追放された侯爵令嬢の幸せと、彼女を捨てた者たちの末路
第50話 未来の王妃なのに【愛人視点】
うるさい。
本当に、耳の奥が突き刺さるみたいにうるさい。
さっきから王城の廊下をバタバタと走り回る、あの無神経な足音。
まるで何かに怯えたような下卑た怒鳴り声。ガチャガチャと鳴り響く安っぽい甲冑の擦れる音。
侍女たちは真っ青な顔をして、まるでもうすぐ城が落ちるとでも言いたげな慌てよう。
――たかが、あの女が一人いなくなっただけで。
私は鏡の前で、自分の完璧な銀髪を櫛で梳きながら、鼻で笑ってやった。
鏡の中の私は、今日も誰よりも可愛くて、高貴で――レオンハルト様にふさわしい。
それなのに、外の喧騒が私の優雅な時間を汚していく。
「ねえ、いつまで騒いでいるの? 下品だわ。何があったのか説明しなさい」
苛立ちを隠さずに問いかけると、後ろで控えていた侍女が生まれたての小鹿みたいに膝をガクガクと震わせて口を開いた。
「せ、セレスティア様が……北の、あの辺境の……将軍により、連れ去られたと……報告が……」
……は?
指先から力が抜けて、愛用の銀細工の櫛が床に落ちた。
高い音を立てて転がるそれを見つめながら、私の頭の中は真っ白な霧に包まれる。
連れ去られた? あの、地味で可愛げのない女が?
よりにもよって、あんな野蛮な、血の臭いがする辺境の男に?
そもそもあの女、いつの間に帰っていたのよ。
「……あは」
変な笑いが出た。
怒り? 違う、これはもっとドロドロした、胃の底からせり上がってくるような不快感。
「またなの? またあの女、私の邪魔をするの!?」
気づけば叫んでいた。喉が焼けるような感覚。
何度目? ねぇ、何度目よ!
私の人生からあいつの影が消えた事なんて、一秒だってないじゃない!
やっと、やっと婚約破棄させて、私がレオンハルト様の隣に座った。
私が選ばれたの、私が勝ったの!
なのに、どうしてみんな、あいつの話ばかりするの?
パンの値段が上がっただの、書類の山が片付かないだの、地方の泥臭い貴族が文句を言っているだの、そんなの、私に関係ないじゃない。
それなのに、誰も彼もが呪文みたいに繰り返す。
『セレスティア様がいれば』
『あの方なら、こんなことには……』
うるさいうるさいうるさい!!
私はニコニコ笑って、殿下の腕に抱きついて、可愛くおねだりしてあげているのに!
それが王妃の仕事でしょう?
難しい事は男の人にやらせておけばいいのよ。私は未来の王妃なのだから!
「王太子殿下は、その……あまりの事態に、ひどくお乱れで……」
「乱れたいのはこっちよ! 私を放っておいて、何よ、あんな女!」
視界に入った大振りの花瓶を、裏拳で叩き落とした。ガシャン、と派手な音がして高価な陶器が木っ端微塵に砕ける。中の水が私の靴を汚したけれど、そんなのどうでもいい。
花が、無様に床に散らばっている。
まるで、引きずり下ろされたあいつみたい。
「未来の王妃に恥をかかせるなんて! 万死に値するわ! そうでしょう!?」
私は狂ったように笑いながら、王妃の私室へと走った。
廊下を行き交う連中は、私を見ても道も譲らない。まるで見えない幽霊でも見るような目で私を避ける。
いいわ、後で全員処刑してやるから。
そのまま王妃の部屋に入ると、部屋は冬の墓場みたいに冷え切っていた。
あの鉄の女が、報告書を握りつぶして立っていた。
指先が白くなるほどの力で。
「……愚か者どもが」
地を這うような低い声――私はその背中に向かって、自分の中に溜まった毒を吐き出した。
「王妃様! 聞きましたわ! あの女、卑怯にも逃げ出したんですってね! 辺境の男と通じていたなんてやっぱり淫乱な女だったのよ!」
私の声に反応したのか王妃様がゆっくりと振り向く。
その瞳は、既に私を人間としてすら見ていない――ただの動く【肉塊】を見るような冷徹な色。
「逃げたのではなく、奪われたのです。我が国の【盾】も【知恵】も全てセレスティアと共に失われた」
「どちらでも同じよ! なぜ、あんな女ばかりが特別扱いされるの!? 私はここにいるわ! 未来の王妃は、私なのよ!」
足を踏み鳴らし、地団駄を踏む。
ドレスの裾が乱れるのも構わない。
でも、王妃の次の言葉で私の心臓は凍りついた。
「……静かになさい、エリス。王家の【安定】を考えれば、打つ手は一つ」
「あんてい……?」
嫌な予感が、肌を這う。
安定。それは、何?
セレスティアが戻ってくれば、この騒ぎは収まる。
セレスティアが戻ってくれば、パンの値段も下がる。
セレスティアが戻ってくれば……私は、いらなくなる?
「まさか……連れ戻すつもりじゃないでしょうね? 嫌よ、絶対に嫌! あの女、死ねばいいのよ! どこかで野垂れ死ねばいいの!」
私の叫びを、王妃は沈黙で塗りつぶした。
その無言が、何よりも残酷な真実を告げていた。
「私は……? 私は、殿下の愛する婚約者なのよ?そうですよね王妃様……」
唇がガタガタと震える。
私は悪くない。私は、ただ欲しかっただけ。キラキラした宝石も、高い地位も、みんなに跪かれる快感も。それを手に入れて何が悪いの?
政務が滞ったのはあいつが教えなかったからで、物価が上がったのは商人が悪いからで、私が、私が、私が悪いわけじゃない!!
「……エリス。感情で動く女はこの城には不要です……あなたは既に、私にとって【害】でしかありませんから」
突然、突き放すような一言。
その時、初めて気づいた。
レオンハルト様はあいつを追いかけて、たぶん私のことなんて忘れてる。
王妃は国のために、私をゴミみたいに捨てる準備をしてる。
誰も、誰も私を見ていない。
(奪われる……?)
違う。私が奪ったはずなのに。
あいつから全部、全部むしり取って、王妃様と共に追い出したはずなのに。
どうして、私の手の中には、何も残っていないの?
「……あの女さえ。あの女さえ、最初からいなければ」
鏡を見なくてもわかる。今の私の顔は、きっと化け物みたいに歪んでいる。
でも、止まらない。
あいつが戻ってきたら、私は【偽物】になる。
あいつが笑ったら、私は「いなかったこと」にされる。
嫌。嫌よ。
私は、未来の、王妃……。
壊れた蓄音機みたいに、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
足元の割れた花瓶の破片が、私の心を切り刻んでいることにも気づかないまま。
本当に、耳の奥が突き刺さるみたいにうるさい。
さっきから王城の廊下をバタバタと走り回る、あの無神経な足音。
まるで何かに怯えたような下卑た怒鳴り声。ガチャガチャと鳴り響く安っぽい甲冑の擦れる音。
侍女たちは真っ青な顔をして、まるでもうすぐ城が落ちるとでも言いたげな慌てよう。
――たかが、あの女が一人いなくなっただけで。
私は鏡の前で、自分の完璧な銀髪を櫛で梳きながら、鼻で笑ってやった。
鏡の中の私は、今日も誰よりも可愛くて、高貴で――レオンハルト様にふさわしい。
それなのに、外の喧騒が私の優雅な時間を汚していく。
「ねえ、いつまで騒いでいるの? 下品だわ。何があったのか説明しなさい」
苛立ちを隠さずに問いかけると、後ろで控えていた侍女が生まれたての小鹿みたいに膝をガクガクと震わせて口を開いた。
「せ、セレスティア様が……北の、あの辺境の……将軍により、連れ去られたと……報告が……」
……は?
指先から力が抜けて、愛用の銀細工の櫛が床に落ちた。
高い音を立てて転がるそれを見つめながら、私の頭の中は真っ白な霧に包まれる。
連れ去られた? あの、地味で可愛げのない女が?
よりにもよって、あんな野蛮な、血の臭いがする辺境の男に?
そもそもあの女、いつの間に帰っていたのよ。
「……あは」
変な笑いが出た。
怒り? 違う、これはもっとドロドロした、胃の底からせり上がってくるような不快感。
「またなの? またあの女、私の邪魔をするの!?」
気づけば叫んでいた。喉が焼けるような感覚。
何度目? ねぇ、何度目よ!
私の人生からあいつの影が消えた事なんて、一秒だってないじゃない!
やっと、やっと婚約破棄させて、私がレオンハルト様の隣に座った。
私が選ばれたの、私が勝ったの!
なのに、どうしてみんな、あいつの話ばかりするの?
パンの値段が上がっただの、書類の山が片付かないだの、地方の泥臭い貴族が文句を言っているだの、そんなの、私に関係ないじゃない。
それなのに、誰も彼もが呪文みたいに繰り返す。
『セレスティア様がいれば』
『あの方なら、こんなことには……』
うるさいうるさいうるさい!!
私はニコニコ笑って、殿下の腕に抱きついて、可愛くおねだりしてあげているのに!
それが王妃の仕事でしょう?
難しい事は男の人にやらせておけばいいのよ。私は未来の王妃なのだから!
「王太子殿下は、その……あまりの事態に、ひどくお乱れで……」
「乱れたいのはこっちよ! 私を放っておいて、何よ、あんな女!」
視界に入った大振りの花瓶を、裏拳で叩き落とした。ガシャン、と派手な音がして高価な陶器が木っ端微塵に砕ける。中の水が私の靴を汚したけれど、そんなのどうでもいい。
花が、無様に床に散らばっている。
まるで、引きずり下ろされたあいつみたい。
「未来の王妃に恥をかかせるなんて! 万死に値するわ! そうでしょう!?」
私は狂ったように笑いながら、王妃の私室へと走った。
廊下を行き交う連中は、私を見ても道も譲らない。まるで見えない幽霊でも見るような目で私を避ける。
いいわ、後で全員処刑してやるから。
そのまま王妃の部屋に入ると、部屋は冬の墓場みたいに冷え切っていた。
あの鉄の女が、報告書を握りつぶして立っていた。
指先が白くなるほどの力で。
「……愚か者どもが」
地を這うような低い声――私はその背中に向かって、自分の中に溜まった毒を吐き出した。
「王妃様! 聞きましたわ! あの女、卑怯にも逃げ出したんですってね! 辺境の男と通じていたなんてやっぱり淫乱な女だったのよ!」
私の声に反応したのか王妃様がゆっくりと振り向く。
その瞳は、既に私を人間としてすら見ていない――ただの動く【肉塊】を見るような冷徹な色。
「逃げたのではなく、奪われたのです。我が国の【盾】も【知恵】も全てセレスティアと共に失われた」
「どちらでも同じよ! なぜ、あんな女ばかりが特別扱いされるの!? 私はここにいるわ! 未来の王妃は、私なのよ!」
足を踏み鳴らし、地団駄を踏む。
ドレスの裾が乱れるのも構わない。
でも、王妃の次の言葉で私の心臓は凍りついた。
「……静かになさい、エリス。王家の【安定】を考えれば、打つ手は一つ」
「あんてい……?」
嫌な予感が、肌を這う。
安定。それは、何?
セレスティアが戻ってくれば、この騒ぎは収まる。
セレスティアが戻ってくれば、パンの値段も下がる。
セレスティアが戻ってくれば……私は、いらなくなる?
「まさか……連れ戻すつもりじゃないでしょうね? 嫌よ、絶対に嫌! あの女、死ねばいいのよ! どこかで野垂れ死ねばいいの!」
私の叫びを、王妃は沈黙で塗りつぶした。
その無言が、何よりも残酷な真実を告げていた。
「私は……? 私は、殿下の愛する婚約者なのよ?そうですよね王妃様……」
唇がガタガタと震える。
私は悪くない。私は、ただ欲しかっただけ。キラキラした宝石も、高い地位も、みんなに跪かれる快感も。それを手に入れて何が悪いの?
政務が滞ったのはあいつが教えなかったからで、物価が上がったのは商人が悪いからで、私が、私が、私が悪いわけじゃない!!
「……エリス。感情で動く女はこの城には不要です……あなたは既に、私にとって【害】でしかありませんから」
突然、突き放すような一言。
その時、初めて気づいた。
レオンハルト様はあいつを追いかけて、たぶん私のことなんて忘れてる。
王妃は国のために、私をゴミみたいに捨てる準備をしてる。
誰も、誰も私を見ていない。
(奪われる……?)
違う。私が奪ったはずなのに。
あいつから全部、全部むしり取って、王妃様と共に追い出したはずなのに。
どうして、私の手の中には、何も残っていないの?
「……あの女さえ。あの女さえ、最初からいなければ」
鏡を見なくてもわかる。今の私の顔は、きっと化け物みたいに歪んでいる。
でも、止まらない。
あいつが戻ってきたら、私は【偽物】になる。
あいつが笑ったら、私は「いなかったこと」にされる。
嫌。嫌よ。
私は、未来の、王妃……。
壊れた蓄音機みたいに、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
足元の割れた花瓶の破片が、私の心を切り刻んでいることにも気づかないまま。