終電を逃した夜、鑑賞用の王子様は婚約者にした私を離さない
見たことないスーツ姿の男性に声をかけられた。

「恐れ入りますが、藤原志穂さまでいらっしゃいますか?」
「はい、藤原は私ですが」
「申し遅れました。私は九条グループ秘書室の芝田(しばた)と申します」

その名前に体がぴくっと反応してしまう。
芝田と名乗った男性は、一度、頭を下げる。
ただその表情からは、事務的な温度しか読み取れない。

「九条が藤原さまと、ビジネスのお話がしたいと申しております。少しだけご足労いただけますか」
「九条さんが……?」

空気に耐えかねた後輩が、小さくあたしにささやく。
「……先輩、怪しくないですか?ほんとに九条グループでしょうか」

たしかに。
普通の企業勤めだと、なかなか接点がない一流企業だ。

「大丈夫よ。九条さんとは……ちょっとした繋がりで知り合いだから」  

疑心暗鬼な後輩を、余裕ある声で笑ってみせる。 

(うそ……知り合いとかとんでもないっ……できたら関わり合いたくない……)

緊張で喉も体も強張る。
なぜだか、今、無性に綾人の淹れたミルクティーが飲みたくなった。
思ってても言えない言葉を飲み込んで、後輩に後を託した。

芝田さんに連れられてやってきたのは、先ほどあたしたちが新規開拓で挨拶したブース。
担当者と談笑している女性は——九条さんだ。

「なるほど、それは面白いですね」
「ブランディングにもよりますが、少なく見積もっても、客数は前年比12%増になります」
「いやぁ、さすがですね。是非一度検討してみます」

(あたしの時とは、内容もスピード感も……なにより見ている先が全然違う……)
  
担当者と握手をしたあと、呆然と見ているあたしに気付いた。     

「芝田さん、A社との面談時間を15分前倒しで」 
「かしこまりました」
「あと、商談化率は想定より低いので導線をプランBに変更しましょう」

芝田さんは指示を受けた後、一礼してこの場を去って行った。
九条さんはあたしに向き直り、名刺を差し出す。  
  
「御社営業部の藤原さまとして、お話がしたいです」
「はっ・・・・・・はい」             
「こちらのスペースに移動しましょう」
       
< 42 / 121 >

この作品をシェア

pagetop