不吉を呼ぶ姫は愛されないはずだった

第3章 不吉を呼ぶ姫


窓を開けると、林の匂いが流れ込んでくる。

この場所に来て、二週間ほどが過ぎていた。

鏡台の前に座り、鏡の中の自分を見る。

黒髪に、黒い瞳。

この世界では、黒い瞳の人間は生まれない。

黒髪も珍しいが、それだけならまだいる。

けれど、黒髪と黒い瞳、その両方を持つ人間は存在しないとされている。

だから私は、昔から不吉を呼ぶ姫と呼ばれてきた。

――理由は、いくつかある。

私を生むと同時に母は亡くなり、その年、父も流行り病で床に臥せった。

その出来事が、人々の噂をさらに強めた。

生まれたばかりの王女が、不吉を呼んだのだと。

成長するにつれて、もう一つ理由が増えた。

私は家族の誰にも似ていなかった。

父も兄も姉も、皆彫りの深い整った顔立ちをしている。

王族らしい華やかな容姿だ。

それに比べて私は、黒髪と黒い瞳に彫りの浅い地味な顔。

それが、周りには余計異様に見えたのだと思う。

――だから私は、六歳の頃からミルバーグ城の塔で育った。

二十七歳になった今も、暮らしは何も変わらない。

気づけば、塔の外で過ごした時間の方がずっと少ない。

ただ、完全な幽閉というわけではない。

塔の中では自由で、物心がつくまでは自分の立場もよく分かっていなかった。

けれど、自分の置かれている状況を理解したときは、さすがに衝撃だった。

初めて公の場に出た夜、本気で消えてしまいたいと思ったこともある。

奇異、畏怖、嫌悪の視線を、まともに見返すこともできなかった。

中には、黒い瞳を恐れるように目を合わせようとしない人もいた。

それでも、私は生きている。

お父様の言葉があったからだ。

――お前の母は命を引き換えにお前を生んだ。

――だから、お前は生きなければならない。

そして父は最後に、「すまない」と言った。

国民が王族に不安を抱けば、国が不安定になる。

だからこんな措置しか取れなかった、と。

その言葉を、今でも覚えている。

そんな私が、今こうしてトルシアにいる理由はひとつだ。

ふと、レオンハルト兄様との会話を思い出す。

―――――――――――

「トルシア国王の弟であるウィル・トルシア殿との婚約が決まった」

塔を訪ねてきた兄は、そう告げた。

「えっと、あの、お兄様。それは、どういう……」

一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

そもそも、誰かと結婚するなどあり得ない立場だったから。

「今から話す」

落ち着いた声で、兄は語りかける。

「ゼリアがミルバーグへ侵略行為を繰り返しているのは知っているな」

淡々とした口調のまま、言葉が続く。

「ただ、どれも途中で崩れている」

「軍の問題だったり、流行り病だったり……理由は様々だが」

そこまで聞いて、自然とあの噂が頭に浮かんだ。

――不吉を呼ぶ姫がいる国を攻めると、不幸が起きる。

兄も同じことを考えているのだろう。

「……馬鹿げた噂だが、確実に広がっている」

兄は息をついた。

「そのせいか、最近はミルバーグよりトルシアへ矛先が向いている」

「トルシア国王から打診があったんだ。アリスをウィル殿の婚約者として迎え入れたいと」

「心配しなくていい、仮の婚約だ」

仮という言葉に、胸をなで下ろす。

「馬鹿げた噂だが、ゼリアへの抑止力になればと」

そこで、ようやく状況が見えてきた気がした。

「つまり、私の縁をトルシア国へと広げるために……。効果はあるんでしょうか」

思わず口にすると、兄はわずかに視線を落とす。

「……分からない」

はっきりとした否定でも肯定でもない。

「だが、トルシアは同盟国だ。もし、あちらに何かあれば、いずれまた我が国に矛先は向くだろう」

そして、私を申し訳なさそうに見て続ける。

「これは国としての決定事項だ。アリス」

「わかりました」

そう答えて、静かに頷いた。

兄はその様子を見て言葉を足す。

「それに、ウィル殿は何度か会っているが、誠実で実直な男だと感じた」

「その上、騎士団長としての才もある。ウィル殿が騎士団を率いるようになってから、トルシア軍の練度は目に見えて上がった。指揮官としても優秀で、剣の腕も国随一だ」

「……私も父上も、お前を任せられると判断した」

少しだけ言い方が柔らぐ。

私のことを思っていることだけは伝わった。

それから、兄がふと思い出したように続ける。

「それに、ウィル殿は驚くほど容姿端麗だ。お前も会えば驚くと思う」

アリスは思わず目を瞬いた。

「お兄様……」

「事実だよ」

兄が笑った。

仮とはいえ、そんなすごい方の婚約者として私が呼ばれるなんて。

正直、少し不思議な気持ちがした。

彼に不吉を呼ぶなどとは、考えなかったのだろうか。

―――――――――――

ふっと息を吐いて、意識を現実へ戻す。

ミルバーグにいた頃と、あまり変わらない生活だ。

塔に住み、朝昼はリリスと共に食事を作り、手が空くと手芸をする。

違うのは、家族がいないことくらいだ。

少しだけ心細い。

でも、リリスがいるから寂しくはない。

塔のそばには用意された小さな畑もあり、野菜の種はすでに蒔かれていた。

トルシアの人たちが、私が来る前に準備してくれていたらしい。

芽はもう出ていて、少しずつ育っている。

花壇には色とりどりの花が植えられていた。

こちらはすでに咲き始めていて、塔のまわりを明るくしている。

水をやったり、土を触ったりする時間も好きだった。

そして、林での散歩。

林の奥には、あのベンチがある。

ミルバーグにはない場所だ。

いつの間にか、私のお気に入りになっていた。

なぜかは分からないけれど、あそこに座っていると少しだけ気持ちが落ち着く。

つい足が向いてしまう。
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