追放された元妃は多くを望まない ~とある才女が残した最高の置き土産~

第二章 国王の来訪

 何故かグーシャ国王陛下が白の離宮を訪れた。
 夫が自分の妻のもとを訪れること自体は、何もおかしなことではない。
 普通の夫婦ならば、の話だけれど。
 ここは後宮。
 夫は国王、妻は妃なのだから。
 ごく一般の夫婦には存在しない後宮の()()()()がある。
 そのしきたりの一つが、陛下の御渡りについて。
 後宮入りした妃には、通常二週間は陛下の御渡りがない。
 それは夜だけでなく、昼も同じこと。
 これは妃が新しい環境に慣れるための配慮。
 ゆえに、陛下が自ら私のもとを訪れるなど、本来あり得ない。
 異例中の異例の出来事に、離宮の者たちが騒然となったのも無理はなかった。
「そなたが、シャーロット・カールストン侯爵令嬢か?」
「はい。お目にかかれて光栄ですわ、陛下」
 不機嫌さを隠しもしない。
 仮にも自分の妃に対する態度ではない。
 初対面だというのに。
 愛想をよくしろとは言わないけれど。
 ムスッとした顔のままなのは、どういうことなの。
 しきたり通りにしてほしい。
 そうじゃないと、またどこかの非常識な上級妃が乗り込んでくるでしょう。
 厄介なのよ、ほんとに。
 げんなりとしているのを悟られないように、表面上だけはにこやかに接する。
「昨日、ローズの茶会に参加しなかったようだな」
「はい」
「何故だ?」
 有無を言わせぬ雰囲気で尋ねてくる陛下に内心「面倒くさい男」と溜息をつきつつ、外面だけは穏やかに応じる。
「何故、と申されましても……。この白の離宮の主人に対して〝紅薔薇の髪飾り〟を身につけてくるようにとのお誘い。それを断るのは当然のことと判断いたしました。ローズ上級妃様は、後宮入りした翌日に先触れもなく来訪されまして、色々とご指南いただきましたわ。後宮の規律や、規則についてなど。ご存じありませんでしたので、大変勉強になりました」
 嘘は言っていない。
 彼女から後宮の規則について聞いたことは本当だ。ただし嫌み交じりで。
「ローズはそなたの参加を楽しみに待っていたのだ。……随分と気落ちしていたぞ」
 ()()ローズがそんな殊勝なわけないでしょう!――と叫びたいのをぐっとこらえる。
 そもそも参加を断ったからなんだと言うのだろう?
 強制参加はできないでしょうが!
 欠席したところで何一つ問題はないはず。
 あぁ、もしかして参加させたかったのに欠席したから?
 根に持っているとか?
 気に食わないから?
 だから陛下に告げ口?
「ローズが気落ちした」とか言われても「だから?」としか言いようがない。
 むしろこっちが文句を言いたいくらいだわ。
 私に対して嫌がらせのような形で招待しておきながら、何がそこまで気に入らないのかは知らない。
 けれど、彼女のご機嫌取りのために参加をする必要などない。
 そう判断して欠席をした。
 ただそれだけのこと。
「私もつい最近知ったのですが、かつて離宮は薔薇の名称で親しまれていらっしゃったとか。白薔薇と(うた)われた白の離宮の主人として、赤の離宮に紅薔薇の装飾を身につけるわけには参りませんわ。大変失礼にあたるのだと伺いました。それに、お茶会の参加者は必ず身につけるように、とのことでして。流石(さすが)に、そのまま参加するのはいかがなものかと判断いたしました。私はただ、ローズ様の教え通りに秩序を乱さないための行動に従ったにすぎません」
 畳みかけるように一気に言いきった。
 陛下に言葉を挟ませないために。
 白の離宮の主人として当然の行動を説明したにすぎないけれど、あのローズのことだから、自分に都合のいいことを陛下に吹き込んでいないとも言いきれなかった。
 これで言うべきことは、全て言った。
 後は、陛下がどう考えてどう受け止めるかだけ。
「考えすぎではないのか? ローズにそのような意図はない」
 ありまくりですが?
 悪質な対応をされてますが?
 陛下の目と耳は飾りですか?
 頬が引きつるのを自覚しつつ、なんとか笑みを保つ。
「ローズ上級妃様にそのようなお考えがなくとも、他の方々は違う場合もございます」
「む……それは、そうだが……」
(いさか)いの元になるのでしたら、参加を見送るのは当然でござましょう」
「うむ……」
 陛下はまだ納得しきれていないようだったが、とりあえず頷いておくことにしたらしい。
 やがて「そなたがそこまで言うのであれば仕方あるまい」とだけ告げ、陛下は帰っていった。
 本当に……何をしに来たのだろう。
 お茶会を欠席した腹いせか、それとも別の意図があるのかは分からない。
 けれど、どうやら私は後宮の妃たちから無視されているらしい。
 侍女長から教えてもらうまで全然気付かなかった。
 まぁ、気付けというほうが無茶というものだわ。
 後宮入りした新参者の妃に「理解しろ」「察しろ」というのも、ちょっとね。難しいのよ。
 だって、私は上級妃よ?
 離宮で暮らしているのよ?
 他の妃たちから「貴女、無視されていますよ。大丈夫ですか」と言われてもね。「だから何?」って感じだった。
 これは何も私が鈍いとかの話ではない。
 私だって中級妃、もしくは下級妃だったなら察した。
「あ、無視されている」と。
 中級妃や下級妃は、規模は違えど、ある意味で共同生活。
 だからこそ無視されたら「辛い」と感じてしまう……のかもしれない。
 でも、個別の宮殿持ちの妃は言われるまで気付かないと思う。
 他の妃と会う機会なんて殆どないんだもの。仕方がないわ。

 後宮入りして二週間。
 当たり前のようにグーシャ陛下が離宮を訪れた。
 …………沈黙がいたい。
 陛下はさっきから黙ったまま。
 寝室に入った後は、ワインを飲み続けている。
 寝酒は別に構わないのだけど、飲みすぎでは?
 そんなに飲みたのなら、寝室ではなく別の部屋で飲んでいればいいのに。
 陛下が起きているせいで、私は眠れないのよね。
 この人、本当に何をしに来たのかしら?
「陛下、私、先に休ませていただきます」
「え!?」
「おやすみなさいませ」
「ま、待て待て、シャーロット!」
 さっさと寝てしまおうとベッドに向かった私を、陛下が慌てて止めた。
「なんですか?」
 私は寝たいんです。
 いつもなら夢の中の時間なんですよ。
 やることやらないなら眠らせてください。
「いや……その……」
「……なにか?」
「あ……、そなたは、私に抱かれたくないのか?」
 アホなセリフを吐きやがった。
 こっちは眠たくて仕方がないというのに。
 うつらうつらしていたのに気付かなかったのか。
 眠気をこらえるために手をひねってまで耐えていたというのに。
 もう限界なのよ、私は。
 睡魔のせいで幻聴が聞こえたと思ったけれど、残念ながら現実らしい。
 本当に、何を言っているんだか。
 夜伽に来て酒だけ飲んでいる男の言うセリフではない。
 嫌々来てやったと言わんばかりの態度で、好き好んで来ているわけではないことをアピールされているのに。どうしろというのか。
 それとも、あれかしら?
 嫌な女を相手にしてる自分に酔っているの?
 それとも、そんな女にも(すが)られたいタイプ?
 ……めんどうな。
「特に抱かれたいとは思いません」
「!!」
 私の返答がショックだったのか、国王陛下は手に持っていたグラスを落とした。
「後宮の妃は皆、自分の寵愛(ちょうあい)を求める」といった前提で生きてきた人にとって、私の返答は理解の外なのだろう。けれど、私は、与えられた権利を主張しているだけの話。
 ここは、私の離宮であり、主人は私だ。
 ワインが絨毯に染みを作る。
 ……明日、掃除係の侍女たちが悲鳴を上げそうね。
「陛下と(ねや)を共にして懐妊などした日にはローズ上級妃が黙ってはいないでしょう。私もローズ上級妃の不興を買ってまで陛下の寵愛を欲しいとは思いません」
「……何を言っているのだ? ローズはそんな狭量な女ではない」
 はぁ!?
 アレはそういう女でしょうが!
「狭量な女ではない」って馬鹿なの!?
 ローズが心の広い女だとでも?
 どこを見て言っているのよ!
 寝言は寝てから言ってちょうだい!
 あぁ、駄目、駄目よ。平常心、平常心。
 陛下がおかしなことを言うから、つい、心の中で叫んでしまったわ。
「そうでしょうか。ローズ上級妃は()()()()()()()です。順序を間違えてはならぬ、と私に教えてくださったのはローズ上級妃ですよ?」
「……そうか」
 いまいち納得できないといった表情を浮かべていますが、事実なんだから仕方ないでしょう。
 前の時といい、今回といい。
 まぁ、ポッと出の妃よりも、長い付き合いで娘を産んでいるローズのほうに信頼を置いているのでしょうね。
 そんな陛下の気持ちが分からないでもないわ。
 私だって、「陛下とリコリス、どちらを信用しているか」と聞かれたら、迷いなく「リコリス」と答えるもの。
「陛下と家族、どちらを愛しているか」と聞かれても、寸分の迷いなく「家族」と答えているでしょうしね。
 でも、彼女は陛下が思っているような女性ではない。
 陛下は後宮の噂を知らないのかしら?
 国王陛下の子供を産むのはローズ上級妃のみ。
 ローズ上級妃以外の妃は何故か子をなさない。
 正確には、死産や流産が相次いでいる。
 運よく子供を産めたのは、ローズ上級妃だけ。
 全て偶然?
 そんなわけないでしょう。
 この国王陛下、仕事はできても後宮内の出来事にはノータッチなのかも。
 ローズの化けの皮が剥がれていないとか?
 あり得るわね。
 他はともかく、少なくとも国王陛下の前では化け猫の皮を(かぶ)り続けて、上手くいっているらしい。
 まったく。
 どれだけ分厚い皮を被っているのやら。
 きっと幾重にもなっているに違いないわ。
「それでは、おやすみなさいませ」
 これ以上の会話は不要だわ。
 私は呆気に取られている陛下を置いてきぼりにしてベッドに横たわった。
 その後、陛下は夜伽に訪れるものの、私に指一本触れることはなかった。

 ◆◇◆

 《ジャスパー・レイヴ視点(国王の側近)》

 このところ、陛下は、ぐっすりと眠れる日が続いている。
 即位されてからずっと働きづめで、休みらしい休日などないに等しかった。
「よかった」
「ああ、本当に……。一時はどうなることかと思ったが……」
「徹夜続きでは、体が持たない」
「倒れる前に睡眠の場所を確保できたのは僥倖だ」
「まったくだ」

 私の名前は、ジャスパー・レイヴ。
 国王陛下の侍従を務めている。
 侍従は、私を含めて四人しかいない。
 多忙を極める陛下の侍従には十人いても足りないくらいだ。
 そう思わせるほど、陛下の一日は息つく暇もないほど公務で埋め尽くされていたのだった。
 朝の政務報告、各省との折衝、来賓対応、書類の確認、夜になっても終わらない決裁の山。
 まぁ……それだけならなんとかなった、かもしれないが……。
「後宮への御渡りが……なぁ」
「ああ、アレさえなければな」
「だが、必要なことだ」
「分かってはいるんだが」
「お世継ぎには恵まれていない以上、仕方ないだろう」
「お二人の王女殿下。どちらかが王子だったらなぁ……」
「おい! 不敬だぞ!」
「分かっている。だが、ジャスパー。一度でも考えなかったか? もし、と」
「……」
 答えられなかった。
 それが答えだ。
 はぁ、愚痴っぽい話になってしまった。
 だが、侍従の間では共通認識とされている内容でもある以上は致し方ない。
 現在進行形で後宮に数多くいる妃との閨は、確実に陛下の睡眠を妨害していた。
 妃たちに娘を儲けさせるのも、陛下の仕事だ。
 もっとも、それが陛下や私たちの悩みの種になっていた。
 陛下の後宮ができて早数年。
 その間に無事に産まれたのは二人の王女だけ。
「世間では、後継ぎをつくるというプレッシャーは男性より女性のほうが(はる)かに強い、とは言われているが。ここでは逆だ」
「妃は多ければ多いほどプレッシャーは軽減されるらしいぞ」
「昼は公務、夜は妃たちのご機嫌窺い……か」
「今まで倒れなかったのは奇跡だな」
 陛下は何も仰らないが、恐らく、閨の時間を苦痛に感じているのだ。
 もしかすると無自覚なのかもしれないが。
 陛下の顔色が悪いのは、多忙な公務のせいだけではない。
 ローズ上級妃は、特に積極的だと聞くしな……。
 寝かせてもらえないという噂を聞いたこともある。
 どこまで本当なのかは分からないが……。
 ただ、赤の離宮に泊まった翌日の陛下は、疲れきったご様子だ。目の下のクマはくっきりと深くなっているし、肩がわずかに落ち、ゲッソリとしている。そのやつれ具合が何より雄弁に疲労を物語っていた。
「陛下はよく思われていないようだが、シャーロット上級妃が来てくださってよかったよ」
 仲間の言葉に皆が頷いた。
 眠るためとはいえ、白の離宮という避難場所ができたのは幸いだ。
 シャーロット上級妃は、おおらかな女性のようで、陛下の暴言も軽く受け流してくださっている。ありがたいことだ。
 休憩場所を得たことで、陛下の体調はみるみる改善した。

 ある日のこと――。
「陛下、いかがなされました」
「いや、最近体の調子がいいと思ってな。頭痛とあの妙な倦怠(けんたい)がなくなっているんだ」
「よいことです」
「ああ、肩こりも気付けば随分軽くなっている。不思議だ」
「……」
「何故だろうな?」
 陛下が不思議そうに首を(かし)げられる。
 その問いに、傍らに仕えている私たちはすぐには答えられなかった。
 理由は簡単だ。
 誰の目にも明らかなソレ。
 陛下だけがソレに気付かないでいるからだ。
 だが、ソレを指摘するわけにはいかない。今はまだ……。
「……このところ、陛下は、きちんと休みを取られるようになったからかと存じます」
「休み……か」
 陛下は腕を軽く回しながら、納得したような、まだ腑に落ちぬような表情をされる。
「以前は、夜半に何度もお目覚めでした。今は、朝までぐっすりとお休みになられております。食事にしてもそうです。今は三食、きちんと召し上がっておられます。以前のように、朝を抜かれることもございませんし、時間通りに食事をされていらっしゃいます」
 これは本当だ。
 睡眠を確保できたと同時に、規則正しい生活が約束されたようなものだった。
 白の離宮の雰囲気もいい。
 使用人達は基本、陛下にはノータッチだ。
 最低限のお世話しかしない。
 これだけ聞けば、国王陛下を放置していると非難される案件だろう。
 実際、放置に近い状態だった。
 普通なら、離宮の者達は処罰の対象になるのだが……。
「この部屋の静かな空間は気に入っている」
「はい」
「……」
「……」
「……シャーロットの……。彼女の助言は確かだった」
「はい」
「……仕事は分散できたのだな」
「……はい」
 陛下がボソリと呟かれた「仕事の分散」とは、シャーロット上級妃が言い出したこと。
 たまたま、陛下の仕事量を知ったシャーロット上級妃の何気ない一言がきっかけだった――。

『公務は仕方がないにしても、問題は書類仕事のほうよね。陛下ではなくても、できる者に振り分けるべきだわ』
『侍従の方々に振り分けてはいるようです』
『それ』
『はい?』
『それが問題だと言っているの』
『どういうことでしょう』
『陛下は、書類仕事を侍従の四人だけに振り分けているわ。つまり、膨大な書類をたった四人にしか与えていない、ということだわ』
『侍従の方々は皆様優秀ですので……』
 侍女長は、そこで言葉を切った。
 シャーロット上級妃が何を案じているのか、まるで見当が付かないらしい。
 むしろ、「優秀な者が四人もいれば十分ではありませんか」と言わんばかりだ。
 信頼してくれるのだろう。
 我々に任せていれば安心だと。
 現に、今までそれで上手く回っている。
 だからこれからも大丈夫――。
 侍女長が言葉を切らなければ、その〝当たり前〟を口にしていたはずだ。
 何も彼女だけではない。
 そういう考えを持つ者は多いのだ。
 もっとも、その考えこそが陛下を追い込んでいるのだが。
 はぁ~~……。
 東屋でする会話ではないだろうに。
 まぁ、ここは白の離宮。
 女主人であるシャーロット上級妃がどこで何をして何を話そうと自由だ。咎めることなど誰もできない。
 間が悪かったとしか言いようがない。
 偶然、聞こえてきた会話に陛下が足を止めて聞き入ってしまったのだから。
 べ、別に盗み聞きをするつもりはなかったんだ。
 本当に、偶然。
 陛下の散歩に付き合っていたら……あぁぁぁ~~……。
 シャーロット上級妃が東屋にいるのを見かけた時点で声をかけるべきだったのだ!
 挨拶をするべく、正面から登場するべきだったんだ!
「シャーロットには会いたくない」と仰る陛下の気持ちを最優先したばかりに!
生垣(いけがき)を通っていこう。そうすればシャーロットと顔を合わせずに済む」との陛下の言葉に賛同したがために!
 まるで、陛下がシャーロット上級妃を避けるための抜け道の様にある生垣。
 東屋のそばに背丈ほどもある生垣が悪い!
 なんだってそんな場所に植えてあるんだ!
 そのせいで立ち聞きするはめになってしまった!
 いや、すぐに立ち去ればよかったのだが。
 陛下が立ち尽くしてしまわれて……。
 結局、シャーロット上級妃と侍女長の会話を無断で聞く事態になった。
 一国の国王陛下とその側近が、だ。
 後悔してやまない。
 私が頭を抱えていることなど露知らず、シャーロット上級妃は、更なる爆弾発言を繰り広げた。
『少数精鋭にしても少なすぎるわ。これじゃあ、彼らのうち誰か一人でも欠けたら回らなくなってしまうわね』
 ドキリとした。
 その通りだったからだ。
『仕事量に対して、侍従の数が少なすぎるのよ。まぁ、それはいいとしても、やっぱり仕事を他者に振り分けるべきだわ。聞くところによると、陛下や侍従がする必要のないものまで含まれているようだし……』
 グッと唇を噛んだ。
 回ってくる仕事の中には、そういうのもある。
 シャーロット上級妃が仰るように「する必要がない仕事」とは思わない。あれだって大切な仕事の一つだ。ただ、優先順位が低いというだけで。
『あれじゃあ、人材は育たないでしょうね。陛下は部下の育成はどうでもいいと思っているのかしら? それとも忙しすぎてそこまで頭が回っていないのか。どちらにしても、今のうちに仕事内容を改善しなければお先真っ暗じゃない?』
 正論だ。
 ぐうの音も出ない正論だった。
『仕事を侍従以外にも振り分ければ、そこで陛下と他者との信頼関係も築けるだろうし、新たに仕事を貰った方もやる気が出るでしょう。相手のステップアップにもなるわ。やる気を出して勝手に成長していく人も出てくるでしょうね。そうなれば、陛下の視野も広がるでしょう。偏狭(へんきょう)も少しはマシになると思うわ』
 シャーロット上級妃としては、純粋な疑問からでた言葉だったのだろう。
 ただ、それを聞いていた陛下の目から光は消えていた。
 心なしか哀愁が漂っているように感じたのは気のせいではない。
 陛下ご自身もまた、シャーロット上級妃の言葉に思うところがあったのだろう。
 その日から陛下は仕事を我々以外にも振り分け始めた。
 ま、そうなれば当然、陛下や私達の仕事はグッと減る。
 休息時間ができた。
 休日がある。
 定時に帰宅できる。
 いいことずくめだった。
 元々仕事人間の陛下はその変化に当初はかなり困惑していた。
『この時間……私は一体何をすれば……』
 啞然とした表情で小さく呟かれていたのは記憶に新しい。
 思い返せば、陛下は王太子時代から多忙であった。
 幼い頃から学ばされた帝王学は分刻みのスケジュール。
 近隣諸国の言葉にしても五カ国はある。
 それらの言葉を全て身につけなければならない。
 加えて、身体も鍛えるべく訓練を余儀なくされていた。
 つまり、陛下は幼少期からずっと「自由時間」という概念がないまま成長されてきた。
 まあ、最近はようやく「自由時間」にも慣れてきたようだが。
「これはこれで悪くない」
 そう告げる陛下の表情は朗らかだった。

 人とは慣れる生き物だ。
 若ければ順応力も高い。
 白の離宮で、陛下は自由に過ごされた。
 余った時間に、私達とゲームをしたり、庭を散策したり、テラスで日向ぼっこをしたり。一日中何もせず、ダラダラと寝そべって過ごされる日もあった。
 他の妃達の館では絶対にできないだろう。
 そもそも、そんな姿をさらけ出すことすらしない。
 だからだろう。
 白の離宮で過ごす日が増えていく。
 そうなると当然、噂になる。
「シャーロット上級妃は陛下の寵愛を受けている」と――。
 実情を知らない者達からすると、陛下とシャーロット上級妃は仲睦まじく過ごしていると思われていたのだ。
 白の離宮に通い、何もないとは誰も考えない。
 迂闊(うかつ)だった。
 いや、女の嫉妬を甘く見ていたと言った方が正しいだろう。
 まさかそこまではしないだろう、と。
 格上の妃相手に、まさか――と。
 見通しの甘さを痛感する。
 後宮という場所は女の園だ。
 その中で行われる苛烈極まる攻防を私は目の当たりにした。

 ◆◇◆

 《スルード視点(白の離宮の衛兵)》

 俺の名前はスルード。
 白の離宮で護衛兵として働いている一人だ。
 貴族出身だからか、当たり前のように近衛騎士団に入団した。
 跡取りでない以上は、食い扶持(ぶち)を稼ぐ必要がある。
 頭の出来は他の兄弟に持っていかれたせいか、学業はパッとしなかった。代わりに武術はそこそこで、だから武官になったようなものだ。
 特技というわけではないが、俺は表情が分かりにくいようだ。
 兄弟からも「何を考えてるのかさっぱりだ」と言われるくらいだからな。
 それもあって後宮の、それも上級妃が住まう離宮の護衛を任されたんだろう。
 俺としては表の勤務のほうがよかった。
 後宮の内部を知らなかった時は浮かれてた。
「お綺麗な妃を観賞できて、可愛い侍女達と一緒に仕事ができるなんて天国だぜ!」と――。
 はは、笑っちまうよな。
 いや、確かに、お妃様は綺麗だ。侍女達だって美人揃い。
 ただなぁ。
 後宮のドロドロ具合が肌に合わないというか。女性不信になりそうだと感じている。
 離宮のお妃様はいい人なんだが……。
 あれはいつだったか。
 伯爵家出身の中級妃が後宮を去った。
 病にて療養が必要だということだったが、実際は違う。
 毒を飲まされたせいだ。
 正確には毒ではなかったらしいが、妊娠初期の相手には毒に等しい代物らしい。
 中級妃は無事だったが、お(なか)の赤ん坊は……。
 本人のたっての希望で後宮を去ることが許されたとはいえ、本当のところはローズ上級妃から逃げるためだろうな。
 赤の離宮で開催される茶会。
 強制参加を余儀なくされるのだ。誰が断れるものか。
 そうして出された茶や菓子の中に堕胎薬か、それに近いものが混入されていたんだろうな。気の毒に――。

『これで何度目だ?』
『さぁな。数えるのもバカバカしくなる』
『今回も泣き寝入りか』
『ああ』
 同僚の短い返事に、重い沈黙が落ちた。
『……誰も逆らえんからな』
 誰に、とは言わない。
 名前など出す必要がないからだ。
 後宮は実質、ローズ上級妃が支配しているも同然。
『陛下はまだ気付かれないのか』
『……』
 沈黙が答えだった。
『後宮での立場もそうだが、家格が上の相手じゃな』
『逆らえば家が潰れる……か』
『流石にそこまではいかないだろう。公爵家の台所事情は火の車らしいからな』
『え! そうなのか!?』
 初耳だ。
 天下のカペル公爵家だぞ?
 驚くなというほうが無理だ。
『一部では有名な話だ』
 同僚が小さい声でボソッと呟いた。
 心なしか、顔が俯き加減になっている。
 わずかな変化だ。だが、それだけで同僚の言葉がより真実味を帯びていた。
 そういえば、この同僚はいいところの出身だった、と思い出した。
 下の下である俺とは違って実家が太い。
 俺には想像できない情報を得ていてもなんらおかしくない。家によっては嫌でも教えられるところもあると聞くしな――と、一人納得した。
 とはいえ、ローズ上級妃は二人の王女を産んでいる。
 国王陛下の覚えもめでたい。
 家柄だけの問題じゃないことは確かだ。
 それもあってか、相手側が泣き寝入りするのは常だった。
 誰もローズ上級妃には逆らえない。
『……いつまで続くんだろうな、これ』
『さぁな。だが、どこかで歪みは出る。他の妃達も限界が来るだろうしな』
『限界、か』
『ああ。誰かが壊れるか、誰かが壊すか。どちらかだろうさ』
 同僚の言葉に、俺は反論しなかった。
 我慢の限界を超えて、ということはある。
 何より、ローズ上級妃は傲慢かつ冷酷だ。
 冷酷というよりも手段を選ばない、と言ったほうが正しい。
 あの妃は自分こそが王妃だと鼻にかけている。
 実際に、正妃然として行動していやがる。
 周囲もそれを止めないのだからな。輪をかけて調子に乗っているんだろう。
 後宮の妃はよく耐えているぜ。
 耐えているのは妃だけじゃないか。
 はぁ~~……。
 いつか誰かがブチ切れて刃傷沙汰になっても俺は驚かないぞ。
『陛下はともかく、これ以上は他の高位貴族が黙っていないだろう。先王陛下もきっと……。あの妃はやりすぎたんだ』
 その時は同僚の言葉の意味が分からなかった。
 ここは閉ざされた世界、後宮だ。
 外がどれだけ抗議しようとビクともしない。
 だから、まさか同僚の言葉通りになるとは想像もしなかった。
 ま、それだけローズ上級妃はヤバイと高位貴族が危機感を抱いた結果なんだろう。
 対抗策として、新しい上級妃を送り込んでくるとは……。
 いやまぁ、後宮という場所で取れる手段は少ない。ある意味で正しい。
 正しいんだが……。
『招待? 欠席でお願いね』
 妃の資質は、二の次にしたようだ。
 まさか、事実上の宣戦布告をローズ上級妃にするとは誰も予想しなかった。思い付きもしなかっただろう。ローズ上級妃とやり合うにしても最初は穏便に済ますと誰もが考えていたはずだ。
 妃同士の挨拶後とか。
 派閥を形成した後とかに。
 そういうのを一通りこなして、後宮内での立場を確保した後からバトルが始まるとばかり思っていた。
 初っ端から「ローズ上級妃に恥をかかせる作戦」に出るとは。
 新しい上級妃のシャーロット様は……ちょっとばかし……いや、かなり風変わりな方のようだ。
 名門カールストン侯爵家のご令嬢で、陛下とは八歳違いの年下の十八歳。
 身分、血筋、財力、どれをとってもローズ上級妃に対抗できる存在だった。
 周囲の思惑通り、陛下が白の離宮に通われてもなんのその。
 まったく頓着しなかった。
「ん~~~っ。今日のケーキは一段と美味(おい)しいわね」
 のんびりとテラスで三時のお茶を楽しむシャーロット上級妃。
 フォークの先で、ふわふわのスポンジをそっと押す。「見て、この弾力……」と誰に聞かせるでもなく感嘆し、「料理長の腕がどんどん上がっているわね」と褒めそやした。
 それはそうだろう。
 最初の頃にあれだけ貶していればな。
 シャーロット上級妃からすれば貶したつもりはなく、素朴な疑問だったんだろうが。
「実家のお茶請けよりグレードダウンするのね」とか。
「後宮の料理長だから期待していたのに」とか。
「美味しいけど……普通なのよね。見た目が」とか。
 その何気ない感想が料理長の職人魂に火をつけたのかは知らんが。
 とにかく、やる気に満ち溢れた料理長はひたすらシャーロット上級妃の口に合う料理を追求した。
 俺からすれば「やりすぎじゃね?」と思うくらいだ。
 料理長の料理は十分上手(うま)い。文句を言うのはシャーロット上級妃くらいだ。
 他の使用人たちは「そこまでしなくてもいいだろう」と料理長に言ったのだが、当の本人がやる気満々だった。
「シャーロット上級妃の舌は肥えている! 上級妃(グルメ)の舌が満足するものを作らなければ!」と言って聞かない。「腕が鳴るぜ!」と叫んでいた。
 まあ、そのせいなのか、料理長の腕は驚くほど上がった。
「うふふ」
 頬を染め、苺の艶を確かめるように角度を変えて眺めた後にパクリと口に入れたシャーロット上級妃は、随分と図太い神経の持ち主だ。
 彼女の近くを歩く国王陛下を一瞥もせず、ただ目の前のケーキに全神経を注いでいる。
 陛下の足音が白い石畳に響いた。
 俺たち護衛は反射的に背筋を伸ばした。空気が一段引き締まる。
 しかし、当の上級妃――。
「このクリーム、昨日より軽いわ。どうしてかしら」と、真剣な顔でクリームの層を観察している。
 陛下一行が現れた。
 俺たち護衛は、思わず息を止めた。空気が一瞬だけ固まる。
 だが肝心のシャーロット上級妃は気付かない。フォークを持った手を止めることすらしなかった。おいおい。
「ん……この苺、甘酸っぱくてケーキに合うのよね。前は小ぶりの苺で甘さがなかったわ。産地を変えたのかしら」
 暢気に苺の感想を言っている場合かよ!
 苺より国王だろ!
 陛下を見てくれ!
 頼む!
 俺の心の叫びも虚しく、陛下一行はシャーロット上級妃の椅子のすぐ横を通り過ぎた。
 シャーロット上級妃は、まるで風でも通り抜けただけのようにまったく頓着しなかった。
 コツコツコツと、陛下の足音が遠ざかっていく音が聞こえる。
 その背中は振り返らない。
 けれど、歩幅がわずかに乱れたのを俺たち護衛は見逃さなかった。
「……シャーロット上級妃様」
 後輩の若い護衛の一人が恐る恐る声をかける。
「なあに?」
 シャーロット上級妃は不思議そうに顔を上げる。
 何故呼ばれたのか分からない、といった顔だ。
「陛下が……お通りに」
「あら、そうだったの?」
 軽く言うその声には、気まずさも緊張も一切ない。
 ないどころか、陛下一行に気付いてすらいなかった。
 わざと無視したのではなく、本当に視界に入っていなかったようだ。
「よろしかったのですか」
「何が?」
「……」
 シャーロット上級妃の返答に言葉を失った後輩には同情しかない。
 この後輩は最近、護衛兵として働き始めた男だ。
 上級妃の言動に絶句しても仕方がない。
 他の護衛たちは揃って目を伏せていたしな。
 この方の護衛兵であり続けるには、ある意味で戦場より神経を使うに違いない。
 俺たちの心の叫びなど、シャーロット上級妃は露知らず、「次のケーキはどれにしようかしら」と、幸せそうに次に食べるケーキを物色していた。
 そんな上級妃に給仕する専属侍女と侍女長は流石と言うべきか。
 全然、動じていない。
 シャーロット上級妃とは違って陛下一行には当然気が付いている。
 にも拘らず、シャーロット上級妃の言動に合わせて行動した。
 つまり、陛下一行を〝いないもの〟として扱ったのである。……恐ろしい。そしてそんな恐ろしいものを間近で見ていなければならない俺たち護衛は不幸だ。
 これで陛下が「不敬だ」と言えば、どうなる?
 俺たち、シャーロット上級妃と一緒に首をはねられるんじゃ……。
 今のところは罰せられてはいないが、いつまでも続くとは思えない。
 明日、陛下の命令で俺たち護衛を含めた離宮の者たち全員の首が晒されていないとも限らないからな。不安は尽きない。

 俺は不安のあまり、白の離宮にある護衛隊の詰所に戻ると、アルノルト・エーベルハルト隊長に報告した。
「確かに、シャーロット上級妃殿下の言動は褒められたものではないが、すぐさま不敬罪と断じられることはない」
「本当ですか? 隊長」
「ああ。そもそも陛下はそんな非道な暴君ではないぞ」
「……陛下の人となりは知りませんので」
 シリル様の頃は、夜にしか来られなかったし、夜明け前にさっさと帰られていた。
 ごくにを共にすることはあったが。性格を推し量れるほど滞在していなかったのも事実。優秀な国王陛下だとしか知らないのだ。
「お優しい方なんだよ。分かりづらいかもしれんがな」
 苦笑する隊長は、その昔、陛下の指南役をしていたらしい。
 その縁で白の離宮の護衛隊長をしていると、語っていたが、隊長ほどの実力者なら近衛騎士団の幹部にだってなれただろうに。これも後宮の七不思議の一つだ。
 なんにせよ、隊長のお墨付きを貰ったのなら安全だ。
 ひとまず胸を撫で下ろした。油断はできないが。
 もっとも、そう思っていたのは俺だけじゃない。
 護衛兵が集う場所では常にシャーロット上級妃の話で持ちきりだ。
「……妃殿下の言動は毎回ハラハラします」
 後輩がぽつりと漏らす。
 心なしか目が虚ろだ。
「今日はケーキに夢中でしたけど、この前は読んでいる本に夢中で陛下の存在を認識していませんでした」
「そうだったな」
 今回が初めてでない。
 これまでも何度もそういうことが起こっている。
 だからこそ、我々が余計に気を張る羽目になっているわけだが。
「普通は、少しでも陛下と親密になろうとしますよね」
「他の妃なら、そうだろうさ」
 そう、普通なら、な。
 だが残念ながら俺たちの上級妃は違う。
 陛下の寵愛欲しさに媚びたりしない。
 しないどころか、完全に放置状態だ。
 後輩が頭を混乱させるのも理解できる。
 ほんと。うちの上級妃、何やってんの?って感じだ。
 いや、本当に。
 俺だって最初は驚いたし、自分の目を疑ったさ。
 配属されたばかりの新人に就かせる場所じゃないぜ、ここは。
「ずっと考えていたんですが」
「なんだ?」
「もしかして、シャーロット上級妃殿下は、陛下に興味がないのでは……と」
「あ~~」
 それを口にするか。
 口に出せるんだな。
 新人だからか?
 若さゆえの無謀さがそうさせるのか?
 俺は別の意味で頭を抱えた。
「……やっぱりそうなんですね?」
「……」
「先輩!」
「……」
 後輩よ、察してくれ。
 それを口に出すことは憚られるんだ。
 俺は仕方なく、目を伏せた。
 これで理解できたのか、後輩からは「あぁぁぁ……」と、腹の底から漏れたような呻き声が返ってきた。
 ようやく察したらしい。
 その声色には、未知の物体への戸惑いと困惑、そして微かな納得が入り混じっていた。
 白の離宮に仕えるなら誰もが一度は感じるだろうさ。
 だがな。心配するな、後輩。
 数週間もすれば慣れるぞ。
 これは俺も後から知ったことだが、シャーロット上級妃は、陛下どころか妃としての地位や立場にもまったく興味がない。
 後宮に入った理由が理由だしな。
 元々、妃になる予定すらなかった方だ。やる気がないのだろう。
 陛下に興味がないから、他の妃と争う必要性を感じない。
 後宮によくなる女同士の諍いも、足の引っ張り合いもしない。
 まあ、そもそも他の妃達にも興味がないからな。どうでもいいんだろうさ。
 だからな、後輩。
 ここでは女の醜い姿を見ないで済むんだ。
 女嫌いや女性不審にならずに済むぞ。
 そう告げると、後輩は「そういうことじゃないんですよ」と涙目で訴えてきた。
 俺に訴えられても困る。
「慣れてくれ」としか言えないんだ。

 白の離宮は、表面上は平穏な日々が続いていた。
 だが、それをよく思わない連中は多い。
 微妙な均衡を保っていた後宮。
 それが崩されたのは思っていたよりも早かった。

 ◆◇◆

 後宮に来てまだ数週間だけれど、平穏無事な日々、とは言いがたいわ。
 妃というのはよほど暇らしい。
 無視していたかと思えば、次は嫌がらせの品々が届くようになった。
 ある時は動物の死骸。
 侍女たちは悲鳴を上げていた。
 嫌がらせの定番中の定番だと、私はむしろ感心してしまった。
 ただ、侍女たちには少々刺激が強すぎたようで、その日は仕事にならない者が続出した。
 私は『庭に墓をつくってあげて」とだけ指示し、庭師に後を任せた。四季折々の花が咲き誇る庭なので、いい肥料になるはずだ。
 庭師は心得たとばかりに、死骸の入った箱を抱えていった。腐敗の進み具合を確認していたので、土壌改良にちょうど良いと考えたのかもしれない。
 庭園の景観を壊さないように、墓は花壇の陰に深く丁寧に埋められ、庭の一部と化している。
 ある時は腐った食べ物。
 箱を開けた瞬間、鼻をつく悪臭に侍女たちは一斉に後ずさった。
 原型をとどめないほど崩れた果物や、液状になりかけた肉片が交ざっている。
 私は鼻をつまみながら、『肥料にしておいて』とだけ命じた。
 どこからともなく現れた庭師は、私の命令を理解しているのか、『承知しました』と短く答え、慣れた手つきで箱を抱えて足早に去っていった。
 ある時は虫の死骸。
 箱を開けた瞬間、侍女の数名が腰を抜かしてへたり込んでしまった。真っ青な顔でガクガク震えている。
 箱の中には乾きかけた羽や、潰れて形を失った虫の残骸がぎっしり詰まっていた。標本にするには状態が悪く、これまた肥料にするしか再利用できない。
 私は溜息をつくと、既に近くに控えていた庭師に視線を向ける。
『これも、お願い』
 庭師は一瞥しただけで状況を完全に理解したらしく、『承知しました』と静かに頭を下げ、嬉々として庭へ運んでいった。
 その日、一部の使用人たちは食事が喉を通らなかったらしい。
 ある時は毒入りワイン。
 ここまでくると罠だと分かった。
 捨てるかどうか迷ったものの、瓶の口に鼻を近づけただけで、安物の毒草の匂いがした。
 質の悪い毒だが、どの系統かは確認しておきたい。
 私が瓶を傾け、光に透かして中身を観察していると、背後から控えめな咳払いが聞こえた。
 料理長だ。
 普段は厨房から出てこない彼が、珍しく自ら足を運んできたらしい。
『……もしよろしければ、その毒、私にお預けくださいませんか』
 料理長は長年後宮に仕えている。
 かつて毒が横行していた時代もあったらしく、彼はその名残をよく知っていた。
 それを告げられ、侍女たちは顔を青ざめたが、私は特に驚かなかった。後宮ではよくあることだと思ったからだ。
『後宮で使われる毒の傾向は、料理を預かる者として把握しておく必要がございます』
 淡々と語る料理長の口調には、昔はこれが日常だったのだと分かる重みがあった。
『ええ。分析をお願いするわ。成分が分かれば、次に同じものを使われても対処できるでしょう』
料理長は深く頭を下げ、まるで貴重な薬酒でも扱うように、毒入りワインを丁寧に受け取った。
 このような嫌がらせが、週に一度の頻度で届くので、離宮に勤める侍女たちは神経をすり減らしていた。
 それというのも、私が危機感を抱いて捨てるように命じた高級菓子を、下女たちが盗み食いをして生死の境をさまよったためだろう。
 ……まったく、だから「捨てろ」と命令したのに。
 その下女たちの数名は命を落とした。
 運よく一命を取り留めた者たちもまた、重い後遺症が残っている。
 両足が動かない者。
 話せなくなった者。
 耳が不自由になった者。
 贈られてきた菓子が原因なのは明らかだった。

「侍女長から聞きました。頻繁に嫌がらせを受けていらしたようですね」
「頻繁、というほど受けてはいないわ」
「……一週間に一度の頻度で危険物が贈られてくる状況下は、頻繁に嫌がらせを受けている範疇にあたります」
 肩をすくめる陛下の侍従。
 名前は、ジャスパー・レイヴ。
 彼は、今回の毒殺事件を深刻に受け止め、こうして事情聴取をしている。
 私だけでなく、関係者全員に。
 陛下の滞在日数が多い離宮内で起こった事件だからこそ真摯に対応しているんでしょうけど。
「陛下も、あのような愚か者が後宮にいたのは遺憾だと仰っています。シャーロット上級妃様、このようなことがあったら、我々にお知らせください。対処いたしますので」
 あらまあ、意外。
 守ってくれるつもりらしいわ。
 う~ん。侍従は真面目な顔でこちらを見ているわ。彼の様子からして本気で言ってるんでしょうね。
 でもね、それは難しいんじゃないかしら?
「場所が場所だけに、こういう嫌がらせをするのは当たり前だと思っていたけれど違うのかしら?」
「……まったくないとは……言いがたいのが現状です」
「ええ、後宮ですものね。今までも色々あったようですしね」
「シャーロット上級妃様、何が仰りたいのですか
「何も。ただ、悪意のある贈り物は日常的なものだとばかり思っていたものだから。毎日何かがあっても不思議ではない場所ですものね」
 私の言葉に引きつった顔をする侍従。
 おかしなことを言ったつもりはないのだけれど、もしかしたら嫌みに聞こえたのかもしれないわね。
 何しろ、私が後宮入りするまでに色々大変だったみたいだから。あぁ、でも……。
 彼は何も知らないのかもしれないわね。後宮の現実を――。
 表の政務が忙しすぎて後宮の内情に目を向ける暇がない、といったところね。
 大方、妃同士の争いが激化しただけ、とでも思っているのかもしれない。
 激化どころかドロドロのグチャグチャで収拾がつかない状態だというのに。暢気なものだわ。
 まぁ、侍従に後宮内での発言権なんて無いし、こういうことは後宮の管理者の仕事でしょうから、内情に詳しくなくても仕方がないのかも……。私だって一般的なことしか知らないもの。
 その後、毒入り菓子を贈ってきた妃は、処罰を受ける前に自害した。

 妃は下級妃の一人。
 連帯責任で、その妃の屋敷の女主である中級妃は三ヶ月の謹慎を言い渡された。監督不行き届きのため。
 なんとも甘い処罰だと笑ってしまう。
 本当に下級妃一人の罪だと?
 中級妃が知らなかったと?
 トカゲの尻尾切りをしたのは一体誰だったのか。
 陛下は知っているのだろうか。謹慎を命じた中級妃がローズの取り巻きだということを。
 王宮のパーティーに参加した時に見かけた中級妃は申し訳なさそうな表情で私を見ていた。
 ローズが特に気に入っている取り巻きは二人。中級妃と下級妃。いつもそばに置いているらしい。
 中級妃は、ギーゼン・アクソマ辺境伯令嬢。
 下級妃は、マージ・ダーマリン子爵令嬢。
 ローズの後ろで申し訳なさそうに困ったような顔をするギーゼン中級妃。更にその後ろでビクビクしているマージ下級妃。
 なんとも奇妙な関係だ。
 人のよさそうなギーゼン中級妃は、何かとローズを諭している場面を見たことがある。
 あのローズ相手に大したものだと思う。ローズは基本、人の話を聞かない。聞いていても理解していない。理解する気がないというか、勝手に独自解釈をするというべきか。
 それでもギーゼン中級妃はローズ上級妃にも意見ができる数少ない人だ。
 ただし、それが実を結んでいるかと聞かれれば疑問が残る。
 優しく注意するだけでは意味がない。もっと強く言えばいいのに、と思わなくもなかった。まぁ、無理だろうけど。ギーゼン中級妃はローズに嫌われたくないのだろう。敵に回したくない。敵対したくない。そんなところが透けて見える。
 だから本格的な行動は起こさない。
 毒入り菓子の件もそう。
 粛々と謹慎処分を受け、一見割を食っているように見える。ただし、そう見えているだけ。謹慎処分を終えた後は今まで通り。
 毒入り菓子を贈っていた下級妃は死に、その一族は爵位と財産を没収された。なのに、ギーゼン中級妃は変わらずローズ上級妃のそばにいる。
 自分への被害は最小限に留めている。
 保身と打算。
 実に貴族らしい振る舞いだ。
 ギーゼン中級妃はローズを止めない。止めるつもりはないようだし……まぁ、それが一番賢い対応なのかもしれない。
 それは、マージ下級妃にもいえること。
 彼女はギーゼン中級妃のそばにいることで彼女の庇護下にいるようなもの。本当に庇護しているかどうかは不明だけれど、それによって(いじ)めのターゲットにならずに済んでいるようだし。見た目と違って計算高いのかもしれないわね。
「どうしたものかしら……」
 そう呟いても返事はない。私の周りには誰もいないのだから当たり前だけど。
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