浮気相手の子を「育てろ」と押しつけられたので、罪のない少女は丁重に育てつつ、夫だけを優雅に制裁することにしました
親友の息子と孫
そして月日は流れた。
神殿での暮らしは驚くほど私の性に合っていた。
ここでは元貴族だからといって財産を取り上げられることもなく、過度な喜捨を求められることもない。
私は寮には入らず、王都に小さな家を借り、そこから神殿へ通う女神官となった。
ジェラルドの墓には、年に一度は花を手向けた。亡骸の戻らぬ遺品だけが眠る墓に。
あの不器用な人のことを、私はもう時折思い出すだけとなっていた。
そうして二十数年が夢のように過ぎた。
ある春の昼下がり。神殿の中庭で私が薔薇の世話をしていると、銀縁眼鏡をかけた若い神官がひとり、私のもとへやってきた。
色味のない銀髪とアイスブルーの瞳の、澄んだ目をした青年だった。
「エレオノーラ神官。ぼくの友人が家族の健康問題を相談したいそうで。あいにく担当者が不在で、お力をお借りできますか?」
出家して神殿に入ってから知ったことだが、神殿は庶民から王侯貴族まで分け隔てなく相談を受け付ける〝何でも屋〟の側面を持っていた。
神殿と教会はどちらも人々を、倫理や道徳をもって導くことを目的としている。
教会は主に福祉機能を担うけど、神殿はもっと雑多なのね。こうして健康や病気の相談に訊ねてくる者も多かった。
実際は世界の理を研究する学究機関なのだけど、日々の祈りや儀式で本質に触れていると医学や薬学の理解が進むから、神官は外科以外なら、医者代わりの相談もよく受ける。
「オネスト神官、具体的にはどんな話?」
「幼い甥っ子君の皮膚が荒れてしまったそうで。相談の順番待ちをしてる間に悪化傾向で、神殿のぼくに直接連絡を寄越したんです」
「親しいの?」
「ええ。彼がいなかったらぼく、ここに生きてませんから」
彼、オネスト・グロリオーサはあの宰相閣下と後妻との間に生まれた次男だ。
しかし夫婦の不仲の割を食って、学園入学の十代半ばまで家庭内で虐待を受けていたと聞いている。ほとんど失明寸前までの被害とも。
結局、学園卒業後も一般的な就職はできなくて、神殿に入ったと聞いている。
息子の虐待を、忙しくて家にほとんど帰らない宰相閣下は知らなかったらしい。
さすがに退位されたヴァシレウス陛下や、そのご即位された今の国王陛下に厳しく叱責されたそう。
「お友達は貴族?」
「はい、ルシウス・リースト子爵です。伯爵様のご子息で、ぼくの眼鏡も彼のお父上や兄君に作っていただいたんです」
彼の友人が待つ応接間に向かいながら、その名に私は思わず歩みを止めた。
リースト家。今あそこの家で伯爵なのはまだ……
「あら。あなた、もしかしてメガエリス様と親しい?」
「ええ。友人を通して何かと気にかけていただいてます。うちの父とは犬猿の仲ですけどね」
まあまあ。あの方、メガエリス様のファンクラブ会長なのに、犬猿の仲なのねえ。
オネスト青年は私とリースト伯爵家の縁を知らないはずだ。なのにこうして話題に出てくる縁の不思議さを思う。
この子は知っているのだろうか。その友人の父がいかに痛快な男か。その一族がいかに型破りで、けれど一本筋の通った人々か。
愛した女の名誉のためなら、国王すら動かす家であることも。
応接室には、二歳児くらいのぐずる幼児を抱いた、二十歳前の麗しの青年が待っていた。
ああ……この青みがかった銀髪とティールの瞳。メガエリス様にそっくりじゃないの。
「あれ? エレオノーラ様、お久しぶりです!」
「私のこと、覚えているの?」
まだスノーフレークが健在だった頃、乳幼児だったこの子に一度だけ会ったことがある。
「はい! 母様の一番のご親友だって言ってましたよね。別れ際に、僕と兄さんの頬っぺたにキスしてくださったの、覚えてます」
「………………」
これは本物だ。まさかあんな、赤ちゃんの頃の記憶があるなんて。さすが魔法の大家の血筋というべきか。
ともあれ、ルシウスと名乗った青年は、甥っ子――スノーフレークとメガエリス様の孫の皮膚疾患を相談しに来ている。
この甥っ子ヨシュア君がまた、メガエリス様とこのルシウス君のミニチュア版で愛らしかった。
……スノーフレークの息子たちもだけど、やはり孫にも彼女の容姿は引き継がれなかったわね。メガエリス様も残念がってたわね。
そういえば、今は退位されたヴァシレウス陛下が仰ってたっけ。
これは確かに、ぬいぐるみを持たせたり、レースやフリルの服を着せたくなるわ。
今日はシンプルに綿の男の子用のシンプルなブラウスと半ズボンだけども。
発症した部位を見せてもらうと、背中や腕の内側に少し発疹が出ている。うーん、これは子供の柔らかい皮膚だと痛痒いやつね。
「まだ幼くて、身体が弱いのね。お薬は飲ませなかったの?」
「苦いからって飲まないんですよ……甘いお菓子や果汁でも誤魔化されてくれなくて」
幼児あるあるだわ。
「このくらいなら、神殿の消毒薬や入浴剤で治ると思うわ」
「本当ですか!?」
「ええ、でもちょうど在庫を切らしてて。今日明日には揃うはずだから、オネスト神官にご自宅まで届けさせるわね」
その後、お茶を飲む間だけルシウス君と雑談した。
「本当にお父様に二人ともそっくりね。周りに誘われて困ること、多いんじゃない?」
心配からそう言うと、ルシウス君は甥っ子をあやしながら、
「はい。でも大丈夫です。おかしなことしてくる奴がいたら、ちゃんと潰せって父様やヴァシレウス様に言われてますんで!」
「………………そう。それなら、良かったわ」
……お父上と先王陛下の教えが受け継がれてしまったのね。
彼らを見送りに出たとき、私は中庭を経由して薔薇を手折って棘を取り、まだ若い叔父とその甥っ子に一輪ずつ手渡した。
少し青みがかった白薔薇は、彼らの母にして祖母、スノーフレークが夫や息子たちの髪色をイメージして品種改良したものだ。
彼女は植物の扱いに長けていた。かつて在籍していた孤児院にも、見事な薔薇を咲かせていたわ。
私が神殿に入って数年後奉納されたもので、以来私がずっと育てて手入れを続けている。
「懐かしいです。母様がいた頃は温室にあったけど、亡くなられた後は父様がうっかり枯らしてしまったので」
「メガエリスさん、雑だものね……。良かったら毎年、見頃のときはまたいらして。いつでもお分けするわ」
妻を亡くして、気力を失った彼がうっかりしてしまったのだろう。
スノーフレークがいなくなってから、私はメガエリス様とも次第に疎遠になっていた。伯爵様とただの神殿神官じゃね。
でもまた意外なところで縁が繋がってきた。特に、このお孫さんに会えたのは嬉しかった。
神殿での暮らしは驚くほど私の性に合っていた。
ここでは元貴族だからといって財産を取り上げられることもなく、過度な喜捨を求められることもない。
私は寮には入らず、王都に小さな家を借り、そこから神殿へ通う女神官となった。
ジェラルドの墓には、年に一度は花を手向けた。亡骸の戻らぬ遺品だけが眠る墓に。
あの不器用な人のことを、私はもう時折思い出すだけとなっていた。
そうして二十数年が夢のように過ぎた。
ある春の昼下がり。神殿の中庭で私が薔薇の世話をしていると、銀縁眼鏡をかけた若い神官がひとり、私のもとへやってきた。
色味のない銀髪とアイスブルーの瞳の、澄んだ目をした青年だった。
「エレオノーラ神官。ぼくの友人が家族の健康問題を相談したいそうで。あいにく担当者が不在で、お力をお借りできますか?」
出家して神殿に入ってから知ったことだが、神殿は庶民から王侯貴族まで分け隔てなく相談を受け付ける〝何でも屋〟の側面を持っていた。
神殿と教会はどちらも人々を、倫理や道徳をもって導くことを目的としている。
教会は主に福祉機能を担うけど、神殿はもっと雑多なのね。こうして健康や病気の相談に訊ねてくる者も多かった。
実際は世界の理を研究する学究機関なのだけど、日々の祈りや儀式で本質に触れていると医学や薬学の理解が進むから、神官は外科以外なら、医者代わりの相談もよく受ける。
「オネスト神官、具体的にはどんな話?」
「幼い甥っ子君の皮膚が荒れてしまったそうで。相談の順番待ちをしてる間に悪化傾向で、神殿のぼくに直接連絡を寄越したんです」
「親しいの?」
「ええ。彼がいなかったらぼく、ここに生きてませんから」
彼、オネスト・グロリオーサはあの宰相閣下と後妻との間に生まれた次男だ。
しかし夫婦の不仲の割を食って、学園入学の十代半ばまで家庭内で虐待を受けていたと聞いている。ほとんど失明寸前までの被害とも。
結局、学園卒業後も一般的な就職はできなくて、神殿に入ったと聞いている。
息子の虐待を、忙しくて家にほとんど帰らない宰相閣下は知らなかったらしい。
さすがに退位されたヴァシレウス陛下や、そのご即位された今の国王陛下に厳しく叱責されたそう。
「お友達は貴族?」
「はい、ルシウス・リースト子爵です。伯爵様のご子息で、ぼくの眼鏡も彼のお父上や兄君に作っていただいたんです」
彼の友人が待つ応接間に向かいながら、その名に私は思わず歩みを止めた。
リースト家。今あそこの家で伯爵なのはまだ……
「あら。あなた、もしかしてメガエリス様と親しい?」
「ええ。友人を通して何かと気にかけていただいてます。うちの父とは犬猿の仲ですけどね」
まあまあ。あの方、メガエリス様のファンクラブ会長なのに、犬猿の仲なのねえ。
オネスト青年は私とリースト伯爵家の縁を知らないはずだ。なのにこうして話題に出てくる縁の不思議さを思う。
この子は知っているのだろうか。その友人の父がいかに痛快な男か。その一族がいかに型破りで、けれど一本筋の通った人々か。
愛した女の名誉のためなら、国王すら動かす家であることも。
応接室には、二歳児くらいのぐずる幼児を抱いた、二十歳前の麗しの青年が待っていた。
ああ……この青みがかった銀髪とティールの瞳。メガエリス様にそっくりじゃないの。
「あれ? エレオノーラ様、お久しぶりです!」
「私のこと、覚えているの?」
まだスノーフレークが健在だった頃、乳幼児だったこの子に一度だけ会ったことがある。
「はい! 母様の一番のご親友だって言ってましたよね。別れ際に、僕と兄さんの頬っぺたにキスしてくださったの、覚えてます」
「………………」
これは本物だ。まさかあんな、赤ちゃんの頃の記憶があるなんて。さすが魔法の大家の血筋というべきか。
ともあれ、ルシウスと名乗った青年は、甥っ子――スノーフレークとメガエリス様の孫の皮膚疾患を相談しに来ている。
この甥っ子ヨシュア君がまた、メガエリス様とこのルシウス君のミニチュア版で愛らしかった。
……スノーフレークの息子たちもだけど、やはり孫にも彼女の容姿は引き継がれなかったわね。メガエリス様も残念がってたわね。
そういえば、今は退位されたヴァシレウス陛下が仰ってたっけ。
これは確かに、ぬいぐるみを持たせたり、レースやフリルの服を着せたくなるわ。
今日はシンプルに綿の男の子用のシンプルなブラウスと半ズボンだけども。
発症した部位を見せてもらうと、背中や腕の内側に少し発疹が出ている。うーん、これは子供の柔らかい皮膚だと痛痒いやつね。
「まだ幼くて、身体が弱いのね。お薬は飲ませなかったの?」
「苦いからって飲まないんですよ……甘いお菓子や果汁でも誤魔化されてくれなくて」
幼児あるあるだわ。
「このくらいなら、神殿の消毒薬や入浴剤で治ると思うわ」
「本当ですか!?」
「ええ、でもちょうど在庫を切らしてて。今日明日には揃うはずだから、オネスト神官にご自宅まで届けさせるわね」
その後、お茶を飲む間だけルシウス君と雑談した。
「本当にお父様に二人ともそっくりね。周りに誘われて困ること、多いんじゃない?」
心配からそう言うと、ルシウス君は甥っ子をあやしながら、
「はい。でも大丈夫です。おかしなことしてくる奴がいたら、ちゃんと潰せって父様やヴァシレウス様に言われてますんで!」
「………………そう。それなら、良かったわ」
……お父上と先王陛下の教えが受け継がれてしまったのね。
彼らを見送りに出たとき、私は中庭を経由して薔薇を手折って棘を取り、まだ若い叔父とその甥っ子に一輪ずつ手渡した。
少し青みがかった白薔薇は、彼らの母にして祖母、スノーフレークが夫や息子たちの髪色をイメージして品種改良したものだ。
彼女は植物の扱いに長けていた。かつて在籍していた孤児院にも、見事な薔薇を咲かせていたわ。
私が神殿に入って数年後奉納されたもので、以来私がずっと育てて手入れを続けている。
「懐かしいです。母様がいた頃は温室にあったけど、亡くなられた後は父様がうっかり枯らしてしまったので」
「メガエリスさん、雑だものね……。良かったら毎年、見頃のときはまたいらして。いつでもお分けするわ」
妻を亡くして、気力を失った彼がうっかりしてしまったのだろう。
スノーフレークがいなくなってから、私はメガエリス様とも次第に疎遠になっていた。伯爵様とただの神殿神官じゃね。
でもまた意外なところで縁が繋がってきた。特に、このお孫さんに会えたのは嬉しかった。