『神の手を持つ社長は、隠れ限界オタクを鍵盤の上で転がす』
第四章:神の手の上で転がされて
社長室での甘く強引な「お仕置き」から数時間が経ち、オフィスの窓の外はすっかり帳が下りていた。
昼間の洗練された社長から、夜の顔へと戻る時間だ。
「お待たせ、結衣。行こうか」
仕事を終えた蓮さんは、上着をスマートに羽織りながら私に微笑みかける。その何気ないジャケットを整える指先の動きさえ、今の私にとっては極上の劇薬だった。
連れられてやってきたのは、私のすべての理性を狂わせた、あの路地裏の隠れ家バー。
スモーキーな琥珀色の照明、静かに流れる大人の空気。一か月前と何も変わらないはずの空間なのに、隣にいる彼の正体を知ってしまった今、私の心臓は入店した瞬間からうるさいほどの音を立てていた。
「いらっしゃい」
店のマスターが、私たちを見て意味深に微笑む。どうやら、蓮さんが私をここに連れてくることを最初から知っていたらしい。
「少し、席を外すね」
蓮さんはそう言うと、私の髪をあの「神の手」で愛おしそうにひと撫でしてから、店の奥にあるアンティーク調のアップライトピアノへと歩いていった。
す、と鍵盤に置かれる、長くしなやかな十本の指。
彼が最初の音を紡いだ瞬間、店内の空気が一変した。
流れ出したのは、あの夜と同じ、どこか気だるく、けれど狂おしいほどにエモーショナルなJAZZの旋律。
(ああ……やっぱり、世界で一番好きな手だ……)
カウンターの端でグラスを握りしめながら、私はうっとりとその指の動きに視線を固定する。
鍵盤の上をめまぐるしく躍動する指先。強く叩きつけられる瞬間に浮き出る男らしい筋。そして、さっき私の肌を優しくなぞったときと同じ、滑らかなフェザータッチ。
音色と視覚が合わさって、私の脳内は一瞬で熱を帯びていく。
けれど、あの夜と決定的に違うことが一つだけあった。
蓮さんは演奏しながら、まっすぐに私を見つめていたのだ。
その綺麗な瞳に宿る熱い光は、まるで「この演奏は、君のためだけのものだ」と雄弁に物語っているようだった。私の熱い視線に呼応するように、JAZZの旋律はさらに情熱的に、甘くスウィングしていく。
最後のワンフレーズが、切なく、余韻を残すように響き渡り、演奏が終わった。
パチパチと小さな拍手を送る私のもとへ、蓮さんがゆっくりと歩み寄ってくる。
カウンター越しではなく、私の隣の席に腰掛けた蓮さんは、すっと右手を伸ばして私の手を包み込んだ。
「どうだった? 今夜の俺のアドリブは」
「すごく……胸が苦しくなるくらい、素敵でした。私の視線に合わせて、少し意地悪にテンポを変えましたよね?」
私が少し照れながら答えると、蓮さんは目を見張った後、嬉しそうに、けれど酷く独占欲の滲む笑みを浮かべた。
「正解。よく分かったね。……ねえ、結衣。俺の手のどこが、そんなに好きなの?」
至近距離で、あの「神の手」が私の手の甲を親指で優しくなぞる。
心臓が跳ね上がる。完璧を装う余裕なんて、もう一欠片も残っていない。
「全部、です……。細くて長い指も、爪の形も、演奏するときに浮き出る筋も……。現実には存在しないと思ってた、私の理想そのものの手なんです。だから……もう、トドメを刺されちゃって、他の誰の手も見られないくらい、あなたに溺れてるんです……っ」
恋愛経験ゼロの私が、生まれて初めて口にした、形振り構わない告白。
言い終えて真っ赤になり、俯こうとした私の顎を、蓮さんの指先がすっと持ち上げた。第二章の社長室と同じ、けれど、今度は驚くほど優しく、体温が溶け出すような質感で。
「合格。……最高の告白だね」
蓮さんの顔が、遮るもののない距離まで近づいてくる。
「最初から、君を俺の鍵盤の上で転がして、啼かせてあげるつもりだったのに。……気づけば、俺のほうが君のその熱い視線に、完全に狂わされていたみたいだ」
囁かれた言葉の意味を理解する前に、唇に、温かくて柔らかいものが触れた。
バーの照明に照らされた、世界で一番美しい指先が、私の頬をそっと支えている。
その手のひらから伝わる圧倒的な愛情と熱に、私はただ、目を閉じて身を委ねることしかできなかった。
完璧を装っていた隠れオタクの私の日常は、この最高にハイスペックな「神の手」を持つ社長によって、跡形もなく塗り替えられてしまったけれど。
「愛してるよ、結衣。一生、俺の特等席で、俺の手だけを見ていて」
そう囁きながら、私の指にぴったりと自分の指を絡めてくる彼の手を見つめながら、私は心の中で、最高に幸せな完全降伏の宣言をするのだった。
――ええ、喜んで。
私の理性を狂わせた、その美しすぎる神の手の上で、私は一生、あなたに甘く転がされてあげます。
(ハッピーエンド・完結)
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昼間の洗練された社長から、夜の顔へと戻る時間だ。
「お待たせ、結衣。行こうか」
仕事を終えた蓮さんは、上着をスマートに羽織りながら私に微笑みかける。その何気ないジャケットを整える指先の動きさえ、今の私にとっては極上の劇薬だった。
連れられてやってきたのは、私のすべての理性を狂わせた、あの路地裏の隠れ家バー。
スモーキーな琥珀色の照明、静かに流れる大人の空気。一か月前と何も変わらないはずの空間なのに、隣にいる彼の正体を知ってしまった今、私の心臓は入店した瞬間からうるさいほどの音を立てていた。
「いらっしゃい」
店のマスターが、私たちを見て意味深に微笑む。どうやら、蓮さんが私をここに連れてくることを最初から知っていたらしい。
「少し、席を外すね」
蓮さんはそう言うと、私の髪をあの「神の手」で愛おしそうにひと撫でしてから、店の奥にあるアンティーク調のアップライトピアノへと歩いていった。
す、と鍵盤に置かれる、長くしなやかな十本の指。
彼が最初の音を紡いだ瞬間、店内の空気が一変した。
流れ出したのは、あの夜と同じ、どこか気だるく、けれど狂おしいほどにエモーショナルなJAZZの旋律。
(ああ……やっぱり、世界で一番好きな手だ……)
カウンターの端でグラスを握りしめながら、私はうっとりとその指の動きに視線を固定する。
鍵盤の上をめまぐるしく躍動する指先。強く叩きつけられる瞬間に浮き出る男らしい筋。そして、さっき私の肌を優しくなぞったときと同じ、滑らかなフェザータッチ。
音色と視覚が合わさって、私の脳内は一瞬で熱を帯びていく。
けれど、あの夜と決定的に違うことが一つだけあった。
蓮さんは演奏しながら、まっすぐに私を見つめていたのだ。
その綺麗な瞳に宿る熱い光は、まるで「この演奏は、君のためだけのものだ」と雄弁に物語っているようだった。私の熱い視線に呼応するように、JAZZの旋律はさらに情熱的に、甘くスウィングしていく。
最後のワンフレーズが、切なく、余韻を残すように響き渡り、演奏が終わった。
パチパチと小さな拍手を送る私のもとへ、蓮さんがゆっくりと歩み寄ってくる。
カウンター越しではなく、私の隣の席に腰掛けた蓮さんは、すっと右手を伸ばして私の手を包み込んだ。
「どうだった? 今夜の俺のアドリブは」
「すごく……胸が苦しくなるくらい、素敵でした。私の視線に合わせて、少し意地悪にテンポを変えましたよね?」
私が少し照れながら答えると、蓮さんは目を見張った後、嬉しそうに、けれど酷く独占欲の滲む笑みを浮かべた。
「正解。よく分かったね。……ねえ、結衣。俺の手のどこが、そんなに好きなの?」
至近距離で、あの「神の手」が私の手の甲を親指で優しくなぞる。
心臓が跳ね上がる。完璧を装う余裕なんて、もう一欠片も残っていない。
「全部、です……。細くて長い指も、爪の形も、演奏するときに浮き出る筋も……。現実には存在しないと思ってた、私の理想そのものの手なんです。だから……もう、トドメを刺されちゃって、他の誰の手も見られないくらい、あなたに溺れてるんです……っ」
恋愛経験ゼロの私が、生まれて初めて口にした、形振り構わない告白。
言い終えて真っ赤になり、俯こうとした私の顎を、蓮さんの指先がすっと持ち上げた。第二章の社長室と同じ、けれど、今度は驚くほど優しく、体温が溶け出すような質感で。
「合格。……最高の告白だね」
蓮さんの顔が、遮るもののない距離まで近づいてくる。
「最初から、君を俺の鍵盤の上で転がして、啼かせてあげるつもりだったのに。……気づけば、俺のほうが君のその熱い視線に、完全に狂わされていたみたいだ」
囁かれた言葉の意味を理解する前に、唇に、温かくて柔らかいものが触れた。
バーの照明に照らされた、世界で一番美しい指先が、私の頬をそっと支えている。
その手のひらから伝わる圧倒的な愛情と熱に、私はただ、目を閉じて身を委ねることしかできなかった。
完璧を装っていた隠れオタクの私の日常は、この最高にハイスペックな「神の手」を持つ社長によって、跡形もなく塗り替えられてしまったけれど。
「愛してるよ、結衣。一生、俺の特等席で、俺の手だけを見ていて」
そう囁きながら、私の指にぴったりと自分の指を絡めてくる彼の手を見つめながら、私は心の中で、最高に幸せな完全降伏の宣言をするのだった。
――ええ、喜んで。
私の理性を狂わせた、その美しすぎる神の手の上で、私は一生、あなたに甘く転がされてあげます。
(ハッピーエンド・完結)
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