アホか君は。……ところでどうやって家に上がり込んできたんだ」

先生は血の気のない骨ばった手で頭をかいて、大きな欠伸をひとつした。

「え、えっと、そこから……」

私はおずおずと後ろの縁側を指す。
先生はすっかり呆れた顔になって

「君は家主が玄関から迎えないと、縁側からずかずかと遠慮もなく入ってくるのかい」と頬杖をついた。


若干浴衣がはだけているせいで、目のやり場に困って、畳に視線を落とす。この作家先生はやけに色気があってやりずらい。

「すいません……。電話にもインターホンにも応じてくださらないので、何かあったのかと、つい、その……」

「困って、回り込んだら、縁側があいてたわけだな」

「……はい」


先生はふっと息を吐くように笑って、そして机に乱雑に置かれている原稿用紙をかき集めた。

「まあ、僕もさっき書き終えて、そのまま寝こけていたわけだからね。君ばかりを責められない。これを取りに来るのが君の仕事だからね」

差し出された原稿を受け取り、パラパラと確認する。
今、ざっと目を通しただけだけれど、とても良いと思った。先生は怪奇ミステリーの名手だった。

私は打って変わって「原稿、ありがとうございます!この後、戻って確認いたします!」と元気よく応じる。


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