追放された元妃は多くを望まない ~とある才女が残した最高の置き土産~
第三章 後宮追放と下賜
表向き、後宮は穏やかな日常を取り戻していた。
陛下のお渡りも定期的にある。ただし何も無し。
陛下が何を考えているのかは分からないけど、こちらは気楽でいい。
毒入り菓子の件以来、離宮への贈り物は全て検閲されている。
陛下の指示……というよりも陛下の侍従か、もしくは後宮を管理している人物の判断だと思う。
「それで止める人たちではないのよね」
これで安心だと考えているのは陛下とその周辺だけ。
「女心を理解していないというか。女性の権力闘争を甘く見ているというか」
陛下だけではない。
その周囲にいる者たちも自覚が乏しいのが問題なのよね。
もう少し自覚してほしいものだわ。ローズ上級妃の野心を。
彼女の敵視する視線。
……あの毒入り菓子の件も、氷山の一角にすぎないということを。
「火に油を注いだのかもしれないわね」
私の呟きは現実となった。
贈り物攻撃が効かないとなると、今度は別の嫌がらせが待っていた。
陛下主催の宴で恥をかかそうと色々画策された。
披露する演目が被っていたり、ドレスの色が被っていたり、話題や順番が重なっていた。酷い時は末席が用意されていた。流石に末席に座るわけにはいかないので丁重にお断りしたけれど。
私が断れば断るほど嫌がらせはエスカレートした。
演奏会に参加したとき、私だけが演奏の順番に入れられていない、という嫌がらせもあった。
恥をかかせるつもりだったのだろう。
また別の日には、逆に突然『あなたが弾きなさい』と言われた。
事前の打診も、報告も相談も連絡もなく、本当にいきなりだった。
まあ、特に困ることはなかった。楽器は普通に弾けるし、即興で合わせることもできる。
実のところ、私は音楽が得意だったりする。
もし家が貧乏貴族だったなら、音楽で生計を立てていたかもしれない。
かつての音楽教師からは、『貴族令嬢のままにしておくのは惜しい』とまで言われた腕前だ。
だから、順番に入れられなかろうと、「突然弾け」と言われようと、私にとっては大した問題ではなかったりする。
私に恥をかかせようとして、逆に恥をかいたのはローズ上級妃側だ。
それでも、なんとか私に恥をかかせたかったらしく、次から次へと手を変え品を変え、くだらない嫌がらせを仕掛けてきた。
なんて幼稚な……と思ったのは秘密である。
そんな嫌がらせが続くものだから、後宮全体がピリピリし始めた。とはいっても、それらは白の離宮の外での出来事でしかないので、私はいつもどおりに過ごしている。
後から来た妃たちには申し訳ないけれど、私は基本的に離宮から出ないので彼女たちとは交流を持つことも少ない。せいぜいパーティーの時に挨拶をする程度だ。
後宮の雰囲気がますますピリピリしたものになると、それに比例するように陛下の御渡りもなくなった。
これにはちょっとした理由がある。
寵愛する妃ができたらしい。
グーシャ国王陛下が寵愛する妃は、その名もラヴリー・ボイル。
ボイル男爵家の令嬢。
陛下が地方視察の時に見初めたらしく、最近寵愛が深いと専らの噂。
「なるほど、それで……」
陛下の御渡りがなくなったわけだ。
これは一波乱ありそうだと思った矢先に、それはやってきた。
下級妃のラヴリーに対しての嫌がらせ。
それを私がしたと、陛下から断罪された。
王宮の夜会でのこと。
「シャーロット上級妃! 今日限りで妃の位を剥奪する!! 以後、登城は許さぬ! なお、元妃ということを考慮し、オウエン・ロマンとの結婚を命じる! これは『王命』である!! 異論は認めない。分かったな!!」
……余興としてなら大成功だろう。
前触れもなく、突然始まった断罪劇と上級妃の下賜に誰もが驚きを隠せない。
妃の中には「これはやりすぎでは」「いくらなんでも」などと呟く者もいる。
こうして、その日のうちに後宮を追い出され、下賜先のロマン伯爵邸に連れてこられた。
普通、そのまま行かせる?
私の荷物はまだ離宮にあるのだけれど。
後から取りに来い、と?
後宮に?
「勘弁してほしいわ」
部外者が後宮に出入りなんてそう簡単にできない。
そこのところを陛下は考慮しているのかしら? してないでしょうね、あの様子では。
ロマン伯爵邸・玄関――。
「婚姻……でございますか? そのようなことは何も伺っておりません。何かの間違いでは? どうぞ、お引き取りください」
執事らしき男がそう言い放った瞬間、私の背後に控えていたリコリスが、わずかに息を呑む気配がした。その小さな反応だけで、彼女がどれほど呆れているかは十分に伝わってくる。
バタン、と扉が閉まる。
リコリスは前に出ることはしない。
侍女としての礼儀を守り、私の背後に控えたまま――。
それでも、扉へ向けられた視線だけは冷ややかだった。
あの男の対応には、私も正気を疑った。
王家の紋章入りの手紙を片手に訪れた私を一瞥すると、この対応である。
遠巻きにこちらを見ている使用人のヒソヒソ声。
何を言っているのか聞こえないけれど、嫌な視線を投げかけているので、碌な会話はしていないはず。
ロマン伯爵家の使用人は教育ができていないようだわ。
もっとも、ただ単に使用人の質が悪いだけなのかもしれない。
それとも執事の独断がまかり通っているのか……どちらにしても、あり得ない。
一応、政略結婚だというのに。
門前払い。
王命なのよ、これは。
発令した国王が恋愛に現を抜かしてアホな行動をしたとしても、王命を無視するだなんて。
これって王家に対する侮辱行為じゃないかしら?
それとも王家への反逆?
大丈夫なの?
これ……?
「とりあえず、今日は宿に泊まりましょう」
「はい、シャーロット様」
私はリコリスを連れて、馬車へと戻る。
御者は困惑しながらも、指示通りに動き出した。
まさかこんなことになるなんてね。
でも、これでよかったのかもしれない。
あの状況で婚家にいたらどんな扱いを受けるかは想像できる。まともな扱いはされない。
宿に着いたらすぐにでも両親と兄に連絡を取らなければ。
まさか両親と兄が外交で他国に赴いている時にこんな事態になるなんて……ついてないわ。
まぁ、陛下がそれを狙っていた可能性も否定できない。邪魔者がいない今がチャンスともいえるしね。
「忙しくなりそうだわ」
私はこれから起こるであろう面倒ごとに溜息を吐くのだった。
◆◇◆
《宰相視点》
「は? 今、なんと言ったのだ?」
思わず声が裏返った。
長く宰相を務めてきたが、こんなに驚いたのは初めてかもしれない。
聞き間違いかと思った。
いや、聞き間違いであってほしかった。
「陛下が、シャーロット上級妃を追い出した……だと?」
「は、はい……」
「しかも下賜するだと……?」
「はい」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
白の離宮の上級妃、シャーロット様を後宮入りさせるのにどれだけ大変だったか。
カールストン侯爵に頭を下げてお願いしたのだ。それを……。
伝令に来た近衛兵は、私の苛立ちに対して、非常に気まずげな様子でいた。
彼のせいではない。
分かっている。
誰も陛下を止められなかったことも。
事の発端は、ローズ上級妃だ。
彼女は自分が王妃になるためならなんでもする女性だ。
取り巻きを使ってライバルを蹴落とすのは当たり前。
犯罪まがいの嫌がらせをして相手を追いつめるのは日常茶飯事。
本人は「自分こそが王妃に相応しい」と本気で信じていた。
確かに、王妃に相応しい美貌の持ち主だが、残念ながら中身が伴っていなかった。
更に、ローズ上級妃は陛下といとこ同士で、二人のお子も誕生している。
後宮で彼女に立ち向かえる勢力は皆無だったことが更にローズ上級妃を調子づかせていた。
陛下の前だけは「可愛い従妹の上級妃」だ。
幼馴染みでもあるせいか、陛下はローズ上級妃に些か甘い。
「お気に入りの妃」とか「寵愛深い」などではなく、どちらかというと「妹同然の妃」といった感じで。
多忙な陛下は後宮の実情を知らないので無理もない。
ローズ上級妃も陛下には、淑やかな振る舞いをしているらしい。
そんな姿しか見ていない陛下からすれば、まさか、ローズ上級妃が「目障りな妃を次々と後宮から追い出している」とは思いもしないのだろう。
しかし、流石にこのままではヤバイと危機感を抱いた貴族たちが珍しく一致団結して、ローズ上級妃の対抗馬を立てるべく動いた――。
『ローズ上級妃を排除できればいいのだが』
『流石にそれは難しいだろう』
『せめて潰されないだけの逸材を後宮に入れるべきだ』
『美しいだけでも聡明なだけでも駄目だ』
『誰かいい令嬢はいないものか……』
普段は派閥争いで互いに足を引っ張り合う彼らが、今だけは不気味なくらいに協力的だった。天変地異の前触れかと本気で思ったほどだ。
それほどまでに、ローズ上級妃の存在は〝脅威〟として映っていたのだ。
やがて、密やかな会合の場で名前が挙がる。
『……彼の侯爵令嬢なら、まだ可能性があるのでは?』
『家柄は申し分ない』
『聡明な令嬢だとも聞いている』
『品位もある。何より、ローズ上級妃は彼の令嬢に負い目があるはず。少なくともカペル公爵家は、カールストン侯爵令嬢に対して娘の言葉をみにしないだろう』
ざわり、と空気が揺れた。
その名を口にした瞬間、場の温度がわずかに変わる。
『それでは、シャーロット・カールストン侯爵令嬢を推すということでよろしいか?』
誰も反対しなかった。
いや、反対できなかったと言うべきか。
こうして、ローズ上級妃に対抗する〝新たな上級妃〟が誕生したのだった。
──カールストン侯爵に貴族一同で頭を下げてようやく迎え入れたというのに……。
陛下は臣下の苦労を何故理解してくださらぬのか。
「それで? シャーロット上級妃はどんな理由で後宮追放になったのだ」
詳しく聞かなければならない。
陛下らしくない突発的な判断だ。
なにかあるのか?
もしや、またローズ上級妃が何かをしたか。
「実は――」
近衛兵が語った理由はくだらないものだった。
誰が聞いても冤罪だろう、と思えるもの。
冤罪でなくとも「そんなことで?」「本気か?」と、耳を疑うものばかり。
寵妃とはいえ、たかが下級妃を虐めただけで……? 上級妃を追放――。
あのシャーロット上級妃がそんなことするものか。
それをいうなら、ローズ上級妃はどうなる?
とっくの昔に後宮追放しなければならないレベルだろうに。
たとえ本当に虐めたとしてもだ。
だからなんだというのだ?
そんなことで上級妃が追放されるなど聞いたこともない。
私は全てを聞き終えると、酷く脱力した。
「……何をやっているんだ」
思わず漏れた独り言に、近衛兵が一瞬だけ息を呑むのが伝わった。
彼も同じ気持ちなのだろう。
騒動の原因となった一人の下級妃。
彼女が異例の措置で後宮入りした日の出来事を思い出した──。
数ヶ月前。
『なに? 陛下が視察先から女性を連れ帰ってきた……だと?』
『はい』
報告した部下も、どこか困惑気味の顔をしていた。
無理もない。
国王が、女を伴って来るなど通常あり得ない行為だ。
『それで、どこの誰を連れてきたんだ?』
『はい、男爵令嬢とのことです。名前は、ラヴリー・ボイルと』
部下が告げてきた名前に、私は一瞬眉を顰めた。
『ボイル男爵家か』
没落した名ばかりの貧乏貴族だ。
『あの家の娘となれば、庶子か』
確か、母親が男爵のお手付きにされた元メイドだ。
母親が亡くなって男爵家に引き取られていた。
『美人か?』
『は、はい。綺麗な少女でした』
ボイル男爵家が娘を認知したのは、どこかの金持ちの妻か愛人にするためだろう。
そういう目的で庶子を引き取る家はある。
もっとも、国王を釣り上げたのは予想だにしていなかっただろうが。
通常ならボイル男爵家の娘が後宮入りするのはあり得ない。
政治的価値のない存在だ。
婚姻の意味を持たせるとしたら「子を産ませる」だけ、だろう。
『無害ではあるな』
――害になり得ない存在だ。
だから、放置していたのだが――。
「まさか、有害になるとは……」
◆◇◆
《オードリ下級妃視点》
後宮のとある屋敷。
そこにいたのは下級妃の私を含む大勢の妃たち。
「わたくしたちの勝利を祝して」
「「「「乾杯」」」」
シャンパングラスを持ち上げて皆様が一斉に勝利を祝われておりました。
まさに勝利の宴とはこのことを言うのでしょう。
「シャーロット上級妃様もおかわいそうに」
「あら、もう〝妃〟ではありませんわよ」
「そうでしたわね。〝元妃〟でしたわ。ほほほ」
上機嫌に会話する格上の妃たち。
二人いる上級妃のうち一人が脱落したのですから当然の行為でしょう。
運が向いてきた、と思っていてもおかしくありません。
まぁ、古株の下級妃である私にはまったく関係のない話ですが。そもそも私はしがない子爵家の娘。王子を産まないかぎり成り上がることすらできません。
出世できたとしても、中級妃まででしょう。天地がひっくり返っても上級妃にはなれない身の上です。
実家のルックソン子爵家もパッとしない家柄なので、私が出世することは生涯ないといっても過言ではありません。
今、中級妃でいらっしゃる方たちなら、繰り上げで上級妃に格上げされる可能性は十分考えられますからね。繰り上げがなくても、後宮に君臨しているローズ上級妃様からの心証はかなりよくなるはずです。
「わたくしたちを無視した罰ですわ」
「ええ、まったく」
「後宮で、孤立無援で戦うことの愚かさを骨身に染みたことでしょう」
「四面楚歌では、ねぇ」
嘲りの声が、まるで波のように押し寄せてきました。
一人が嗤えば、それに続くように別の誰かが口元を歪めるのです。
「自分だけ特別だと思っていたのかしら」
「誰も味方がいないのに。よくもまあ強気でいられたものね」
「後宮で生きる術を知らないって、哀れだわ」
「あれだけローズ上級妃様に睨まれて、まだ立っていられるなんて……。それだけでも奇跡だわ」
「奇跡も今日までのお話よ」
「まあ!」
人の不幸は蜜の味とはよく言ったものです。
しかも自分たちによって作られた不幸なら、その蜜はさらに濃いものなのでしょう。
「ここまで上手くいくとは思いませんでしたけれどね」
「相手がラヴリー下級妃だったからでしょう」
「そうね、彼女だからこそ功を奏しましたわ」
「見事に騙されるんですもの。こちらが驚きましたわ」
「ねぇ、普通は確認しますわよね」
クスクスクスと皆が嗤います。
かくいう私も、彼女たちと同じ顔をしていることでしょう。
自分では確認できませんが、きっとそう。
女の醜い姿を醸し出しているはずです。
「ラヴリー下級妃はどうします?」
一人の妃が今後を聞いてきます。
「邪魔だから早めに潰しましょう」という確認に等しい言葉でした。
いつものことです。
邪魔な存在が〝脅威〟になる前に排除するのは――。
この場所では普通のこと。
何もおかしなことではないのです。
これが後宮の日常――。
「そうね、放置しておくと面倒になりそうな子だもの」
面倒。
その通りでした。
陛下に見初められた若い妃。
後宮では珍しいタイプの妃だったのです。
無垢というか。無邪気というべきか。後宮に住まうには似付かわしくないと誰もが思ったでしょう。
「芽のうちに摘んでしまうのが一番よ」
若く、深く寵愛されている妃。
懐妊する前に手を打っておく必要がある、と皆様が思われたのも無理ありません。
彼女だって、子供を身ごもったのに生まれる前に失う、なんて悲劇に遭うよりずっといいはずです。
そのせいで二度と子供を持つことができない体になる、なんてことになりかねません。後宮でそうなってしまえば生き地獄も同然です。
「後宮で生き残るのは、賢い者だけよ」
嘲りの笑みを浮かべながら、妃たちは当然のように頷き合います。
その様子は、弱肉強食を生きる肉食獣のようで、美しくも恐ろしい。
明日のお茶会のメニューを決めているかのように軽やかな会話。人ひとりの人生を左右する話題だという自覚は微塵もないご様子。
「あの子には後ろ盾がないも同然だわ」
「実家の男爵家は何も言わないでしょうしね」
「当然よ」
彼女たちの声は甘く、柔らかく、しかしその中身は氷のように冷たい。
弱い者は踏まれ、声の小さい者は消されてしまう。いいえ、声そものは聞こえていないのでしょう。
それが当たり前で、誰も疑問に思わない世界。
私は静かに彼女たちを見つめました。
醜い顔。
美しいのに醜い。
それは私も同じ。
この輪から抜け出せない。
抜けることは許されない。
誰だって次の標的にはなりたくないもの。
この場所で生きるには、三つの教えがある。
見ざる、聞かざる、言わざる――。
それが守れてこそ、平穏に過ごせるというもの。
例外などない――そう思っていた。
まさか、その例外が存在しているだなんて……。
孤立無援の四面楚歌。
そうして後宮から追放された元妃、シャーロット様が、私たちを追いつめることになるなんて思いもしなかった。
法の下に、私たちを裁こうだなんて。
誰が想像できたというの。
勝利の美酒に酔いしれる妃たち。
その勝利の味が泥水に変わるのは早かった。
陛下のお渡りも定期的にある。ただし何も無し。
陛下が何を考えているのかは分からないけど、こちらは気楽でいい。
毒入り菓子の件以来、離宮への贈り物は全て検閲されている。
陛下の指示……というよりも陛下の侍従か、もしくは後宮を管理している人物の判断だと思う。
「それで止める人たちではないのよね」
これで安心だと考えているのは陛下とその周辺だけ。
「女心を理解していないというか。女性の権力闘争を甘く見ているというか」
陛下だけではない。
その周囲にいる者たちも自覚が乏しいのが問題なのよね。
もう少し自覚してほしいものだわ。ローズ上級妃の野心を。
彼女の敵視する視線。
……あの毒入り菓子の件も、氷山の一角にすぎないということを。
「火に油を注いだのかもしれないわね」
私の呟きは現実となった。
贈り物攻撃が効かないとなると、今度は別の嫌がらせが待っていた。
陛下主催の宴で恥をかかそうと色々画策された。
披露する演目が被っていたり、ドレスの色が被っていたり、話題や順番が重なっていた。酷い時は末席が用意されていた。流石に末席に座るわけにはいかないので丁重にお断りしたけれど。
私が断れば断るほど嫌がらせはエスカレートした。
演奏会に参加したとき、私だけが演奏の順番に入れられていない、という嫌がらせもあった。
恥をかかせるつもりだったのだろう。
また別の日には、逆に突然『あなたが弾きなさい』と言われた。
事前の打診も、報告も相談も連絡もなく、本当にいきなりだった。
まあ、特に困ることはなかった。楽器は普通に弾けるし、即興で合わせることもできる。
実のところ、私は音楽が得意だったりする。
もし家が貧乏貴族だったなら、音楽で生計を立てていたかもしれない。
かつての音楽教師からは、『貴族令嬢のままにしておくのは惜しい』とまで言われた腕前だ。
だから、順番に入れられなかろうと、「突然弾け」と言われようと、私にとっては大した問題ではなかったりする。
私に恥をかかせようとして、逆に恥をかいたのはローズ上級妃側だ。
それでも、なんとか私に恥をかかせたかったらしく、次から次へと手を変え品を変え、くだらない嫌がらせを仕掛けてきた。
なんて幼稚な……と思ったのは秘密である。
そんな嫌がらせが続くものだから、後宮全体がピリピリし始めた。とはいっても、それらは白の離宮の外での出来事でしかないので、私はいつもどおりに過ごしている。
後から来た妃たちには申し訳ないけれど、私は基本的に離宮から出ないので彼女たちとは交流を持つことも少ない。せいぜいパーティーの時に挨拶をする程度だ。
後宮の雰囲気がますますピリピリしたものになると、それに比例するように陛下の御渡りもなくなった。
これにはちょっとした理由がある。
寵愛する妃ができたらしい。
グーシャ国王陛下が寵愛する妃は、その名もラヴリー・ボイル。
ボイル男爵家の令嬢。
陛下が地方視察の時に見初めたらしく、最近寵愛が深いと専らの噂。
「なるほど、それで……」
陛下の御渡りがなくなったわけだ。
これは一波乱ありそうだと思った矢先に、それはやってきた。
下級妃のラヴリーに対しての嫌がらせ。
それを私がしたと、陛下から断罪された。
王宮の夜会でのこと。
「シャーロット上級妃! 今日限りで妃の位を剥奪する!! 以後、登城は許さぬ! なお、元妃ということを考慮し、オウエン・ロマンとの結婚を命じる! これは『王命』である!! 異論は認めない。分かったな!!」
……余興としてなら大成功だろう。
前触れもなく、突然始まった断罪劇と上級妃の下賜に誰もが驚きを隠せない。
妃の中には「これはやりすぎでは」「いくらなんでも」などと呟く者もいる。
こうして、その日のうちに後宮を追い出され、下賜先のロマン伯爵邸に連れてこられた。
普通、そのまま行かせる?
私の荷物はまだ離宮にあるのだけれど。
後から取りに来い、と?
後宮に?
「勘弁してほしいわ」
部外者が後宮に出入りなんてそう簡単にできない。
そこのところを陛下は考慮しているのかしら? してないでしょうね、あの様子では。
ロマン伯爵邸・玄関――。
「婚姻……でございますか? そのようなことは何も伺っておりません。何かの間違いでは? どうぞ、お引き取りください」
執事らしき男がそう言い放った瞬間、私の背後に控えていたリコリスが、わずかに息を呑む気配がした。その小さな反応だけで、彼女がどれほど呆れているかは十分に伝わってくる。
バタン、と扉が閉まる。
リコリスは前に出ることはしない。
侍女としての礼儀を守り、私の背後に控えたまま――。
それでも、扉へ向けられた視線だけは冷ややかだった。
あの男の対応には、私も正気を疑った。
王家の紋章入りの手紙を片手に訪れた私を一瞥すると、この対応である。
遠巻きにこちらを見ている使用人のヒソヒソ声。
何を言っているのか聞こえないけれど、嫌な視線を投げかけているので、碌な会話はしていないはず。
ロマン伯爵家の使用人は教育ができていないようだわ。
もっとも、ただ単に使用人の質が悪いだけなのかもしれない。
それとも執事の独断がまかり通っているのか……どちらにしても、あり得ない。
一応、政略結婚だというのに。
門前払い。
王命なのよ、これは。
発令した国王が恋愛に現を抜かしてアホな行動をしたとしても、王命を無視するだなんて。
これって王家に対する侮辱行為じゃないかしら?
それとも王家への反逆?
大丈夫なの?
これ……?
「とりあえず、今日は宿に泊まりましょう」
「はい、シャーロット様」
私はリコリスを連れて、馬車へと戻る。
御者は困惑しながらも、指示通りに動き出した。
まさかこんなことになるなんてね。
でも、これでよかったのかもしれない。
あの状況で婚家にいたらどんな扱いを受けるかは想像できる。まともな扱いはされない。
宿に着いたらすぐにでも両親と兄に連絡を取らなければ。
まさか両親と兄が外交で他国に赴いている時にこんな事態になるなんて……ついてないわ。
まぁ、陛下がそれを狙っていた可能性も否定できない。邪魔者がいない今がチャンスともいえるしね。
「忙しくなりそうだわ」
私はこれから起こるであろう面倒ごとに溜息を吐くのだった。
◆◇◆
《宰相視点》
「は? 今、なんと言ったのだ?」
思わず声が裏返った。
長く宰相を務めてきたが、こんなに驚いたのは初めてかもしれない。
聞き間違いかと思った。
いや、聞き間違いであってほしかった。
「陛下が、シャーロット上級妃を追い出した……だと?」
「は、はい……」
「しかも下賜するだと……?」
「はい」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
白の離宮の上級妃、シャーロット様を後宮入りさせるのにどれだけ大変だったか。
カールストン侯爵に頭を下げてお願いしたのだ。それを……。
伝令に来た近衛兵は、私の苛立ちに対して、非常に気まずげな様子でいた。
彼のせいではない。
分かっている。
誰も陛下を止められなかったことも。
事の発端は、ローズ上級妃だ。
彼女は自分が王妃になるためならなんでもする女性だ。
取り巻きを使ってライバルを蹴落とすのは当たり前。
犯罪まがいの嫌がらせをして相手を追いつめるのは日常茶飯事。
本人は「自分こそが王妃に相応しい」と本気で信じていた。
確かに、王妃に相応しい美貌の持ち主だが、残念ながら中身が伴っていなかった。
更に、ローズ上級妃は陛下といとこ同士で、二人のお子も誕生している。
後宮で彼女に立ち向かえる勢力は皆無だったことが更にローズ上級妃を調子づかせていた。
陛下の前だけは「可愛い従妹の上級妃」だ。
幼馴染みでもあるせいか、陛下はローズ上級妃に些か甘い。
「お気に入りの妃」とか「寵愛深い」などではなく、どちらかというと「妹同然の妃」といった感じで。
多忙な陛下は後宮の実情を知らないので無理もない。
ローズ上級妃も陛下には、淑やかな振る舞いをしているらしい。
そんな姿しか見ていない陛下からすれば、まさか、ローズ上級妃が「目障りな妃を次々と後宮から追い出している」とは思いもしないのだろう。
しかし、流石にこのままではヤバイと危機感を抱いた貴族たちが珍しく一致団結して、ローズ上級妃の対抗馬を立てるべく動いた――。
『ローズ上級妃を排除できればいいのだが』
『流石にそれは難しいだろう』
『せめて潰されないだけの逸材を後宮に入れるべきだ』
『美しいだけでも聡明なだけでも駄目だ』
『誰かいい令嬢はいないものか……』
普段は派閥争いで互いに足を引っ張り合う彼らが、今だけは不気味なくらいに協力的だった。天変地異の前触れかと本気で思ったほどだ。
それほどまでに、ローズ上級妃の存在は〝脅威〟として映っていたのだ。
やがて、密やかな会合の場で名前が挙がる。
『……彼の侯爵令嬢なら、まだ可能性があるのでは?』
『家柄は申し分ない』
『聡明な令嬢だとも聞いている』
『品位もある。何より、ローズ上級妃は彼の令嬢に負い目があるはず。少なくともカペル公爵家は、カールストン侯爵令嬢に対して娘の言葉をみにしないだろう』
ざわり、と空気が揺れた。
その名を口にした瞬間、場の温度がわずかに変わる。
『それでは、シャーロット・カールストン侯爵令嬢を推すということでよろしいか?』
誰も反対しなかった。
いや、反対できなかったと言うべきか。
こうして、ローズ上級妃に対抗する〝新たな上級妃〟が誕生したのだった。
──カールストン侯爵に貴族一同で頭を下げてようやく迎え入れたというのに……。
陛下は臣下の苦労を何故理解してくださらぬのか。
「それで? シャーロット上級妃はどんな理由で後宮追放になったのだ」
詳しく聞かなければならない。
陛下らしくない突発的な判断だ。
なにかあるのか?
もしや、またローズ上級妃が何かをしたか。
「実は――」
近衛兵が語った理由はくだらないものだった。
誰が聞いても冤罪だろう、と思えるもの。
冤罪でなくとも「そんなことで?」「本気か?」と、耳を疑うものばかり。
寵妃とはいえ、たかが下級妃を虐めただけで……? 上級妃を追放――。
あのシャーロット上級妃がそんなことするものか。
それをいうなら、ローズ上級妃はどうなる?
とっくの昔に後宮追放しなければならないレベルだろうに。
たとえ本当に虐めたとしてもだ。
だからなんだというのだ?
そんなことで上級妃が追放されるなど聞いたこともない。
私は全てを聞き終えると、酷く脱力した。
「……何をやっているんだ」
思わず漏れた独り言に、近衛兵が一瞬だけ息を呑むのが伝わった。
彼も同じ気持ちなのだろう。
騒動の原因となった一人の下級妃。
彼女が異例の措置で後宮入りした日の出来事を思い出した──。
数ヶ月前。
『なに? 陛下が視察先から女性を連れ帰ってきた……だと?』
『はい』
報告した部下も、どこか困惑気味の顔をしていた。
無理もない。
国王が、女を伴って来るなど通常あり得ない行為だ。
『それで、どこの誰を連れてきたんだ?』
『はい、男爵令嬢とのことです。名前は、ラヴリー・ボイルと』
部下が告げてきた名前に、私は一瞬眉を顰めた。
『ボイル男爵家か』
没落した名ばかりの貧乏貴族だ。
『あの家の娘となれば、庶子か』
確か、母親が男爵のお手付きにされた元メイドだ。
母親が亡くなって男爵家に引き取られていた。
『美人か?』
『は、はい。綺麗な少女でした』
ボイル男爵家が娘を認知したのは、どこかの金持ちの妻か愛人にするためだろう。
そういう目的で庶子を引き取る家はある。
もっとも、国王を釣り上げたのは予想だにしていなかっただろうが。
通常ならボイル男爵家の娘が後宮入りするのはあり得ない。
政治的価値のない存在だ。
婚姻の意味を持たせるとしたら「子を産ませる」だけ、だろう。
『無害ではあるな』
――害になり得ない存在だ。
だから、放置していたのだが――。
「まさか、有害になるとは……」
◆◇◆
《オードリ下級妃視点》
後宮のとある屋敷。
そこにいたのは下級妃の私を含む大勢の妃たち。
「わたくしたちの勝利を祝して」
「「「「乾杯」」」」
シャンパングラスを持ち上げて皆様が一斉に勝利を祝われておりました。
まさに勝利の宴とはこのことを言うのでしょう。
「シャーロット上級妃様もおかわいそうに」
「あら、もう〝妃〟ではありませんわよ」
「そうでしたわね。〝元妃〟でしたわ。ほほほ」
上機嫌に会話する格上の妃たち。
二人いる上級妃のうち一人が脱落したのですから当然の行為でしょう。
運が向いてきた、と思っていてもおかしくありません。
まぁ、古株の下級妃である私にはまったく関係のない話ですが。そもそも私はしがない子爵家の娘。王子を産まないかぎり成り上がることすらできません。
出世できたとしても、中級妃まででしょう。天地がひっくり返っても上級妃にはなれない身の上です。
実家のルックソン子爵家もパッとしない家柄なので、私が出世することは生涯ないといっても過言ではありません。
今、中級妃でいらっしゃる方たちなら、繰り上げで上級妃に格上げされる可能性は十分考えられますからね。繰り上げがなくても、後宮に君臨しているローズ上級妃様からの心証はかなりよくなるはずです。
「わたくしたちを無視した罰ですわ」
「ええ、まったく」
「後宮で、孤立無援で戦うことの愚かさを骨身に染みたことでしょう」
「四面楚歌では、ねぇ」
嘲りの声が、まるで波のように押し寄せてきました。
一人が嗤えば、それに続くように別の誰かが口元を歪めるのです。
「自分だけ特別だと思っていたのかしら」
「誰も味方がいないのに。よくもまあ強気でいられたものね」
「後宮で生きる術を知らないって、哀れだわ」
「あれだけローズ上級妃様に睨まれて、まだ立っていられるなんて……。それだけでも奇跡だわ」
「奇跡も今日までのお話よ」
「まあ!」
人の不幸は蜜の味とはよく言ったものです。
しかも自分たちによって作られた不幸なら、その蜜はさらに濃いものなのでしょう。
「ここまで上手くいくとは思いませんでしたけれどね」
「相手がラヴリー下級妃だったからでしょう」
「そうね、彼女だからこそ功を奏しましたわ」
「見事に騙されるんですもの。こちらが驚きましたわ」
「ねぇ、普通は確認しますわよね」
クスクスクスと皆が嗤います。
かくいう私も、彼女たちと同じ顔をしていることでしょう。
自分では確認できませんが、きっとそう。
女の醜い姿を醸し出しているはずです。
「ラヴリー下級妃はどうします?」
一人の妃が今後を聞いてきます。
「邪魔だから早めに潰しましょう」という確認に等しい言葉でした。
いつものことです。
邪魔な存在が〝脅威〟になる前に排除するのは――。
この場所では普通のこと。
何もおかしなことではないのです。
これが後宮の日常――。
「そうね、放置しておくと面倒になりそうな子だもの」
面倒。
その通りでした。
陛下に見初められた若い妃。
後宮では珍しいタイプの妃だったのです。
無垢というか。無邪気というべきか。後宮に住まうには似付かわしくないと誰もが思ったでしょう。
「芽のうちに摘んでしまうのが一番よ」
若く、深く寵愛されている妃。
懐妊する前に手を打っておく必要がある、と皆様が思われたのも無理ありません。
彼女だって、子供を身ごもったのに生まれる前に失う、なんて悲劇に遭うよりずっといいはずです。
そのせいで二度と子供を持つことができない体になる、なんてことになりかねません。後宮でそうなってしまえば生き地獄も同然です。
「後宮で生き残るのは、賢い者だけよ」
嘲りの笑みを浮かべながら、妃たちは当然のように頷き合います。
その様子は、弱肉強食を生きる肉食獣のようで、美しくも恐ろしい。
明日のお茶会のメニューを決めているかのように軽やかな会話。人ひとりの人生を左右する話題だという自覚は微塵もないご様子。
「あの子には後ろ盾がないも同然だわ」
「実家の男爵家は何も言わないでしょうしね」
「当然よ」
彼女たちの声は甘く、柔らかく、しかしその中身は氷のように冷たい。
弱い者は踏まれ、声の小さい者は消されてしまう。いいえ、声そものは聞こえていないのでしょう。
それが当たり前で、誰も疑問に思わない世界。
私は静かに彼女たちを見つめました。
醜い顔。
美しいのに醜い。
それは私も同じ。
この輪から抜け出せない。
抜けることは許されない。
誰だって次の標的にはなりたくないもの。
この場所で生きるには、三つの教えがある。
見ざる、聞かざる、言わざる――。
それが守れてこそ、平穏に過ごせるというもの。
例外などない――そう思っていた。
まさか、その例外が存在しているだなんて……。
孤立無援の四面楚歌。
そうして後宮から追放された元妃、シャーロット様が、私たちを追いつめることになるなんて思いもしなかった。
法の下に、私たちを裁こうだなんて。
誰が想像できたというの。
勝利の美酒に酔いしれる妃たち。
その勝利の味が泥水に変わるのは早かった。


